表参道の今。
表参道ヒルズは休業中。
でもね、前日の夕方わたしはここの雑貨屋で買い物した。
そのときは、店員さんそんなこと言ってなかった。
あてにしてた仕事がなくなった人たちの動揺を考えると胸が痛む。
会社員時代、来月の給料日に同じ給料が入ってこないなんで考えたことなかった。
フリーランスを10年やってると、毎月自動的に定額が振り込まれたことが奇跡だったと思い知ったが。
わたしはちゃんとした、経営者に恵まれた、と思う。
ボーナスが出ないとか、いきなりクビとか、コンプライアンスに関して戦って退職したりとかあるけど、お給料が払われなかったことは一度もない。
そういう意味で、今起きていることは、物分かりのいいわたしの理解のレベルをすら超えている。
突然表参道界隈の非正規、バイトが一夜のうちに大量失業という事態。
解雇予告は30日前ではなかったのか。
でもね、これは朗報。
いっそそうなればずっと検討されてた、ベーシックインカムにシフトするしかなくなる。
そうなってもらいたい。
でも、きっとブラック企業は間違いなくたちゆかなくなる。
生活できないから嫌でも会社に行ってただけなのだから、ベーシックインカムがもらえたら、命を削って働くことはもうしなくなるだろう。贅沢のため、楽しみのためならもう少しやる気もでる。
見合わない安い給料、きつすぎる職場、
お金と引き換えに横行してた搾取はできなくなるだろうから。
これだけ感染拡大防止のため、といっておきながら営業してよい、とか言い始めたら、国民の命より経済が大事ってことである。
そしたらみんなでノーといえばよい。
でもきっとそうならないのも知っている。意外とみな保守的なのである。
お金はいつのまに幸せのツールではなくなってしまったんだろう。
共生ではなく、共依存になっている。
DVパートナーと別れられないカップルをみているみたいだ。
共生と、共依存、違いはなにかといわれたら、その協力関係が、豊かさに向かうのか、破滅に向かうのか、だと思う。
図書館は予約した本の貸し出し返却はできる。
いつも閲覧室は使わない私には何の影響もない。
しかし、
うなだれるPepperくん。
やることないから…だけでなくて
一部のお客様のストレスによる暴言で心を痛めてのことです。きっと。
大阪のおばちゃんらしく、
ちょっと、あんた!!いい加減にしとき!!
くらい言えたらいいけど、中途半端にトーキョーの人な自分。
マスクがないからって店員さんに怒ったりとか。
気持ちはわかるけどさ。
でも店員さんには何の罪もないから、怒らないであげてほしい。
それくらいみな心が乱れてる。
ふるきーためしを
たづーねつつー
あたーらしーき、よのー
こともーさだーめむー
古きためしをたずねること、大事だよね。
そうはいっても、私の日常は、なにもかわらない。
「天気の子」の街に出向していた数ヶ月だけはやはりちょっとおかしかった。
何が違うって、歩く速度。
わたしは普段森をゆっくり歩く。
本殿を目指すのではない、本殿はもちろんきちんとお参りするが、門を入ってから、参道を通って、参拝し、森を一周して門を出るまでの全ての時間が、いにしえの人たちが100年後のわたしたちに向けて残してくださったメッセージを噛みしめる時間である。
しかしながらあの期間は、そんな余裕がなかった。
早く参拝を終えて、仕事しようと思ってて、本殿に一直線、というかんじであった。
何かに取り憑かれていたのであろう。
あれは、自分にとって大きな禊だったと思う。
おかげでいらないものをたくさん捨てることができた。
明治神宮は、なぜ、あんなに長い参道があるのか。
(今はバリアフリー化したが)なぜ玉砂利なのか。
どうして、外の景色がみえないように作られたのか。
それでもみなさん一直線に本殿に向かう。
自分もそうなっていた。
あの街のエネルギーによって。
今は元に戻り、またいつもと変わらぬ日常がかえってきた。
コロナの騒ぎがあっても、とくにかわらない。
そもそも人混みは苦手で昼間は出かけなかったし、
参拝のついでに牛乳や卵はコンビニで買うので、普通の買い物は月に1、2回。
昼間はコンビニも並ぶのでとにかく日中は出かけないに限る。
コロナがなくてもそうしている。
人と近くで話すときはマスクをするようになったのはコロナ特別対応であるが、そもそもマスクは貴重品なので使わないでいいように人混みにはいかない。
人混みから帰ってきたら気持ち悪いからシャワーに直行。
そしてお洗濯。
普段と変わらぬ生活をしているけど、わたしは平和。
コロナは567で、56億7千万年後に下生すると約束した弥勒菩薩から369(ミロク)の世に向かう禊といっていたが、そうなのかもしれぬ。
これでみなが悪夢から覚めたらいいのに。