I Love You のお返事は 〜1111の日 | かんながら

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旅の記録です


11月1日。

 今日はミカドの日、となにわの審神者(さにわ)が言ってきた。

つまり、ポッキーの日。

スペインではポッキーをMikadoと呼ぶ。




ラブレターを書いた(I Love You 〜くくりの旅の前に)。
わたしが今書いているものは、みんなそうである。
このブログもそう。
みんなに I Love You と書いている。
 

気が多いと思われるかもしれないが、”You " は、ひとりしかいないのだ。
 

伊勢平氏おじさんには、手紙も言葉も拒むだろうから、イメージだけ送っておいた。

纒向の仙人への手紙にも " I Love You " を(エネルギーだけ)のせ、ヨギの治療師にはメールをした(もちろん、誤解でトラブルになっては困るので、I Love Youとは書いてない)。


以前書いた(I Love You)ように、鎮魂祭のこの頃は、いろいろある。

 

 


纒向の仙人から電話があった。
 
ここしばらく、明らかに避けられていることを感じていたが、出会った頃の彼に戻っていた。

「もし許されるなら、次回以降また参加したい」

と手紙に書いておいたが、お許しの電話だった。
 


「僕は、あんな風に取り乱して怒ったことはないのです。家族には、別のことで、一度あるんだけれども。」

 
仙人は言った。
 

わたしは、変だけど、それがとてもうれしかった。
I Love Youは、ちゃんと届いた。そう感じた。




「僕の決意は、勉強会の案内のお手紙に書きました。」




キリストは生まれた、と思った。

 


 

 伊勢平氏おじさんには届いているのか、いないのか。



体調はイマイチそうでそのせいなのかもしれないが、相変わらずつれない。


「ついてくるなよ」


「はーい」



別れ際、手を振ってくれるようになっただけでも進歩か。


相当な距離をとってからだけど。

視界から消える寸前に振り返るのが作法だというからそれに則っているといえば言える。



半世紀以上前の恋心を凍土の下に眠らせてるような人だからな。



「来週旅に出るので」

「木曜日に安曇野」



部屋に帰って間違いに気づいた。

水曜だった。

でももう連絡手段はない。



 

 

秋の代々木公園。

美しいな。


人がしあわせそうにしている姿を見るのが好き。



 

このところよく消防車がでている。

 

明治神宮を歩きながら、2年前の火事のことを思い出した。その2年前には外苑でも火事があった。共に11月。



「狼煙が上がった」とある人はいい、

次の夏は、山で伊勢平氏おじさんと京都アニメーションの火事のニュースをみた。



共通点は「伏見」。


 伏見といえば稲荷。
最近、お友だちのコゥ・パピィが伏見稲荷で買ってきた高級ペンダントを見せてくれた。


十種神宝が描かれているもので、
物部神社などで授与されるのと基本的に一緒だった。
でもなぜ伏見で?


稲荷も物部なのか?



なぜだろう、新宿は苦手なのに、景色を見るのはとても好き。涙が出そうになる。


 

 

島のノロの祈りは、絶えて久しい。

形だけ、残っていても、それは違う。


比嘉康夫も指摘している。



 
わたしたちは、神を失ったことにより、一人ひとりが神になる自由を得たのだ。