聖徳太子の再来と、一粒の麦 そして、透明のトイレ 〜"アトランティスの記憶" | かんながら

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旅の記録です

 
デジャヴ?!
 
 
 
いや、間違いない。今年5月に見ていた広告と同じものがかかってる。
 
 
 
こんなことは初めてだ。
なんなの?このメッセージは。
 
わたしにとってはこの広告は「聖徳太子降臨」のメッセージである。
 
続・答えあわせの東京散歩 〜その2 芝公園というお地場(聖徳太子がつなぐ不思議なご縁)に書いたように、この広告には偶然にしてはできすぎなくらいのメッセージが込められている。
 
 
聖徳太子のご縁日の222がバッチリ写り込んでいるデザイン。
 
ラフォーレは、フランス語では森を意味するらしい。
 
この街表参道で、森といえば、もちろん明治神宮だ。
 

 

明治神宮鎮座100年祭は今年11月1日。

 

森ができて、100年の節目の年になる。

 

 

 

しかも、この広告とセット。
 
麦、か。
 
♫ひと粒の麦が 地に落ちて 死ねば 多くの実を結ぶ♫
 
 
 
洗礼をうける前はしろくまさんと教会によく通った。
不思議な集まりにも出たことがあって、キャンドルを灯した小さな聖堂で、ギターに合わせて聖歌を歌う会に行ったことがある。
そのときに聞いた、この曲。
 
 
 
何故だかこのセンテンスがずっとこだまする。
 
 
 
なんなの?
麦だけどさ。オーツ麦。
オーツ?大津?
 
 
それに、
 
アガる、って連呼してるけど何よ。
 
 
やたら「アガ」って書いてあるし、聖徳太子の広告の方のスタイリングも赤だ。
アカ?あ、福井神宮寺の閼伽(あか)井((追記あり)恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 若狭への旅)、そして笠山荒神の閼伽井不動(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その4 飛鳥・纏向編 (後編))のアカ。
アガペー(愛)でもある。
 
アカ、きてるな。
アカは、鉄の氏族、物部のサインでもあるし、何より、丹生(水銀)の印。
 

 

 

一粒の麦、の話は聖書にある。

蘇鉄がもたらす福音の予感 〜龍田神社と聖徳太子

 

に詳しく書いたが、

 

イエス様は、処刑される前、エルサレムに入城される。

そして、民衆は、救い主がきたことを歓迎して、棕梠(シュロ)の葉を振って出迎える。

イエス様は処刑されることがわかっていた。

 

その場面の続きである。

 

ヨハネによる福音書12章24節
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」
 
 
続く25節には、こうある。
「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」
 

 

 

 

月が明るい。

水面に写る月。

 

わたしは大変なお試しをスルーしてしまったのかもしれない。

 

山で(葛の葉をたどる旅の結末は、なんと琉球王朝へ)おじさんがいきなりいった「最高のセックスをして別れよう」。

意味不明だと思ったが、意味はあった。

 

 

「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」

 

わたしは、ほんのわずかに生きるために残している自尊心の方を選んだ。

別に命が惜しかったわけではなかったのに。

 

 

お試しだったか。

 

 

なんでだろう?

何を恐れたんだろう?

もう十分生きたし、やりたいことを残しているわけでもなかったというのに。

 

 

 

 

境内を歩いていたら、先ごろガラス張りトイレという記事をヤマトヲグナ さんが書いていらして、「渋谷区長さんは(広告会社出身だけあって)斬新なものを作るなー」と思っていたが、最近別世界になった宮下公園あたりにできたんだろうと思って気にもとめていなかった。

 

 

なのに。

 

明治神宮でいつものようにお参りしていると、ご近所さんが話しかけて来た。

 

「代々木公園の向かいの小公園」

「はい、プレイパーク?」

「ガラス張りのトイレできたよ」

 

「!!」

 

またしても「印」きた。

3日連続の代々木八幡宮参拝コース決定。

 

 

 

でも、なんのメッセージなんだ?

ガラス張りの新しいきれいなトイレ。

 

しかも地元に縁もゆかりもない人が(本当は、とある神様のつながりがあるからなのだが)わざわざ記事にして知らせてくれるとは。

 

大事なメッセージは意外なところからもたらされる。

 

サマリーさんや、Sarah(サラ)さんも今や同じ命を生きてるのかと思うくらいいろんなことが重なり合うし、その友達とか、まだ交流のない人とも今すごい勢いでシンクロしてる。

拒絶を受けている人も含めて。

伊勢平氏おじさんもそうだもの。

残念ながら、彼とは折り合えない根本的な問題が横たわっていて、何かが起きるたびに痛みを伴う。
 
 
突然音信不通にされたり、(つきあってないけど)「別れてくれ」って言われたり、ブロックをくらったり。
 
 

 

 

でももう時間がない。

 

そう、もう、時間がないんだ。

なんなんだろう、この感覚は。

 

すごく深いところからこみ上げてくる悲しみと無力感。

 

 

 

竹藪は、滝を意味する。らしい。

瀬織津姫。

いつも、おじさんが祈りの時に呼ぶ瀬織津姫。

五十鈴川のほとりに祀られる滝祭神。

 

三輪山の神さま。

三角の小さな磐座。

 

瀬織津姫は、きれいな神様じゃない。

何故なら、皆の汚れを引き受ける神様だから。

本当はきれいだけど、きれいに見えない。

汚水が、せせらぎの水と同じようには見えないように。

 

水という分子はいつも純粋で無垢であっても、人は、そこについている「目に見える汚れ」が目につくから。

 

 

人もそう。

「たま」はひとしく美しく無垢であるのに、皆、自分の方が優れているとか、あいつは劣っているとか、自分は汚れているとか。

それは「たま」でも「本当の自分」でもない。目に見えるものは、みな幻想なのだ。

 

 

思い出してよ、みんな一緒なんだよ。

敵も味方もないんだよ。

だって、私たちは、同じソース(源)から来た。

 

 

わたしには、妄想かもしれないが、命の生まれる場所の記憶がある。

 

そして、現実の世界でもそことそっくりの場所に行ったことがある。

しろくまさんと何度もいったマウントシャスタで、たまたま見つけた氷の洞窟。

「ここ、命の生まれる場所だよね」

そう言って、命の水が、ゆっくりと滴り落ちるさまを長い時間黙って眺めた。

 

 

水は、どの水も分子のレベルではほんのわずかな差もなく、おんなじなのだ。

 

 

 

 

 

♫一粒の麦が 地に落ちて 死ねば 多くの実を結ぶ 多くの実を結ぶ♫

 

 

あ、これって大宜津比売(おおげつひめ)の歌だ!!

 

Wikiによると

高天原を追放された須佐之男命は、空腹を覚えて大気都比売神に食物を求め、大気都比売神はおもむろに様々な食物を須佐之男命に与えた。それを不審に思った須佐之男命が食事の用意をする大気都比売神の様子を覗いてみると、大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。須佐之男命は、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大気都比売神を斬り殺してしまった。すると、大気都比売神の頭からが生まれ、目からが生まれ、耳からが生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部からが生まれ、尻から大豆が生まれた。

 

とある。

大宜津比売は死に、蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆を生み出す。

 

同様の話は、月読命と保食(うけもち)神との話でもある。

 

一人の女神が、男神の誤解によって殺され、子孫を食べさせるためのものを生み出すようになる。

そして、2000年以上の時の命を繋いできた。

 

日本では、一粒の麦は、女性神だ。

 

 

 

 

 

で、トイレ。

上の写真が、透明状態(外の公園が見える)。

 

 
こちらが使用中の状態(すりガラス)。
 
 
 
沖縄の大石林山のガイドさんが教えてくれた開運法。
それは、「キッチンとトイレをきれいにする」ということだった。

 

ありきたりかもしれないが、彼の教えてくれた理由が、とてもわかりやすく、納得できた。

 

 
「キッチンは、命を殺す場所。そして、私たちの身体でそれをありがたくいただいて、その命を見送る場所がトイレだから」
 
 
だから、沖縄には、キッチンに「ヒヌカン」という神様を祀る。
元は三ツ石である。
わたしの印象では、三宝荒神ときっとルーツは同じである。
そして、出雲の佐陀神社や、出雲大社で神在月のほんのわずかな時期に出る龍蛇神も、同じものと思われる。
 
 
photo by Hiro Ichikawa
 
 
 
でも、トイレは?
 
「トイレの神様」っていううたがちょっと前に流行って、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)のお札が人気になったこともあるけど、キッチンに比べたら疎かにされている。しかもトイレって「通過地点」だ。
 
本当に思いを向かわせるべきは川であり、海だ。
 
 
「アトランティスの記憶」という記事を、ずっと昔に書いた。
レムリアなのか、アトランティスなのか、わたしにはよくわからないけど、わたしの周りには、無力感とともに海に沈んだ記憶を持つ人が多い。
 
 
私たちは高度な文明を持っていたが、それがゆきすぎて、ある日、海に沈んだ。
私たちが海に沈む時、私たちの持っていた、知恵は、海で生きていくことのできる、イルカに託した。
 
だから、イルカやクジラには人を癒す力がある。
 
 
 
しろくまさんは、イルカとクジラを追っかけて世界中の海を巡っていた。
彼の会社の名前は「セブンシーズ」だ。
彼は、理想の父親がクジラ、理想の友達がイルカ、理想の母親が、しろくま、って人だった。
子供の時から、あんなにも海を怖がっていたのに、大好きなイルカやクジラに会うために、それを克服して、ダイビングの世界に飛び込んだ人。
 
 
彼は、命をかけてわたしを守ってくれた。
今度は、わたしは、彼の愛するものを守る。
 
 
 
海が泣いている。
川が泣いている。
大地が泣いている。
女性が泣いている。
 
 
アマビエもきた。
 
 
 
もうすぐ75回目の終戦記念日。
静音・濁音合わせて75音の真澄の鏡。
 
出口王仁三郎は、オニペディア(Onipedia)によると

鏡は神であります。さうして言霊であります。言霊七十五音を真澄の鏡と申します。三種の神器の一を八咫の鏡と申すのは即ち七十五声の言霊であります」〔第12巻第30章天の岩戸#

 

という言葉を残しているらしい。

 

 

 

鏡(かがみ)は、「我(が)」を取れば、「かみ」になる。

 

 

 

我(が)」をとって、むつみあえるか。

75回目の終戦記念日は、本当の終戦記念日にきっと、なる。

 

あと、1週間。まだチャンスは残っている。

 
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