わたしの中のせめぎあい | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
 

あまりにもいろんなことがすごいスピードで起きていて、記録すら追いつかない。

 
でも大事なことなので忘れずに書いておこう。
 
 
9月2日 満月。
川口由一さん(飛鳥の里にいた神は 〜川口由一さんの乾坤塾(その2))から言われた漢方治療の自立。
 
 
治療するか、しないか。
わたしの問題は「(具体的な対象のない)悲しみ」だった。
川口さんの考えは、感情は肉体に宿るので身体の不調があり、それを治療すれば悲しみは癒える、というもので、私もそうだと思った。
 
 
はじめの3カ月は自力で、そして最近の1カ月はアドバイスをもらいながら。
身体にも変化があったし、みえない世界にも変化があった。
わたしの場合は身体が浄化されるたびにみえない世界がはっきりして、食事がいらなくなり、お酒がまずくなった。
 
 
髪が抜けてきたりして、少し休薬した。
 
 
たくさんの人と会う時期であったこともあって、食欲がもどり、以前のように飲んだ。
みえない世界は少しぼんやりした。
 
 
自分には縁がないと思っていた苦手な「供養をする」という体験をしたせいもあるかもしれないが、お腹が空く、という体験も久しぶりにした。
 
あんなに頑なだった伊勢平氏おじさんが小さく手を振ってくれたりとか、誰かに優しいことばをかけられたりとか。
人間らしい暮らしになっているな、と思った。
 
 
どちらがいいのか、はわからない。
でも、川口さんに決めてもらうこともできない。
わたしがわたしの生き方を選択するしかない。
 
 
 
 
 
靖国神社正式参拝をおえて会食してたら、伊勢平氏おじさんから電話があった。
 
「監視が出かけてて」
「そうですか」
 
 
情けない家長だな。
なにわの審神者(さにわ)が前に「ホンマに娘か?」
 
 
ってツッコんできたことがあるけど、なぜそこまで神経質になるのか。わたしを通してくるという「障り」のためだと言われているけれども。
 
 
わたしも、なにわの審神者(さにわ)も、わたしの周りはみな「自分にないものはこない」という考えを採用してるので、わたしのせいだとはもはや全く思っていない。そういう考えが早く改まると良いよね、くらいに考えている。
 
 
でもまあ、本気を確かめるために障りはあるのだろう。
わたしにだってある。
中途半端な気持ちで、今手にしていない世界を手にしようとみえない世界にコミットしたら大変なのだ。
今手にしている現実は、砂のように崩れ落ちる。
 
 
だから、潜在意識はちゃんとわかってて、それを回避するように仕向ける。
家族の反対、怪我、そういう障りは、結局のところ自分を守るためのものでもある。
 
 
 
 
展開が早い。
これはちゃんと調ってきてる、ってことなんだろう。
 
 

よく見たら、溶岩みたいな根っこの写真のポスターは3枚になっていた。元々あったのか、増えたのか、はわからない。
 
 
 
 
 
山中湖に向かう日の前日の朝、伊勢平氏おじさんがまたしても電話してきた。
 
前日も明け方まで飲んでいて、もし、この先の人生がまだあるとしたら、こんな感じの日常の積み重ねの中にあるのかもしれないなって思いながら話を聞いていた。
 
十牛図の話。
 
それにしてもなんでもよく知ってる人だ。
「最後、もといた場所に帰るんだけど、牛はいないんだよ」
 
「牛ってなんですか」
「煩悩じゃないかな」
「そっか、なるほど」
 
 
飲みながら十牛図を話題にする人も初めてだが、牛が意味するのは煩悩って即答されて、長年の疑問が解けた。
 
 
 
こういう時間があった。30年近く前に。
いちばん最初の夫は物知りで、わたしはすごく尊敬していた。

彼は、わたしの声は少し低めで聞いていると癒される、と声を気に入ってくれているようだったが(今もこの声でわたしの仕事は成り立っている)、わたしは、彼の話を聞いていると、過去の記憶の霧が晴れていくようで、その膨大な知識に敬意を持っていた。宇宙のこと、野鳥のこと、歴史のこと、宗教のこと、いろんなことをよく知ってて同い年とは思えない人であった。
 
 
そんなこんなで遅くまで飲んだ。
会社員してた頃みたいに。
明け方まで飲んで、仕事に行って。土日にまとめて眠るような、そんな暮らし。
 
何であんなに頑張っていたのかわからない。
思えば、昼ごはんに何を食べたいとか、どこの店に行ってみようとか、こんなわたしでもそれなりの欲があった。
 
 
 
 
おじさんの電話の用件は、「飲みに行こう」。
「行きませんか」ってお誘いではなくて、「行きますけど」なんだけど。
 
 
普通に何週間も放置する人なんだから、きっと「会っておけ」ってことなんだろう。
次の宿題を貰いに行くか。
 
 
 
おじさんは、ビールを飲みながら、
「楽しい」
と言った。
 
「?」
 
聞き違えたと思って聞き直した。
 
「楽しい」
「でも、寂しい」
 
おじさん、ついにわたしを受け入れたのか。
前回わたしの誕生日に会ったとき(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)には全力否定していたが。
 
 
「5番目の夫にしてあげましょうか」
「嫌だよ」
 
 
島の女は、守り神だ。
オナリ神。きょうだいで、夫婦。
今の仕組みに置き換えたらややこしいけど。
 
 
「パートナーは」
「女の方が選ぶんですよ」
 
「それは、そうだろうね」
 
 
伊勢平氏おじさんとはもう7年くらい前から顔見知りではあった。
挨拶や短い会話は交わすけど、歳が離れすぎているし、食べ物の好みも違うし、一方的だし、苦手な人だったので、朝の参拝で出会う他の人たちにも漏れなくそうであるように、適度に距離をおいて付き合ってきた。

でも、あるとき「会いたかった」とハグしてきて、ああこれは、またわたしの後ろの人か、相手に懸かってる何かがメッセージを運んできたなって思った。
 

スピリチュアルな人が突然ハグしてくることは、わたしにはよくあることだ。


わたしだって目に見える自分がそんな美しいとか思ってない。そういうケースは普通はみえないものを見ているんだろう。


投影されやすいってことは自覚している。憧れを投影されるときは、好かれるから悪い気はしないけど、逆に抑圧しているところを投影されると、キレられることもあるから難儀な性質である。

「悪い人」と言われる人は意外と、優しい面を持っていて、それが出るので、ありがたいけど、いわゆる「いい人」が危険で、今までにも温和な人格者になじられたり、キレられたことは無数にある。

 
正直、おじさんのことは「嫌な人」って思ったけど、今まで縁がなかった少々ギラついた人ばかりが、その時期に集中的に差し向けられてきていて、これは次のステージに行かされる変わり目のサインなんだと思った。

自分自身にも、それにどう対処するべきなのか、聞いてみたが、信頼できる何人かにも聞いてみた。

すると、皆が同じことを言った。「受け入れる」「睦み合う」「共に弥栄する」。
 
 
そしてそれらは、彼らが言ったことではなくて、わたしが言わせたことなのだとも、わたしはどこかで知っている。
 
 
対極を、受け入れる。嫌わない。
すごいチャレンジだって、思った。
お勤めもしていないわたしは、そういう面倒な相手や価値観を避けることで、平和に暮らしてきたわけだから。

 
そして、夫だったしろくまさんが、突然に死んでしまって、わたしはひとりで新しい世界に放り出された。
その後どんな風になったかは、とてもきれいにまとめきれてはいないけど、ときどき書いているように(次に起こること 〜神事は真剣勝負 やり直しの旅  〜伊勢平氏おじさんと白山ひめ)、大変な時間だった。
 
 
 
「ところで」おじさんは、言った。
「キミのキリストは生まれたの」
 
「うん」
 
「どこに」
 
「さあね」
 
 
「イエスは、地に落ちて死んで、キリスト(メシア=救世主)になったんですよ」
 
 
 
おじさんは、目をあげて、わたしをまっすぐ見ていった。
「ふた夏を、過ごしてくれてありがとう」
 
 
 
「昨年、一度、リセットしたくせに」
おじさんは昨年秋に音信不通になった。
それからしばらくして、またあり得ない再会をするのであるが。
 
今ならわかる。わたしの方もまた、まったく覚悟が足りなかった。
 
 
「寂しいね」
おじさんは、繰り返して言った。
 
 
 
「何かが始まる、ということは」
「終わりを、受け入れる、ってことです」
 
 
 
「相討ちになるかもしれないな」
「そうですね」
 
 
 
「楽しむとしましょう」
「カンパイ!」



「平家ですから」
「海賊ですね」




次の宿題はちゃんと示された。
きっといずれ、わかる。

 
 
 
伊勢平氏は、元は関東にいた人たちで、もともとは海の技術は持っていなかったらしい。
伊勢に来て、海を知り尽くした人たちの助けで、都との繋がりを深めて力を得ていった。
わたしが引き継ぐはずだった、わたしの中にある4分の1しかないこの血は厄介で、わたしの中でも折り合わない。
 
伊勢平氏おじさんだけじゃない、母もそうだし、突然にわたしを拒絶した人たちは、同じ血を引いている。
 
 
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武士の考えと、島の考えは違う。
 
 
武士の世は、選ばれたものが上にたって人を治める。
島では、(琉球王朝でノロ制度ができるまでは)対等だった。
 
 
奄美では、王がいなかったので、簡単に征服されてしまった、と資料館で出会った学芸員さんが言っているのを聞いたことがある。
 
島(縄文の世界といってもいい)では、皆が対等で、あるものを、減らさぬように、今ここにある自然のめぐみを分かち合って生きていた。
 
 
そんな中で、稲作が伝わり、お米という備蓄できるものを取り入れることで、飢餓のリスクを回避できるようになった。
水路を作り、水の問題を解消して、機織りや、医薬の知識をもたらしたりする人たちも現れた。
自然に任せて生きてきた人たちには、困った時に頼りになる神のような存在だったかもしれない。
 
 
彼らの知恵や技術は、自然に任せて生きていた人たちが困った時に守ってくれた。
だから、島の人たちが自然にするように、自分たちの収穫の一部を支え合いとして与えたのだ。
その昔、それぞれは、対等だったのだ。
 
 
 
自然は、人の心や生活に寄り添ってくれるわけではない。
それを、人の知恵で乗り切ったのだ。
 
 
それは、古代の人たちの願いの結果でもある。
 
 
でも。
今の世は、神様と人は対等じゃない。
いつの間にか、一部の人たちは自分の意思を投げ出して奴隷のようになり、神様も、人の心を持つようになった。
それによって、人が人を治める世の中になったのだ。
 
 
おじさんはわたしのことを甘い、という。
わたしは、おじさんのことを冷たい、と思う。
 
 
でもきっとこれは「憧れ」なのだ。
 
 
お互いがそれを手にすることができたらどんなに素敵だろう。
平等でありながら豊かである世界。
かつては、きっと、そうだった。
 
 
スピリチュアリストの多くが「神々が目覚める」っていうけど、神々は、我が身の中にしかない、とわたしは思う。
そしてそれは、奴隷をやめて自分の頭で考えて、自立するっていうことだ。
 
 
アダムとイブの物語 〜コロナ後の社会(ポストCOVID-19)にむけて続・コロナは恩寵 〜 荼枳尼天は悪くないで書いたけど、わたしたちは、結局のところ、「いやだ」と文句を言いながらも、この世界にしがみついている。
 
 
「神々が目覚める」とどうなるか。
わたしは正直怖いと思う。
エゴがぶつかり合って、地獄絵図間違いなしだ。
 
 
 
 
 
 
でも。
 
 令和(平成って書いてて月読さんから指摘\(//∇//)\)2年 西暦2020年。
ここにも222のサインがある。
 
 
もともと、昨夏おじさんと山に行った時に流れてきた「ちはやふる  かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは」からずっときている聖徳太子(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)。
 
 
これで、ようやく昨年からの持ち越しの課題が終わるのかな。
この秋、明治神宮は鎮座100周年の節目を迎える。
 
 
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