志那都比古神(しなつひこのかみ)
志那都比売神(しなつひめのかみ)
級長戸辺命(しなとべのみこと)
とある。
伊勢平氏おじさんがお山で焼岳に向かって毎朝呼んでいた神様の名前だ。
しかも、おじさんが神様の名前を呼ぶと、風が吹いてきて
「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは」
のうたがこだまして、まっかに水辺が燃える光景がうかぶのだった。
だから、それを確かめるべく、以前の記事(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)にかいたように、竜田川を訪ねたのだ。
龍田大社も美しかったけど、わたしは龍田神社のソテツをみて、島と同じお地場をかんじて、聖徳太子が寺を建てる場所を探していたとき、夢枕にたったという神様はきっとこの辺の神様なんだろうなって思ったのである。
そういえば、石上神宮の鎮魂祭も例年だったら新嘗祭の前日の11月22日に行われるから、22日。聖徳太子のご縁日である。
昨年は、今上陛下が最初にのぞまれる新嘗祭である、大嘗祭が11月14日だったため、鎮魂祭はその前日の13日となっていたが。
そしてその日たまたま法隆寺に運ばれたわたしは、ガイドさんも「開いているおうのをはじめてみた」という門(小長谷先生に聞いたところ勅使門であろうとのことだった)に、立派なお召し物を纒われた偉そうな(威張っているという意味ではない)お坊さんが入っていくのに遭遇したのだ。
散華というのか、花びらみたいなのをはらはらとまきながら、なんやら供養していらしたが、それはもしかしたら聖徳太子さまへのご供養なのか、と思ったのである。
なんといっても聖徳太子も皇族であったのだから。
芝公園内には、平和の灯というものがある。
そして東照宮。
知らなかったけど、東照宮って日光だけじゃないんだって。
徳川家康公は、生まれた場所の静岡県久能山に埋葬するようにと、そしてお葬式は増上寺で、小さな祠を日光に建てるように、と遺言したらしい。
平和の守り神、東照大権現。
大阪人だからなのか、なんとなく徳川様苦手である。
豊臣秀吉、太閤さんがえらいと教えられて育つから。
豊臣秀吉の方は、豊国大明神。
Wikiによると、豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の勅命により再興された。とある。
ここ増上寺には今までに2度来たことがある、と書いたけど、1度目は三嶋大社の帰り。
土砂降りの雨が上がったあと。
そうしてもう一度が、ちょっと前に流行ったポケモンGO。
しろくまさん(亡き夫)は、わたしと違ってコツコツやるのが好きな人で、ケータイを変えるタイミングまでやっていた。
増上寺の裏鬼門に位置し、山内鎮守の重要な地を占め、史跡として指定されている丸山古墳上にあります。
随身稲荷の由来は、増上寺がこの地に移建当時桑名よりお迎えした御本尊を守護する為に江戸までお供されたいわれにより以来末永く鎮守まします大明神であります。
桑名よりお迎えした御本尊というのは、蛯原 春比古さんによれば、照源寺の阿弥陀如来だろうということであるが、守護するためについてきたのは誰なのかについては、少なくともここには書かれていない。
照源寺については、あまり詳しい資料はみつけられなかったが、金龍桜なるものと夫婦松というのがあるようである。
伊勢で、夫婦といえば猿田彦と天鈿女(あまのうずめ)であろう。
そのふたりが随行してきたのか。猿田彦は「道ひらきの神様」なのであるから、さもありなん。
今年稲荷の年越しをご一緒してくれた宇宙人仲間が貸してくれた「イナリコード―稲荷に隠された暗号」という本には、イナリの神はサルタヒコとアマノウズメって書いてあったしな(あとはトヨウケだったか、記憶にない)。
金龍桜のほうは、桑名市のホームページによると、摂津の天台宗金龍寺(こんりゅうじ)から分植したものらしい。
そして摂津金龍寺というと、金龍寺の盛衰っていう記事が高槻市のホームページにのっている。
山ざとにまかりてよみ侍りける
山ざとの 春の夕ぐれ きて見れば 入相の鐘に 花ぞ散りける
能因法師『新古今和歌集』より
このうたにでてくる「入相の鐘」がこの金龍寺の鐘らしい。
能因といえば西行に先んじた旅の歌人として知られる、とある。
西行も最近きてて、山中湖でひとりでご飯を食べていたら、悲しいわけでもないのに涙がポロポロ溢れてきて、「なんなのこれ?!」ってでてきたうたがが、
なにごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる
で、調べてみたら西行のうたで、西行は元の名は佐藤義清。
多武峰とつながる藤原北家秀郷流ということを教わったのもまさにこのタイミングである。
そして、能因。
百人一首にも選ばれている。
「あらしふく みむろのやまの もみぢばは たつたのかわの にしきなりけり」
三室山は斑鳩にあった神奈備山。三諸(みもろ)山ともいうらしい。
もろやまって変換すると「毛呂山」って出るんだけど?埼玉??
竜田!?錦!!!
あまりにも壮大になってきて消化しきれないが、聖徳太子や龍田神社には繋がっているのであろう。
そしてもしかして埼玉につながったりするのだろうか?そうしたらかなりおもしろい。
だって伊勢平氏おじさんは、埼玉の見沼さまっていう龍神さまの話ばかりしてたから。
そして見沼さまから預かった金龍の子どもをお山に連れて行って放して、3年目の昨夏、その金龍が大きくなってお山を超えていったのを一緒に目撃したのである。
毎朝、風の神様を呼んでいた伊勢平氏おじさんが、
「神々を目覚めさせるため」に育てたという「金龍」が、「菌龍」で、
風=風邪で、大きく成長して、今回のコロナショックを起こした
としかわたしには思えないが。
まあ、神事というのは、正解がなく、全ては個人の妄想なのだ。そして、ひとそれぞれ、見える景色は違うのだ。
わたしは「神々を目覚めさせる」というのが共感できなくてスルーしていたのだが(だって神々ってわたしたちそれぞれの心の中にすまうものなんだから、目覚めるとしたら自分だよね)、結果的には神様が目覚めはじめたのか、人が目覚め始めたのかはわからないが、聖徳太子も、菅原道真も、阿弖流為(アテルイ)も、アラハバキも、三島の神々も、ご縁のある人に憑りついたかのように語り始めているみたいではある。
もちろん、沓島冠島の間に人と神様が共謀してしずめたという、クニトコタチさまも。
高槻って、なんか不思議なところだ。
謎多き阿武山古墳があり(なぜ三島だった土地に、藤原鎌足の古墳?)、そして今これを書くために調べていたら、「聖徳太子」の文字も見える。しかも、「大工の神様」だって。
聖徳太子は「厩戸(うまやど)皇子」って言われてるけど、厩戸でうまれた、ってイエス様とそっくり。しかも大工の神様って。
イエス様は大工のヨセフさんに育てられて、職業は大工。
「人間をとる漁師にしよう」って漁師のペトロ(本名はシモン)とアンデレ兄弟をスカウトしてふたりは弟子になるんだけどね。
そしてそのペトロはめでたく「人間をとる漁師」となって、初代ローマ法王になるのである。
しかも実は高槻は、カトリックの聖地でもある。
キリシタン大名の高山右近は福者としてローマ法皇によって列福されているのだ。
芝公園のすぐそばにある、聖公会の教会は、聖アンデレ教会。先ほどのシモン=ペトロの兄弟である。
この教会も不思議なご縁で昔来たことがある。
すべては繋がってるんだよね。いつか、わかる。だから、探さなくてよい。
南武蔵っていうのがどのエリアなのかがわたしにはピンとこないが、先ほど引用した記事(東京タワー直下の古墳 2004.3.6 東京都港区芝公園4丁目)からも推測できるように、上野の古墳と繋がっていそうだし、安行式土器というキーワードからも埼玉と繋がっていく。すると、埼玉県行田市の 稲荷山古墳 の出土品がすぐさま国宝になったという重要古墳ということなどもとても気になるところである。
古い写真と比べると減っている不思議な石。
(伊能忠敬測地遺功表)
これって船の形なのかなぁ。星とか、波とか、なかなかかわいい。
そして丸山(古墳・貝塚)の麓には、弁天池がある。
弁財天が勧請され、明治時代までは、稲荷妙見菩薩も並んで祀られていた、と書いてある。
お百姓さんが籾を浸しにくるので、島をつくって、祠をつくったのだそうだ。
(弁天池)
花札とかいってるから、札の辻。
札の辻もカトリックの聖地である。
たくさんのキリシタンが、この江戸の入り口で見せしめのために人通りの多い街道の入り口で処刑されたのである。
宣教師の神父様は進行のために死ぬのが尊いっていうし、遠藤周作の「沈黙」で「転んだ神父」はありえないって言っていたけど、わたしは「神様は怒ったり罰したりしない」って思っている。この世は全部間違ってるって聖書でもいっている。
殉教を否定するわけじゃないけど、生きるっていうことそのものが罪なんだったら、生まれていた以上、罪の中で生きるしかないってことだよね。潔癖に生きるのは無理ってことだもの。
「罪を犯したことのない者がまずこの女に石を投げよ」
誰も石を投げることなどできないはずなのだから。
そして、札の辻の隣の表示は「信濃」町。