三島の神様は、とてもお喜びになっており、いろんなお示しをくださっているようだ。
塗り矢伝説から、のちに神武天皇の妃になられる ヒメタタライスケヨリヒメ(日本書紀ではヒメタタタイスズヒメ) へと。
イスケヨリヒメというと、三輪山の麓の狭井川の「さい」が、やまゆりの異称の「佐韋(さい)」であるといわれ、
ゆりは、イスケヨリヒメと神武天皇の結ばれた夜の象徴的な場面に登場する花なのだ。
なので、イスケヨリヒメの実家があったとされる場所にある狭井神社の御神花はささゆりであり、境内にはささゆりが育てられていて、イスケヨリヒメの祭にはここで育てられたゆりが供えられるらしい。
ということで、やはり思い当たるのは、わたしが不思議旅をすることになった原点にいきつく。
それは沖縄の伊江島なのである。伊江島もゆりの島で、5月にはゆり祭があるのだ。
最初にそこを訪れたのは、阪神淡路大震災の年である。
当時、わたしは個人的なことで生活が破綻寸前であったのだが、あのできごとがとどめをさして、生活は完全にこわれてしまった。
でも不思議なことに、助けてくれる人たちが次々と現れ、わたしはその夏なぜか福祉作業所の所長さんのおじさんと、そのお友達の別の作業所を手伝っているおばさん、そして、ヘルパーの兄さんと4人で伊江島の「土の宿」という民宿に出かけることになったのだった。
「かなちゃん、沖縄に介護の視察旅行にいけへんか」
することがなくて、毎日遊びにいっていた作業所のおじさん、コロさんが言った。
「あたしは、青い海白い砂のリゾートに興味ない」
きれいなリゾートというイメージしかない沖縄に興味を持てないわたしはソッコーで断ったが、
「まあ行こう、ハイヤーパワーにおまかせや」
なんかよくわからないまま、その不思議旅行に行くことになった。
コロさんとおばさんだけが知り合いで、他は血の繋がりどころかこの日まで会ったこともない4人組は、年齢的に4人家族の構成に見え、伊江島行きのフェリーの中でも「家族旅行いいですね」などと島の人に言われ、
「そうですねん、美人母娘って呼ばれてますねんよ」などとおばさんは喜んで答え、
わたしたちは、他人の寄せ集めでありながら、外目にはなかよし家族にしかみえなかったはずである。
わたしにも生まれた家に家族はあったが、実の父母よりもよほどこの人たちの方が気があったのだ。
そしてその伊江島の土の宿で、与那原町のくにちゃんと出会い、そのくにちゃんは、わたしをサーダカと気に入ってくれ、わたしが沖縄を訪れるたび、何度も斎場御嶽に連れてゆき、拝所巡りに連れ出してくれた。
このただ木が立っているだけの場所だったり、大きな岩や鯉もいない池の何がいいのかわからずきょとんとしているわたしに
「かなにはこれがわからんか??」と言っていた。
そして、あの拝所が、東御廻り(あがりうまーい)で知られる場所で、とくに、聞得大君が就任するとき、霊力を授かると言われる儀式、御新下り(おあらおり)で回る聖地だったということを20年以上経った昨年、偶然知ることになるのである。
ゆりはイスケヨリヒメの花だったんだよな、そういえば。