今、いなりがきているわたしである。
なので、いなり情報は自然に入ってくる。
先日ラグビー観戦に連れ出してくれた大阪の知人が花園神社に行きたいといったので案内したが、なんと花園神社は大阪から勧請されたいなりであった。元の名を三光院稲荷。
今日は長蛇の列で参拝は断念。
今年はお正月が長い。
いつも同じ場所なのは、お年寄り年配の方だからだと思っていたが、わたしより若い伊勢平氏筋の方もよく近くの場所に行かれることに気づいたからだ。
場所が人を呼ぶ。
神様が人を呼ぶ。
繰り返し行く場所は呼ばれてる可能性が高い。
そういえば、「伊勢」丹じゃん?
そして花園神社はかつて、今、伊勢丹のある場所にあったことが判明。
伊勢平氏筋のおふたり(美志摩も行くわけなのだが)がピンポイントでよく訪れているこの場所はどういう場所なんだろう。
新宿のこのあたり、昔何があったんだろうと気になって、調べてみたら、高遠の内藤氏により内藤新宿という宿場ができ、飯盛女と呼ばれる、ようは遊女のいる花町で、その後遊郭になった場所。
亡くなった遊女が捨てられる投げ込み寺などもあった。
内藤町は主に新宿御苑。
ずっと気になっていた巨木の茂みを訪ねてみることに。
途中花園の地名。
ずいぶん四谷に近いところが花園だったんだ。
川べりに柳。
今は川はないけど、きっとあった。
そして、なんかこの光景みたことがある。
たしか鹿島神宮でうなぎを食べた時。
高遠は桜で有名な場所だということは、亡くなったダンナがいっていた。
守屋山の帰りに。
守屋山に行った経緯も不思議で、ある日お客様が訪ねてきて、「先生に守矢資料館に行って欲しい!」と言ってこられたからだ。
わざわざ予約をとってその伝言をしてくださるというのは、何かあるのだろうと思い、出かけたという経緯。
ちょうど阿波の旅を終えたところで、いろいろ重なる部分があったりで、ほーーと思った。
ただし、わたしは判断できるほどの知識も知性も持ち合わせていないので、みたままそのままをアカシックに格納したにすぎないのだが。
実はわたしはこの地には一度呼ばれている。
なぜなら引越しを考えて部屋を探したときにいの一番に紹介されたのは、新宿御苑一望のまさにこの場所だったのだ。
そのときは諸般の事情でお断りしたのだ。
そのときは「大京町」と聞いていたから、「内藤新宿」とつながらなかったけれども、その部屋から間違いなく見えたのは内藤町のここと新宿御苑なのであった。
多武峯神社のご祭神は内藤の名の通り藤原鎌足。
そしてこの社は奈良の春日大社から勧請。
相殿に
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
天児屋根神(あめのこやねのかみ)
そして姫神(ひめがみ)
姫神。
宇佐神宮の奥宮のある御許山にお祀りされていらっしゃる姫神さま。
いつもきらっきらの光とたくさんの蝶をまわせて歓迎してくださる。
とにかく新宿は高遠の内藤氏が作った。
そして、高遠はすぐそばに守屋山。
なにか、あるんだろうなぁ。
うーーん。やはり信州そばは戸隠がいいなぁ。
長野の友人は東京のそばは、ばあちゃんの打った蕎麦と違うから食べれないといっていたが、わたしもはじめて違うって思ってしまったよ。夏は美味しく食べられていたのは、ご馳走になっているからシビアな味覚は封印してたんだな。
とにかく気持ちは中社のうずらやのそばがきに。
レンタカーのスタットレスタイヤで七曲りを上がれるのであろうか。
そういえば10年前の立春の日にも友人を案内したな、戸隠。
戸隠といえば岩戸開きのお神楽。
岩戸開きもくるのかな。