白山通りに導かれ 〜白山菊理媛神と江戸 | かんながら

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旅の記録です

 
 

今日は立春。

昨日菊理媛神さまと言われる方とお会いしたので、お礼に明治神宮参拝のあと、代々木八幡宮。
代々木八幡宮は、菊理媛神様もお祀りされている。
代々木公園の河津(かわず)桜がさきはじめた。
 
そして、ご本人から電話あり。
仕事中で中断してしまったが。

 
 
急に将門公にお参りしたくなり、神田明神を目指した。
なのに、なぜか大手町で途中下車して、将門塚に。
 
 
曇り。でもお参りしていたら頭上の雲に隙間があいた。
 
 
カエルがたくさん奉納されていたことに先日までは気づかなかった。
朝、河津(かわず)桜をみたが、かわずといえば、川衆(かわず)でもあるなと思う。
 
 
神田明神まで歩こうと思って歩き始めた。
実はこの外出は、先日の腰の骨折しての診察帰りなのだが。
 
 
 
皇居前で「白山通り」発見!
向かうべき先は、神田明神か、白山か?
白山麓のジオガイド、サルタヒコ坂井さんに電話する。
 
 
 
河岸(かし)という文字。
今読んでいる、中沢新一著の「アースダイバー 東京の聖地」は長年のわたしの疑問をあっさり解決してくれた考察があった。
それは、少々やんちゃな人たちと、宮中との関わりである。
 
今宮戎を例に、彼らが海人族で、新鮮な魚介を神様への供え物として宮中に届ける役割であったこと、牛頭を祀る人たちで、京都の祇園社は彼らが古くからお祀りしていた場所だったと書かれていたのだが、サルタヒコ坂井さんはあっさりこれらの項目を、白山神社の関わりのトピックとしてあげてくれた。
 
そして、加賀藩と赤門、徳川綱吉が「白山御殿」を持っていたということあたりを、皇居から白山神社(文京区白山)までを歩く間にレクチャーしてくれたのであった。
 
ということで、今日は白山神社に目的地を変更。
 
 
なにげに撮っておいた地名表示は春日局と、稲荷のことが書かれている。
春日局の子孫の方もなぜか知っている。
稲荷つながりであった。納得。
 
 
 
日蓮系の寺が多い(妙見信仰?)が多いのと何か関わりがあるのだろうか。
 
 
白山神社にお参り。
きたことがあるなと思い出した。
たしか白山三馬場巡りをしたころ。
 
 
 
八ヶ岳から、ずっときている聖徳太子。
龍田神社、法隆寺。
大嘗祭の前日の法隆寺での大きな法要は、聖徳太子の慰霊であっただろうとわたしは思っている。
 
もうすぐはじめての紀元節。そして天皇誕生日がやってくる。
 
 
 
 
 
不思議な狛犬さん。
 
 
 
 
 
 
 
加賀藩のお膝元だから。加賀屋。
 
八百屋さんと花屋さんが安くてうれしかった。
負傷しているのに、野菜と花を買って帰るという愚行。
しっかり痛かった。腰が。
 
 
ここも海だったんだよね。
そして船がついた。
だから、宮中とつながりがある。
そして女性も。
 
女性と港、それと情報、そこに神様。
 
 
いろんなサインがあるけど、まだつながらない。
ただなぜか、宮島もここも、どこか似てる。
 
しかし、神田明神の予定が、将門塚から白山神社とは。
菊理媛神さまは、日本最初の夫婦喧嘩である、イザナミ、イザナギの喧嘩をおさめた神様ということに神話ではなっている。
今日は、離婚した昔の夫との結婚記念日だったので、きっとそれで呼んでくださったに違いない。
わだかまりが解けますように。