【旅のメモ】熊野水軍が平氏を裏切った理由 | かんながら

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昨夏、八ヶ岳で伊勢平氏おじさんがずっと、熊野水軍の親分である湛増(たんぞう)に援軍を送ってもらえなかったことが敗因だ、神示でそう出た(平家に出すはずの援軍を出さなかった)のは、なにか平氏はまちがっていたのだ、としきりにいっていた。
それにより、壇ノ浦で平氏は敗北し、安徳天皇は入水してお隠れになった、とされている。
(阿波には安徳天皇が落ち延びたと言われる里がある)

おじさんとは伊勢平氏つながりである。
おじさんの方は自分ちが当主だったと言っていたが。

今日面白いことをきいた。

湛増は、弁慶の父なのだと。
湛増は我が子の信じる義経に味方したのだそうだ。


闘鶏神社で白黒のニワトリを闘わせたのはフェイクで、初めから血のつながりをとっていたのだと。


なんと人間らしき判断!


わたしは自分が特殊で我が子と他者どころか自分と他者の境界線もあやふやであるが、世の人は(伊勢平氏おじさんも)自分の血を分けた家族に振り回されている。
それが依代となって自分のやりたい神事をを妨げてるとかは微塵も思わない。


ということで、人間は情に弱い!
家族は1番の障壁だとあらためて思ったのであった。