そのうち、と思っているうちに、よりによって年末になってしまった築地行き。
いつももらっていたので、買いにいくのは初めて。
そして目当ての海苔を買ったら、ちょうど4キロ先に、お肉を買いにいくスーパーがあって、ちょうどいい時刻につけることがわかったので、歩いて向かうことにする。
どんな景色をみても、一緒に行った日のことを思い出して泣いてしまう。
ダンナに出会う前の10年は、わたしは会社と家との往復と、決まった飲み屋にいくくらいしかなかった。
だから思い出の場所とか光景というのはまったくない。
どこも一緒にいったんだな、って思う。
そして人間らしい暮らしをさせてもらった。
美味しいものを食べるとか、素敵な場所にいくとか、クリスマスとか誕生日を祝うとか。
いつのまにか高層ビルがいっぱい建った。
気がついたら新橋に到着。
新橋?
こんな風になったんだ。もう丸の内と変わらないな。
新橋に馬券をかいにいくと近所のおじさんが言ってたけど、これなんだ。
もう、ヨーロッパの街にしかみえない。
徳川様のマークと東京タワー。
そして増上寺。
ここも地方の神事が終わってからきたことがある。
わたしは神社だけ巡って平気だったけど(というかお寺はなぜか苦手)、年長の霊能者さんから「あなたはいいけど、ご主人は寺にもいってあげないと苦しいから」って言われて寺にもよることにしたのだった。
東京タワーをみあげていて、そういえば、最初に状況してきたときのマンションは、屋上から東京タワーがみえたことを思い出した。
職場と家との往復しかしない、というスタイルはOL時代通してかわらず、職場から近く、予算内、という理由だけで、当時まだ南北線の走っていない魚藍坂下(高輪一丁目)に部屋を借りた。
その当時、そこはそのアクセスの悪さから「港区のチベット」と呼ばれていたそうだ。
わたしは結局職場と家の往復しかせず、どこも出歩くことがなくてその不便を感じることはまったくなかった。
それを教えてくれたのは、もう20年以上のお付き合いのWeb日記仲間のSさんで、なんとその方は当時私のマンションの背中合わせの建物に住んでいた。
そしてそのことと知ったのはなんと今年の冬である。つまりわたしたちは20年以上、そんなことは全く知らずにやりとりをつづけていたわけである。
わたしは、自分の知人はみんな、偶然と呼ぶにはあまりにもできすぎの人ばかりで「この世には知人しかいない」と思っているのだが、それでも本当に背中合わせのマンションに住んでいたという事実にはびっくりした。まだ彼には直接会ったことはないが、近くのコンビニで間違いなく遭遇していたであろう。
麻布十番で買い物して、駅に向かうと、20年数年前、クビを言い渡された布屋太兵衛。
あの時に食べた鴨南蛮の味がどれほど塩辛かったか。
人生初のクビ。
そして、その後2度クビの通告を受けた。
一度は養老の滝で、「好きなものを食べなさい」と言われて、
もう一度は喫茶店だったが、同じように「好きなものを」と言われた。
会社の偉い人が食事に誘って「好きなものを」というときは、わたしにとっては間違いなくクビの話である。
わざわざ買いにいっただけあって、買ってきた鮭のアラを焼いたのと食べたがとても美味しかった。
でも全形50枚だからこのペースで食べるとすぐなくなる。
今日は20年前の自分を統合したウォーキングだった。