令和2年11月4日。
明治神宮鎮座百年祭直会の儀の当日。
この日で、百年の節目の祭典も終わる。
ちょうどわたしも節目のようで身体が冷えてしょうがない。
こういうことは前にもあった。
ちょうど10年前。
そして部屋を引き払って、カミーノ・デ・サンチアゴ 巡礼の旅に出掛けたんだった。
このまま冬眠(だったらいいんだけど)しそうだったから日記仲間にUberEatsでフライドチキンを差し入れてもらった。
ジャンクフードや酒で波動を下げないとアセンションしてしまいそうになる。
届いたフライドチキンを食べてもビール1杯欲しいと思わなかった。
なにわの審神者(さにわ)は、「肉と酒は最悪!」っていうけど、水しか摂ってないと浮世離れしすぎて世の中に適応できない。
いや、彼とも肉と酒だったような気がするが(都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 護国寺から靖国神社へ(その2))。
でも、本当は最悪なんだろうな、肉と酒。
伊勢平氏おじさんとヨギの治療師と3人で飲んだ(満月と酒と、アワとスワ)が、彼らの方は確かに過ぎるほど人間らしかった。
毎年奉納される、笠間稲荷神社さんの菊も見頃。
「うがふくさん(狐の帰る國〜うがふくさんとの旅)」を通して笠間稲荷神社に縁ができて、自分自身が稲荷の御用をすることになろうとは、ここにくるようになった8年前には思っていなかった。
そういえば、もうすぐ9年目になろうとしている。ここに来るようになってから。
伊勢平氏おじさんに最初に会ってからそれくらい。
その頃ご一緒だった人たちも、お引っ越ししたりで少しずつ見かけなくなった。
昔からわたしのことを知ってて、最近声をかけてくれるようになった人たちもいる。
彼らも、同じように人の入れ替わりから、時のうつり変わりを感じている。
あの満月の飲み会以来に遭遇した伊勢平氏おじさんには、いのちをつなぐためにわずかに残しているエゴを粉々にされそうな勢いで拒絶された。
でも、よく考えてみれば、これが普通なのだ。めずらしく連絡が多かった時期は、水星が逆行していた期間と見事にかぶる。
早朝に、ヨギの治療師に、「治療して」ってメールしておいた。
「来てくれたらみてあげる」って返事がきた。
動けないから、頼んでるのに。
でも、意識を繋げてくれたのはわかって、体温が戻ってきて電車に乗れた。
承認欲求って生命維持のために大事だっていうけど、デフォルトで親や家族から受け取るはずの承認欲求がなかったわたしが今まで生きてこられたのは奇跡かもしれない。
なにわの審神者(さにわ)は、「体温がさがってきた」って言っただけで、「人とつながってなあかんやつ」とすぐ見抜いた。
「なんか今、生きている感じしない」って言ったら
「これはいのちの電話や」って言っていた。
わかるのか、この人も。さすが宇宙人。
どおりでこのところ、ブログを見てる人も見てない人も、古くからの友人たちが何か察してメールや電話をくれる。
その人たちはもれなくすごく純粋で、真っ直ぐな、ごまかしのない人たちだ。
ババが「仕事しなさい」って言ってたのはそういうことだったんだ、と今ごろわかる。
そして、ノロとか霊的な仕事をする人は「親から捨てられる」って体験をするっていうが、その意味もようやくわかった。
電車から山が見えて、とても綺麗だった。そのまま帰るのは惜しいと思った。
行くなら大山だ。大山阿夫利神社。今、大山がきてる(めくるめく、うごく)。
これも書きそびれたが、先月のことだったと思う。
明治神宮の北を守るように鎮座されている津島神社の敷地に稲荷が一緒に祀られてて、稲荷は、別の場所に移された、
と教わったのだ。
そして、
明治神宮ができるよりずっと前から、大山へと詣でるための大山街道はあり、この場所はとても重要な場所だった
ということも。
わたしは、大山のことは全く知らなかったのだが、昨年の今頃に縁ができたブロ友さんと、内藤新宿のある場所で飲んでる時に「大山石尊大権現♫」と歌いながら解説してくれたのだった(大山石尊大権現〜クリスマスのしるし?)。
そして引き続き、やんごとなきお方のお茶会で(お茶事も神事)、雨降山大山寺の印塔の額を見て、上がったのであった(雪の祝福〜大山阿夫利神社)。
外宮・内宮 が御鎮座されている。