海行かば | かんながら

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旅の記録です

 
今まで気づかなかったが、東郷平八郎元帥が祀られている東郷神社の手水舎は、ひょうたんであった。
ひょうたんは「よさ」とも言われ、海人族の印である。
 
そして、海人族といえば有名どころは海部氏。
海部氏は、丹後の元伊勢籠神社の社家である。
 
籠神社は古くは「よさ」の宮といった。

これは長くなるので、またの機会とするが、結構大事なことである。

 
 
 
今朝起きたら、いきなり、「海行かば」と降りてきた。
 
STAY HOME の副作用で海に行きたい病が出たわけではない。
「海行かば」を知っている人は、コアな人である。

 

戦争を思い出すから嫌だとか、戦死を美化しているとかいう意見もある。
若い人でもレムリアな人たちは争い自体が恐怖で思考停止しやすいからきっと嫌いであろう。

 
でも、そう思う人にこそわかってもらいたい。
この歌の向こうにある大切なこと。
 
だから、今日はそのことを書こうと思う。

 

 

 

「海行かば」

うみかば かばね
やまかば くさかばね
おほきみにこそなめ
かへりみはせじ
長閑のどにはなじ) 

 

 

 
 

この歌を森で思い出していたら、山の辺の道の景色が思い出されて、

古墳群を歩きながら、この大王(おおきみ)を支えた無数の人たちの存在や、その思いが流れ込んできた。

 

「海行かば」は、万葉集にある大伴家持の長歌からとられたものだというではないか。

 

ようやく、山の辺の道の「大和神社」と、呉の「戦艦大和」がつながったのであった。

 

 

 

出雲の国譲りが有名だが、私たちのこの国は、古より無数の勝負の結果により、「統一」して(されて)きたのである。

 

神武天皇の東征は、神武天皇 VS 地元の豪族という単純な図式ではなかったはずである。

そこには、その土地に昔から住まう民がおり、その土地にきて日の浅い渡来人もいた。

 

よその土地の姫君が、御輿入れしてくる(嫁いでくる)という友好的なやり方ばかりではなく、

戦によって、両者が交わりあい、統一されることもあったのである。

 

戦況によって、どちらにつくかは、一般の民衆や渡来人など、弱きものにとっては死活問題であったはずである。

 

だから、自分たちがつく大将を戦況に応じて乗り換えるなどざらにあったであろう。

 

忠義を尽くすのが武士の道、みたいな理想があるけれども、教育せねばならぬということは、人間は教育しなければ忠義より我が身大事で選んでしまうものだということなのである。

 

 

 

 

 

戦いに敗れた大王は死したのち、手厚く葬られた。

そして、そのことを知るものたちによって、祀られてきたのだ。

あなたの地元にある神社の多くはそのなごりである。

 

よく調べれば、かつて、そこでどんなことがあり、なぜその神が祀られるようになったのか、地域の歴史と結びついて理解できるはずである。
 

 

オオモノヌシが自分の子孫のオオタタネコに自分を祀らせよ、といったというのはそういうことなのだろう。

 

戦いに敗れて亡くなった豪族であるオオモノヌシが祀られることを望んだ、というよりは、生きている方のオオタタネコの気持ち(つまり生きている人の想念:生き霊)を鎮めることが大事だったということなのである。

 

 

 

 

でも、本当は、古墳に葬られた大王より、何倍、何十倍、何百倍、何千倍もの犠牲がある。

むしろ、その人たちの方が無念であったであろう。

そして、主人を喪い、残されたひとたちの思いはどれほどだったであろう。

 

オオタタネコは、生きている人であった。おそらく、負け組で生活は苦境に立たされていたのであろう。

生きたその人の思念(恨み)が、大王のまつりごとの邪魔をしたのであろう。

思いだけでなく、具体的になにかしていたかもしれぬ。

それとも新しい大王が罪悪感でいたたまれなくなったのかもしれぬ。

 

だからそれに困った新しい大王が、国を譲った(つまり負けて死んだ)先祖の供養として、宮仕えを頼まれた(仕事をもらった)のだとわたしは思っている。証拠はない。わたしだったらそうするというレベルの妄想である。

 

 

 

 

わたしたちの国の歴代の大王、つまり天皇は、そうして残された人(遺族)が困らないようにケアしてこられたのである。

だからこそ、負けた豪族についていた人たちも、新しい大王の世にそうてきたのであろう。

 

 

 

 
 
戦争のこわさも その意味も
しらないままで 童顔に
お国のための 合言葉
一ずに抱きしめ 散った花
 

太平洋戦争のとき、日本海軍にも、特年兵というとてもとても若い少年兵がいた。
昭和の白虎隊と呼ばれた彼らのことも戦後25年を過ぎなければ、表に出ることもなかった。
 
しかし、それを知るひとたちによって明らかにされ、後世に伝わるようにと東郷神社の境内にはその碑がある。
 

 

 
そして、香淳皇后の御歌(みうた)が刻まれている。
皇后は、国民の母なのだ。
 

 

 
亡くなったものたちは、帰ってこない。
生きていたときには様々な無念があっただろう。
でも、身体を離れたら、しがらみはもたない。
しがらみや感情は、肉体を維持するためにだけ必要なものだからだ。
 

神道では、人は死んだら神になる。
 

神には、憎しみも、恨みもない。
 

だから、死者に生きている私たちが、生きている人間の感覚で、恨みや悲しみをかぶせてはならない。
そうすれば、御霊は、生きている人たちの低い思い思念によって神上がりできなくなる。
 

せっかく一番重い、身体というものを脱ぎ捨てて、自由になったというのに。
 
 
STAY HOME
緊急事態宣言が出されて、たくさんの人が犠牲になっている。
コロナで命の危機に瀕している人もいるかもしれないが、
経済的な危機に瀕して生活が危うい人は少なくとも身近にもたくさんいる。
 
どちらの国の薬が効くとか、効かないとか、
マスクがどうだとか、
タネをとってはいけなくなるとか、
憲法改正やむなしとか、
 
大混乱に乗じてなんか戦争みたいだ。
 
火事場泥棒、って言葉があるが、このの混乱のどさくさに紛れてなにかを奪おうとしている存在もかんじる。
本当にコロナの問題なのか?とも思う。
 

 

 

でも、そんなことはどうでもよい。

せっかくこんな機会はないのだから、是非とも自分が今、縁している場所、そして生まれた場所について知ってほしい。
それは、自分の氏神様との関係をつなぐということである。
 
そしてただ、御祭神を知るだけではなく、その土地でなにがあったのかを知ってほしい。
御祭神とつながる歴史がきっとある。
 
 
それは、2680年前、神武天皇が即位され、この日本国ができてからずっとわたしたちの先祖が続けてきた「まつり」である。
そしてその祈りこそが、日本が特別な国であった力の源である。
 
今の天皇は126代となられる。
今上陛下は、史上はじめて、この世に誕生されたときから、「国民の象徴」とされた最初の天皇である。
 
 
昭和の時代も、平成の時代も、わたしはたまたま通りがかりで、天皇陛下のお姿をお見かけしたことがある。
 
通りすがりの幸運であったが、その姿をみて、この方を「象徴」にいただくって
 
無理でしょ!?
 
って思った。
自分があんな風になれっこない。
 
 
でも、
 
憲法にそう定めたかぎり、そうなる。
しかも、恐ろしいことに、天皇陛下が、「国民の象徴」となってしまわれる。
 
少なくとも私たちの意識が、「天皇陛下は(私たち)国民の象徴」とセットされているからである。
 
私たちの意識が低ければ、その象徴となってしまうではないか。
 
 
 
 
歴代の天皇が、この国を保ってこられたのは、陛下を大王としていただき、国民が支えてきたからでもある。
しかし、やはり天皇陛下と皇后陛下が、わたしたち国民を大御宝としてはらに入れ、大王として、すべてのできごとのことをおさめてくださっていたからなのである。
 
私たちの意識は、大王たりうるであろうか。