安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その1)〜海なし県の海の神 | かんながら

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旅の記録です

 
 


鎮魂祭の頃に、狙ったわけではなかったのに、物部ゆかりの旅をすることが定番になっている。
昨年は、奈良・天理の石上神宮(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)、その前年はしろくまさんとの最後の巡礼旅行になった東北巡礼で、新潟の弥彦神社と秋田唐松神社に行っている(物部をたずねて〜鎮魂祭のころに(その1 弥彦神社)物部を訪ねて〜鎮魂祭のころに(その3 秋田 唐松神社))。
 
 
最初はI Love Youの記事に書いたように、記録によると2014年のことのようである。
島根の物部神社など、石見・出雲を巡って、それから瀬戸大橋を渡って徳島(阿波)に行った。
あまりにも不思議な体験なので、細かく書いていないが、救急搬送された病院で「死にますよ」と言われたのを振り切って退院して旅に出た。
そして黄疸で黄色くなって足もパンパンに浮腫んでいたのが、石見・出雲の旅を終えて、阿波に向かうのに瀬戸大橋を渡った瞬間に足の浮腫がみるみるひいて、黄色かった足が白くなったのだ。
 
自分自身も驚いたが、しろくまさんが呟いたことがまた不思議だった。
「よみ(黄泉=死国)がえりだね」
 
四国ってネーミングはすごい、と思った。
 
わたしは、少なくとも「よみ」がえったのである。
 
 
そして、今年は丹後にいく(ことになっている)。
今までピンとこなかったが、丹後・元伊勢籠神社だって、物部ゆかりの場所である。
宮司の海部家は、ニギハヤヒの子孫、ってことになっているのだから。
 
しかも、その旅の直前に安曇野に行く、ということが決まっていた。
 
安曇野から、籠神社へ。
ここのところきている「鹿(しか=志賀・滋賀)」。安曇族は、海を渡って、安曇野に落ち着いた、という。
上陸地点の一つであろう海辺にある籠神社に安曇野から旅をする、という逆打ちもいいかもしれない。
 

 

出発は、鎮座百年を迎えた明治神宮。

 

 


 

新嘗祭も間もなく。全国からの奉納の品々。

紅白の菊は毎年笠間稲荷神社からの奉納。

 

 

 

バス停までの道のりにある。

「天気の子」の聖地。

今はあのビルはもうない。

このビルの上に、稲荷がある設定だった。

 

 

 

とにかく不思議すぎる。

わたしの思いがこの現実を作っているのか、誰かの作ったストーリーを、わたしの無意識が選択して生きているのか。

 

わたしが笠間稲荷に行ったのは、「天気の子」を観たあとだが(頼まれていたのはそれより前)、その御用を頼まれることになったのは笠間から白山経由で我が家にお預かりした白狐の「うがふくさん親子(狐の帰る國〜うがふくさんとの旅)」の影響である。

 

でもその「うがふくさん親子」はその話が起きる2年前に私たちのところにやってきていたのである。

予定調和?なんなのそれ。

 

 

 

それどころか、うちのしろくまさんが、この病院に最初に入院したのは、それを遡ることさらに2年の2015年。

最初の鎮魂祭の旅の翌年である。

 

 

そんな昔から、予定されていた?

誰に?

自分自身の思い?

 

 

なんだかこのところずっと、わたしはわたしの思いすら、コントロールされているんじゃないかって思い始めていたのだけれど、よく考えたら不思議でならない。

 

わたしの思いが映画を作った?

 

 

いや、ないない。

 

 

意識のコラボレーション?

未来予知?

 

 

引き寄せの法則とかいうけど、
 
 
伊勢平氏おじさんは、
 
 
「(キミが考えるような)そんな単純なものではない」
 
 
とわたしによく注意するのだが、
わたしも、だんだんそんな単純なものではないような気がしてきた。

 

 

高速バスは空いていた。

こんな頃があったな。
乗客が一人だけ、ってこともあった。
 
 

 

GO TOでコロナ拡散、って言われるようになってきている。
わたしは、コロナが増えているのは、旅が原因というより、経済活動が普通になってきたからだと思う。
一時期は電車も空いていたけど、今は混雑するようになってきた。
 
 
それに、GO TOは、結局みんな、宣伝の上手なところに集まるんだもの。
集中しなければ、ほどほどに経済が回るのに。
 
 
 
 
お久しぶりの穂高神社。
 
 
 
安曇族が住み着いた、安曇野。
海なし県に、ある海の香り。
この船を操る技術のあった安曇族。
 
 
豊橋に行くようになって、「飯田」の文字が目につくようになった。
天竜川を下って行くと、そこは豊川で、その先は豊橋。
間違いなく、ここはつながっていた、と感じる。
 
 
 
安曇野には、道祖神がとても多いのだが、鈴鹿の猟師さん(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)や、三重県在住の歴史オタクのオペラ歌手さんから寄せられたコメントによると、それは猿田彦であり、伊勢から来たことを示しているようだ。
 
信州内観研修所のある有明にある、有明山神社には猿田彦がいるという。
 
 
安曇野は、うまく治水してあって、豊かな田んぼがある。
土木技術を持った人たちがここを作ったのだとわかる。
 
 
神船
穂高神社の御祭神は、海神系で先人などは安曇野の自然を破壊することなく、守り育ててまいりました。
昭和57年の御遷宮祭を記念して神船が奉納されました。
 
 
 
 
前も反応したけど、亀。
亀なんだよ、山の中に。
 
砥鹿神社(ふたたび、豊橋へ(その1) 〜鹿と兎の十三夜ふたたび、豊橋へ(その2) 〜鹿と御津と三ツ石)の御社紋も、気づかなかったけど、「亀に亀卜(きぼく)」でWに亀。
 
鹿(志賀)と亀は、関係があるのか。
どんな?
そういえば、あった、秋田の古四王神社にも(物部を訪ねて〜鎮魂祭のころに(その2 秋田 古四王神社))。
海亀を奉納してあったのだ。
 
古四王といえば、「越の王」とも読める。
誰なの、それは。
 
 
穂高神社讃歌
 
安曇野に
菊の御紋の宮居あり
 
穂高見命(ほだかみのみこと)
海神(うみ)の祖神(おやがみ)
 
明神の碧譚(へきたん)の池
幽邃(ゆうすい)に
龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の御船(みふね)は清雅に
 
作曲作詞 鈴木哲也
 
 
なぜか、今回は虹の村診療所の小林先生とも、内観研修所の石井先生とも座禅について話題になった。
 
ヨギの治療師の影響だろうか。
 
こうしてすべてはシンクロしている。
少なくとも、わたしの世界は。
 
 
 
「自分の思いすら、誰かにコントロールされてるような気がする」と呟いたら、
 
「座禅が 座禅する 座禅」
 
という言葉が贈られた。
 
 
 
そして、内観研修所の先生は、
「わたしが座禅によって求めていたものは、悟りではなく、○○だったと気づいた」
 
と言われた。
 
 
そうだよね、「悟りたい」ってヨギの治療師がいうたびに、「なんのために?」と問うわたし。
 
 
 
 
 
ババは、「悟りに至る道は、(今の時代では)貧しい人への奉仕しかない」と言っていた。
わたしも、そう思う。
だって、目の前に飢えた人がいて、心の平安なんか保てるんだろうか。
共に、飢えているなら、共に励まし合って空腹を乗り切る、という平和があるかもしれないが。
 
 
 
 
安曇野では、本を読んだ。
 
新宿中村屋は、常念岳の麓に嫁いできた女性が、東京に出てきて作ったとか、
明治に、突然訪れた「平等」な世の中を実現するために人々が取り組んできたこと。
 
学校だって、「できた」のではなく、人々の大変な思いと、労力によって作られたのだった。
想像すれば当たり前のことなのに、そんなことだって考えたことがなかった。
 
わたしには、「あたりまえ」と思っていることが多すぎる。
 
私たちの、この平和で豊かな「今」は、かつて生きてきた人たちが作ってくれたのだ。
 
 
 
 
そんなことを考えながら、安曇野を後に。
 
 
 

さて、次は、豊橋。
 
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