狐の帰る國〜うがふくさんとの旅 | かんながら

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旅の記録です

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2017年11月の午の日(今調べたらそうだった)に白山麓のとある温泉から笠間稲荷の白ぎつねの親子をお預かりすることになった。あらためて振り返ってみてびっくり。意外と短い。ずっとずっとながくお祀りしてきたと思ってたから、記憶というのはあいまいなものだ。

この白ぎつねさんをわたしたちは「うがふくさん」と呼んでいた。お母さんぎつねを「うがさん」そして小ぎつねさんを「ふくちゃん」と呼んでいたのである。

この「うがふくさん」とのご縁は、2015年にすごく久しぶりに久高島に行ったとき(夫には初めての久高島だった)からはじまる。
せっかくだからガイドさんを頼もうということになり、ツアーを申し込んだら、一組が白山麓のご夫婦で、もうひとりが(デビュー?前の)おつなぎ役・我那覇れなちゃんというなんとも奇妙なグループでの旅になった。そして、ガイドさんは、わたしが何にも知らずにはじめて久高島にわたった二十数年前に泊まった宿の神女のおばあの親族だった。

ツアーメンバーの2人があまりにも真剣すぎて(奥様の方とは普通に話した)、ツアー中は全く話すことはなかったが、別れ際に(他生の縁だから)facebookだけ交換して別れた。
わたしはこの世で出会う人はみんな知り合いばかりだと確信しているけれども、この時も結局いろんな縁がかさなりあって、また出会うことになった。たぶん、今世もいろんなところで出会っていて、検証のしようはないが、きっと過去生でもなんども会っている。
ちなみに我那覇れなちゃんとは、ダンナが亡くなってから久しぶりに連絡をもらい、この時以来ぶりに会うことになった。

つまりこの白ぎつねさんの親子とは、久高島が結んだご縁なのだ。
そして、記録によると、白山でうがふくさんをお預かりしたあと、クルマで丹後の小長谷修聖先生のところにお邪魔した(ようだ)。
だから、うがふくさんは、丹後にも一緒に旅したようである。そして小長谷先生とのご縁は、今調べてみたら、なんとその日が最初であった。
つまりうがふくさんは、小長谷先生のご縁の最初からご一緒だったのである。

小長谷先生のところに上がったときに、いただいたご神示のおうたには、宇迦之御魂がでてきて、そしてお会いしたとき、「あんたは宇迦之御魂や」といわれたが、わたしは「子どもと離されたからな」くらいにしか思っていなかった。
大阪には「葛の葉伝説」というのがあって、信太の森の狐が安倍晴明を産み、そして森に追われる、という話がある。
そして先生は、「ここにはあんたの祖父が連れてきた」とおっしゃった。それは伊勢平氏につながるルーツを調べて旅を続けていた祖父のことであった。

ただ、小長谷先生はクルマにうがふくさんが乗ってきたことや、わたしに子どもがいたことは知らなかったのだ。
わたしはその日も「子どもは」と聞かれて、私の定番の「私たち夫婦にはおりません」と答えたからだ。
そう思って今この時のご神示を読み返すと不思議である。
(下に音源から起こした、わからないところはそのまんまの形でご神示をのせてあるのでよかったらどうぞ)

この旅の途中、立ち寄った籠神社で、祝詞本をいただいてて帰った。
そしてお連れしたうがふくさんは、「天使部屋」と呼んでいた私のサロンにおしずまりいただいた。
ファティマやルルドからお連れした天使やクリスタルが配置された小さなお部屋にそれなりの大きさのある、うがふくさんがご鎮座されて、部屋の雰囲気は一変してしまった。狭い部屋の床の4分の1ほどをうがふくさんが占めていらしたからだ。

当時すでにわたしはスピリチュアル系の仕事は引退していたので、友人的なお客様しか来られなかったが、それでもサロンを訪れるお客様は部屋の変容ぶりにびっくりしていた。

神棚はリビングにあり、みそぎのおおはらいを夫婦で奏上するのが日課になっていたが、うがふくさんをお連れして、はて、うがふくさんは、どうお祀りしたらいいんだろうね、ってうがふくさんの前に座って考えた。
そのとき、この旅で買ってきたあたらしい祝詞本をめくってみたら、まるで、うがふくさんが、「これをあげて」と言わんばかりに、裏面は、稲荷祝詞と稲荷秘文など、稲荷の祝詞がのっていた。

わたしたちは毎日リビングの神棚でみそぎのおおはらいを奏上したあと(わたしはそのほかにもあずかっているいくつかの祝詞をあげるのだが)、天使部屋に移動して、ふたりで「稲荷祝詞」と「稲荷五社大神祓」「稲荷秘文」をあげることが日課になったのだった。

 

(つづく)

 

すおあえい
よせてはかえす なみのおと
たまのふるさと なつかしきかな

りゅうぐうの えにしにおりて うつしおに
うまれいでたる ふたりなるかな

うがみたま それりゅうたいと いうならむ
ふしぎなゆめを さずけあるなり

まちにまつ あきらめかけし えにしおば
むすびたまいし りゅうぐうのかみ

みちびかれ めぐるれいきに みせられし
くしみなひかり うつしみむかな

それぞれに このよにうまれし やくめあり
まことをもちて つとめゆかなん

だいうちゅう ゆたかなしんきを とようけの
かみとたたえむ まないはらなり 

まないはら あめのみなかのしんきうけ
あたらしきみち いっぽふみだす

ともどもに おのがしめいをはたしつつ
せかいのへいわを いのりあゆまん

さまざまの ぎせいのうえに たついまぞ
へいわのいのり ゆめわするなよ

そらはれて すみわたりたる このひかな
あまのはしだて てんちにかかりて

あめつちの かみのかよいじ はしだての
しんきをうけて いっぽふみだす



あめつちの せかいにしめす そのすがた かみのみやれというならむ
うつしみおかしうるわしき てんちのかんに いかされし
わがみのしめい しっかりと まことをもちてはたすべし

おのおのひのでをこころにて やくめはたせばかならずや
ひかりのみちがひらくなり きょうのえにしをことほぎて
いわいのことばとしるすなり

はしだての うちとおなみも おだやかに
おさまるみよを まつのかぜふく