そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと | かんながら

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旅の記録です

 

いろんなことが起こりすぎていて、記録すら追いつけない今日この頃。

 

意識しているかどうかにかかわらず、人生には転機っていうものがあって、それはまるで潮の流れのようだと思うことがある。

思いに関係なく、運ばれていくというか。

 

でも、本当は、人は皆、神の思いではなく、自分の思いによって動いている。

 

 

ゆらぎが生まれると、何かを起こしていずれは消える。

始まりがあって、終わりがある世界。

それはわたしの思う「神の世界」ではない。

神の世界は、絶対であって、永遠であるからだ。

 

神は、ただ、「ある」だけで、そこに「思い」などきっと、ない。

 

 

 
わたしの誕生日に伊勢平氏おじさんに、山に連れてきてもらう、ことになっていたが、お互いの行き違いで(ということにしておこう)、微妙にスケジュールが合わない。
しかも誕生日当日を外して。
 
別にいいけどさ。
 
「夜景の見えるフレンチに行きたい」とかそういうのじゃないから。
 
前の週に日程を提案されて、「先約のある日なので変えてほしい」と電話したが、「週末のうちに(娘の目を盗んで)折り返す」と言ってかけてこなかった。
 
日曜の夜にまたかけて、「今電話できない」って言われたけど、もうだんだんその状況に慣れてきて、「適当なところにおさまる」と任せることにした。
 
 
 
 
そうしたら、飛鳥から帰った翌朝、街でばったりあった。
 
 
 
「その日は先約が」
「変えられないの」
 
「動かせる予定ではないので」
 
「じゃあしばらく無理だね」
 
 
「・・・。」
 
 
「今日は?」
「?」
「今日から行くのはどうですか?」
 
そうすれば、明日か明後日、予定に合わせて自力で帰ることもできる。
 
「それじゃ、10時に、いつものところで。」
「ありがとう」
 
もう6時を過ぎている。昨夜飛鳥から帰ったばかりで洗濯もしてないが、なんとかなるだろう。
 
表参道を歩いていたら、ケータイがなった。
 
「やっぱり8時にしましょう。朝ご飯食べずに行きますから。」
「わかりました」
 
もう7時になろうとしている。
相変わらず不思議な人だ。「朝ごはんを食べずに行く」ってなんの意思表示なんだろう?
まあいいか、流れにのろう。
 
 
待ち合わせには遅れた。5分ほど。
参拝から帰って、旅の支度をして家を出るまで45分。
おじさんのクルマは待ち合わせ場所にもうあった。
 
いつもの緊張感がなぜか和らいでいた。
遅れるのは悪いけど、これで精一杯。
でも「遅れてすみません」で済んだ。
 
 
しかも途中にトイレ休憩で立ち寄ったサービスエリアで、「おじちゃんおばちゃんが食べてるソフトクリームが美味しそう」と呟いていたが、クルマにいないと思ったら、溶けかけのアイスクリームを持って鬼のような形相で立っていた。
 
 
しかも2つ!!
 
 
慌てて駆け寄って一個もらう。
 
「何してんだよ!!」
怒鳴るけどさ、トイレに消えて、どこ探してもいないんだもの。
 
 
ソフトクリームを買いに行ってたのか。
もしやと思ったから探したけど、わたしの目には入らないその売り場。
 
 
溶けかけたソフトクリームは、40年以上前に祖父にデパートの屋上かどこかで買ってもらった記憶と重なり合って、なんとも懐かしい味がした。
それにしてもどうしたんだろう。
清里でアイスクリームが食べたいと言ってみたことはあるが、嫌だと言って行ったことはなかったのに。
 
 
 
今まではここで、一緒に祈りをしてきたが(と言ってもおじさんの祈りの時間に一緒に祝詞をあげるだけだった)、今回は一人でしたいと言われたので遠慮した。
わたしは祈りに言葉も作法もいらない。
祈ってるおじさんをソファーで寝っ転がって眺めている、という豊かな時間だった。
おじさんの背中に若い頃からコリと共にあった触れると物悲しくなる黒い穴も消えてきた。
伊勢平氏おじさんが、わたしの手を信頼して委ねたり、今までのパターンと違うことを試そうとしているのは明らかだった。
 
わたし自身も彼の話の登場人物の気持ちが流れ込んできて涙したりは、初めてで驚いた。
かわいそうと思うのとも違う、ただ「誤解されてる」ってことがなんか切なくなったのだ(たぶんこれは自分自身の経験が引き金になっていると思う)。
わたしは未浄化霊とかはみえないし感じないからわからないが、きっと生きているときに持っていた未練や強い感情とかってこういう感じで人の心に憑りつくのかもしれないなって初めて思ったのだった。
 
 
 
 
 
旧暦七夕(7月25日)の夜は、天気もよくて、夜中に目覚めたら天の川があった。
障子を開けて眺めていたかったが、「寒い」と怒られたので一瞬だけ。
でも、彦星と織姫が会えたことは間違いない。
 
もう少し眺めていたかったが、外気温が心の温度とリンクするおじさんは不機嫌に。
 
 
 
「七夕ですから」と言ったら、
 
「キミの、その日にちにこだわるの、やめてくれないかな。」
「?」
「8月15日が特別な日だとか言って怒ったりとか」
 
 
「・・・。他に特別なことをしてほしいと頼んでいることってないじゃないですか」
「30日が大事って言われても、その日は無理だから」
 
別にわたしだって自分の誕生日には例年はこだわらない。
自分だって忘れてることはよくあるのだ。
 
でも。
 
なんか今年はこの日におじさんに会っておかねばならぬ、と思う。
一番いい状態で。東京では、電磁波のせいなのかすぐイライラされる。「山がいい」と言ったが、却下された。
 
 
理由は
 
月曜からの予定がタイトで週末は渋滞するから移動したくない
それと、東京で出かけられない理由は「暑いから」。
 
 
 
わからなくもない。
「暑くなければ行けるから」
 
でも絶対暑いに決まってる。
 
だってなんか覚悟試されてる感じだもの。
 
 
こういう女子っぽいお願いはしばらくしたことがなかったが、いたし方あるまい。
 
 
 
「じゃあ、タクシーを呼びますから、新宿のホテルのラウンジでシャンパンでも飲みませんか。」
 
「こういう時でなかったらいいレストランに連れて行ってあげるんだけど」
なんか、おねだりと間違えられてるっぽい。
 
「(今までにない返しがきたよ?)いいえ、そういうのは必要ないです」
「その時間をとってもらうことが大事なだけだから、わたしはドトールのコーヒーでいいんですけど、おじさんは緑茶か酒しか飲まないから、移動がしんどくなさそうで、朝から酒があって、コロナが比較的心配なさそうな広い空間を考えました。」
 
「じゃあ、17時に1時間くらい、ビール屋でいい?」
「はい」
 
おじさんは不機嫌なまま背を向けて眠ってしまった。
 
 
 
 
 
翌朝。
おじさんは身支度に時間のかかる人である。
わたしは荷物の準備もして30分で旅に出るが、おじさんは決まった場所に出かけるのに20−30分身支度に時間をかけている。
その様子を覗き見たことはないのでわからないが、なんか瞑想の時間みたいなのかもしれない。
洗面所から出てきて、おじさんは言った。
 
「30日で、夏が終わる。」
 
「どういう意味ですか」
「いや、メッセージがきた。夏が終わる」
 
おじさんは繰り返した。
 
 
 
「夏が、終わる。」
いのちの盛りの夏が終わる。
 
 
わたしたちは、お互いが感じていたことを初めて共有できたのかもしれない。
 
「実りの秋に、なるといいですね」
 
おじさんは黙っていた。
 

 

おじさんは、夕方ドライブに連れて行ってくれた。
何度も山にはきたが、別荘からどこかに行ったことはほとんどない。
 
着いた場所は平沢峠。
ナウマン博士が「フォッサマグナ」と命名した大きな断層になっているそこは、東アフリカで見た大地溝帯(グレートリフトバレー)と呼ばれる場所そっくりだった。
 
「すごいでしょう、ここは。今日は八ヶ岳は見えないけど。」
 
「そう思います」
「わたし、この景色とそっくりな場所をみたことがあります。アフリカで。」
 
 
ケニアで、タンザニアで、大地溝帯をみた。
わたしはサファリに興味がなく、観光地が苦手で、地層にも興味がなく、東アフリカの旅は退屈だった。
大地溝帯と呼ばれるそこに、わざわざ連れて行ってもらっても、カケラも感動しなかったのに、今ここで見るこの景色は、あの場所に時空ごと繋げてしまうのだった。
 
その晩、わたしはいつもよくみる光景をうとうとしながら夢で見ていた。
昼は、五十鈴川のせせらぎの上にひかりの玉の泡として、そして夜は、摩耶山からの夜景の煌めきで、わたしはいつも人々のきらきらした暮らしをみて胸がいっぱいになるのだが、初めてわたし自身のことがみえた。
 
 
 
おじさんに作ったご飯がまずいと文句を言われながら、奪い合うみたいにビールを飲んだこと、
諏訪の地震の日におじさんが大騒ぎして救急の病院に行ったこと、
諏訪や五島の洪水のニュースをテレビで見たこと、
わずかな時間星がきれいだねって眺めたこと、
 
 
自分以外の人が見たら「いい思い出」って思えないことも、きらきらして、わたしの現実の暮らしも、確かにそこにあった、って思ったのだった。
それは、わたしにとって初めての体験だった。
何かがこみ上げてきて、わたしは泣いた。

 

 


30日は、夕方5時に(ビール屋は朝は開いていない)待ち合わせという約束をして別れた。

 

 

帰ったら富山で自然農をやっている人から、お砂糖のお礼に野菜が届いてて、嬉しかった。

こんな甘い梨を食べたのは、生まれて初めてだ。

これらのものに値段をつけるとしたらいくらになるんだろう。

つけられないよな。

 

しかし、一人暮らしっていうのは惜しい。

分かち合える人がいたらいいのに。

 

別にそれは血縁がなくても、戸籍上の家族でなくてもよい。

 

 

東京に戻ったら眠くてひたすら眠った。

 

そういう時期はわたしにはよくある。

お勤めしているわけではないから、眠いときには眠って過ごす。

何かわたしが頭を休める必要があるときにそれは起こる。

 

目覚めたときふと、伊勢平氏おじさんは、ずっと昔から一緒にいたなって思った。

伊勢も、エジプトも。


伊勢平氏おじさんとは、元ダンナたちがみな、ソウルメイトであったように、やっぱりソウルメイトなんだなって思った。

 

しろくまさんは、優しい人だったから、自分を犠牲にしてわたしを慮って支えてくれたが、伊勢平氏おじさんにはそれがない。

そういえば、本人も昨年そんなことを言っていた。

 

それはわたしにとってはやりやすい相手である。

犠牲になる人だと対等な関係は築けない。

 

 

 
用事で日比谷。帰りに日比谷神社に代参。
 

 

(ご祭神)

豊受大神 とようけのおおかみ

祓戸四神

 瀬織津比賣大神 せおりつひめのおおかみ
 速開都比賣大神 はやあきつひめのおおかみ
 気吹戸主大神 いぶきどぬしのおおかみ
 速佐須良比賣大神 はやさすらひめのおおかみ

 

 
瀬織津姫、か。
やっぱりね。
 
 
そして8月29日朝。
これはサインだ。
 
28日金曜日は総理が辞任。
たしかに、何かが動き始めた。
 
そして。
おじさんとばったり会った。
 
「暑くて体調悪くて」
「そのようですね」見ればわかる。弱っているのが。
 
「明日、5時にいつものところに車で行くからそれでいい?」
「わかりました」
「会えてよかった。どうやって連絡しようかと思ってたんだ。」
 
曲がり角で振り返って小さくだけど手を振ってくれた。
こんなことは初めてで驚いた。
 
 
きっと必要なことは、「起こる」ことになっているんだろう。
わたしはもう受け身でいい。
覚悟が、定まったから。
 
 
しばらく歩いてて、ふと思った。
「5時って、まさか朝では」
夕方5時の約束を、場所を変更したとしたら、普通夕方を指すと思われるが、おじさんがクルマに乗るには微妙な時間かもしれない。
 
仕方ないので電話した。
 
「5時って、夜ですか、朝ですか」
「朝」
「聞けてよかったです。では明日。」
 
 
月が大きい。
夜は12年ぶりくらいに連絡をくれた人がいて、飲みに行った。
 
前にもあったな、こういう場面。
昨年、おじさんが突然バックれてしばらくしたら新宿でバッタリ再会した。
あの日も月の輝く晩だった。
 
 
そして絶対潰れるはずのない量の酒で倒れて家まで運ばれた。
おじさんにではなく通りがかりの見知らぬ人に。
わたしは満月は苦手なのはなんとなくわかっているが、同じパターンを経験すると、明らかに何かが動いているって思う。
 
この人も、因縁めいた何かがありそうである。
当時は準備が整っていなかったのが、12年の歳月をかけて、そしてたぶん特にこの1年のいろいろな経験を経て、時が来たってことなんだろうな。
 
 
 
そして誕生日当日の朝。
 
起きたら5時23分だった。
約束は5時なのに。
 
寝坊なんかしたことないのに、なんなんだ。
たしかに学生時代並みに深酒したけれども。
 
ダッシュしたが、待ち合わせ場所におじさんのクルマはなかった。
それはそうだ。34分。わたしだったら待つけれども、彼が待つわけはない。
 
おじさんに電話した。
 
「すみません、寝坊しました」
「どうするの」
「います、待ち合わせ場所に」
「今から行くよ」
 
まだ昨夜の酒が残っていて「どうするの」と聞かれたら答えられないと思ったが、おじさんは黙って車を走らせた。
 
 
航続可能距離222キロ。
 
 
222きた!聖徳太子。
 
全部、流れの中にある。
 
 
ちはやふる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは
 
 
八ヶ岳に初めて連れられて行ったとき流れてきたこの歌。
きっといろんな意味が含まれている謎の歌。
 
 
 
 
 
そして、おじさんはなぜか、「淀橋」(やはり呼ばれた西新宿 〜十二社(じゅうにそう)熊野神社・淀橋)を通り、内藤新宿をぐるっと回って走らせたのだ。
 
淀橋は、長野・高遠のお殿様につながる。
そして多武峰とも遠野ともつながっている、とわたしはみている重要エリア。
 
おじさんは、わたしのブログは知らないはずだが、この日に迷わずここを走るというのは、何かを感じているということか。
 
 
そして表参道に着いたら、「早く降りて」とだけいった。
 
「もっと一緒にいたい」とか甘えるつもりはなかったが、ドアに手をかけてなんとなく躊躇していたら、
「早く!!6時半までに帰らなくてはならないんだ!」と声を荒げて言った。
 
「こんな大事な日に遅れるってどういうことなんだ」
 
「・・・すみません」
大事に思ってくれてたのか。
 
言い訳はできない。でも本当になんでなんだろう?いつもは1つのアラームしかかけないが、昨日わたしは3つ余分にアラームをかけたのに。これもなんかのサインなんだろう。
 
 
「こちらから必ず電話しますから、電話してこないで」
「わかりました」
 
それでいいや、って心から思った。
それでも、おじさんは、もうわたしの家族だ。
おじさんが、そう思わなくても。
 
 
「ふたつ、言いたいことがあります」
「なに」
 
「おじさんは家族」
「違います」そこは即否定。
 
でも。わたしはもう決めている。
「おじさんにしてもらうことはなにもありませんから」
 
 
「あとは。」
「おじさんの子は生みませんから、心配しないでください」
「人の子は、神の子じゃないんで」
 
 
相手の同意は必要ない。相手が自分をどう思うかも関係ない。
ソウルメイトはひとつの意識を生きているのだから、自分が決めたら「そうなる」のだ。
それは現実を伴うという意味ではない。現実の方はわたしにとってどうでもいいことばかりだ。
 
 
 
おじさんは怒っていたが、さようならの握手は拒絶しないでしてくれた。
今度いつ会えるかわからないし、電話もないかもしれないが、それでよい。
とにかく、旧七夕からの流れは成った、と思った。

まさかおじさんと淀橋に行くとは驚いたけれども。
 
 
誕生日の午後、近所の焼肉屋でランチをしていたら、運ばれてくるのが遅くて、サラダを食べながら全く気にしていなかったんだけど、「お待たせして申し訳ありません、飲み物サービスさせてください」ってワインリストを持ってきてくれた。
 
「え、怒ってないですよ?」
「でも、是非、よかったら」
って勧められて、ワインをもらう。
 
神様からの誕生日祝いか。
昨日飲みすぎたから、今日はやめようと思っていたが、一杯だけ。
 
なんか、すごくツイている。
これはやはりいい流れ。
 
 
朝は丹後の神人と、夜は纒向の仙人と電話ミーティング。
 
「今日誕生日なんですよ」
「それはおめでとうございます」
 
たくさんの人から祝福をもらった旧七夕だった。
 
 

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