弟橘媛に招かれて | かんながら

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旅の記録です

 
神田明神をお参りして、うなぎをたべたいなって言ってたんだけど、昨日は日曜で休みで、神保町でステーキをごちそうになった。
 
 
 
このお正月は20年来の付き合いのWeb日記仲間たちにむっちゃ優しくしてもらっている。
きっと今どきの人はしらないだろうが、ブログやSNSができる前からネットで日記の交流はあったのだ。しかも当時は匿名なのに、みんなお互いのことをよく知ってた。とってもリアルな関係だった。その前にパソコン通信というものもあって、とにかくみんな知り合いだったのだよ。
 
はじめてのぼっちお正月だから、みんな気にかけてくれている。
 
ちぇりさんに、タイ式やって貰った上、ワインやチーズを差し入れてもらったりとか。
 
人の優しさが身に染みるお正月である。
血を分けた肉親より、わたしには血縁のない人のほうがよっぽど近しい家族なのだ。
 
 

さぼうるでケーキを食べるはずだったが、うなぎの下見に神田明神に行こうということになり歩いた。

このあいだ裏手のお社しかお詣りしてないからね。

 

神田駅近くは新しいビルが建っていたり、別世界。
いなり寿司で有名な、うがふくさんの実家のご主人が学生時代にバイトしていたというしのだ寿司があったりして、やっぱりいなりきてるなって思ったり。ちなみにいなり寿司のことを「しのだ」というというのも、うがふくさんが教えてくれたのだ。
 
神田明神についた。
すごい行列だった。
明治神宮より凄かった。
 
 
だから早々に諦めた。写真を撮ることも忘れるくらいのすごい人だった。
もう5日だというのに。
そして裏手のお稲荷さんに挨拶して帰る。
 
 
そして、喫茶店を探しに御茶ノ水方面に歩いたら、看板を発見!
このところ、町名にとても反応するわたしである。
 
 
 
妻恋。群馬にもある嬬恋。
なんか馬が見えるのは私だけ?
そういえば、群馬って、馬って書くんだな、そういえば。
 
日本武尊と弟橘媛。
わたしは弟橘媛は海に身を投げたんじゃなくて、海賊に差し出されたんじゃないかとなんとなく思っている。
でも、彼女の犠牲によって日本武尊は難所を乗り切り、東征に成功したことはまちがいない。
 
そしてご近所に妻恋神社があると書かれてあるのでいってみる。
何と言っても御祭神は三柱。
日本武尊、弟橘媛、そして、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)!
 
いなりきた!
 
なので、こちらを参拝することに。
 
 
 
 
 
(馬頭観世音の石柱)
 
(引用ここから)
「馬頭観音」とは、六観音(ろっかんのん)※の一つで、馬頭観世音(ばとうかんぜおん)とも呼ばれます。
頭の上に馬の頭をいただいていることから、六道(ろくどう)※の一つの畜生(ちくしょう)界を済度(さいど)※するといわれ、馬の守護神として昔から広く信仰されています。
観世音菩薩三十三化身(かんぜおんぼさつさんじゅうさんけしん)※の内、唯一忿怒(ふんぬ)の相をしています。第三の目も持ち、普通は三つの顔(三面)で、腕は二つまたは八つ(二臂(にひ)・八臂(はっぴ))もっています。
怒りが強ければ強いほど馬頭観音の人を救う力が大きく、また馬は大食であることから人々の悩みや苦しみを食べ尽くすといわれています。
(ここまで)
 
やっぱり馬なんだ。なんかわからないけど、馬。
稲荷は、午の日に稲荷山に降りたというし、馬とかかわりがあるのだけど、なんなんだろう。
今はまだわからないけど。馬なのだ、いなりは。
 
そして石。
ミシャグチ神。
 
 
 
これからなにがわかることになるんだろう。
とりあえず、今日もいなりの旅だった。