12月の朝6時は沖縄では夜である。
クリスマスにひとりでリゾートホテル。
なんて大人の女なんだろうか。
今日の予定の大石林山から近かった、というだけである。
周りはカップルか家族づれ。
おひとりさまは自分だけであった。
なにわの審神者(さにわ)が女神ラクシュミの話をしてきたので、大きすぎるから普段は落とさないように指にはめない、ババが物質化してくれた指輪を出してつけてみる。
バーラサイババがいる、と感じる。
バーラサイババは「自分は、男性の姿をした女神だ」と言っていた。
バーラ・トリプラスンダリ。
神々を生み出した最初の女神だ。
琉球?鬼門って書かれた石碑。
なんの鬼門?
昨日は日暮れだったから明るいうちに来てみた辺戸岬。
25年前、スクーターで恩納村からひとりでただひたすら最北端目指してきた。
あの頃とは様子が違う。
トンネルができ、道ができてずいぶん簡単に来れるようになった。
明るいうちに見ると、ますます喜望峰だ。
山々がテーブルマウンテンに見えてくる。
大石林山所長の喜瀬慎次さんのツアー。天上界は安須森(アスムイ)の神さまのいるところ。
11月、明治神宮百年祭の頃に書いた、「神も、幻想 〜あすは、どうなる」で、「アスワ」って音でなんとなく、2018年5月の安須森の写真をのっけてるのが自分で不思議。
狙ったわけじゃないのに。
2年半前に大石林山で初めて喜瀬さんに会ったってことになる。
なぜ上がったのかは覚えてない。
白く光った場所が呼んでいて、けもの道みたいに道が見えて、上がったらそこだった。
喜瀬さんには彼に会う前の時間にそこに上がったことは黙っていたが、その日彼は「入れるということは神様がお呼びになったということ」という話をしていた。
しかも、今気づいたが、サイババ(バーラ・サイババ)のことを書いている。
その前に起こったことは、アワとスワ(満月と酒と、アワとスワ)。
「10月最後の日、満月。
これからの千年に行くとしたら、調うべきところは、エジプトだ、ってなぜか思った。
沖縄から先。そのつながりが11月からのテーマになりそうな気がする。」
って書いている。
もう忘れてたよ、そんなことは。
まだそのあたり、何も理解できていないけど、根底に流れているものはその続き、なのであろう。
理解できていないことは、繰り返し知らされる。わかるまで。
わたしの人生はいつもそう。
喜瀬さんは、大石林山の所長さんで、この場所をひらいた人だ。
ここの土地は、沖縄最大の鍾乳洞玉泉洞や白山のサルタヒコが超絶お勧めする(が、美志摩には入場料のハードルが高くてまだ行けていない)ガンガラーの谷を開発した会社の社長さんがこの土地を守るために買い、彼にそれを任せた、と聞いている。
会うのは3回目。
1度目は予約もなしに現れた私としろくまさん二人のためにスピリチュアルツアーをしてくれた。
安須森御嶽に行ったのが18年ということはしろくまさんが亡くなるちょうど一年前。
そして「自立してほしい」って言われ始めた頃か。
「旅は一緒にしたいけど、離婚してほしい。」
わたしはその頃その意味わかんなかったな。
予告編だったんだろう。
ここの神様がお呼びになった、ってことなのか。
「神も、幻想(神も、幻想 〜あすは、どうなる)」。
だから、わたしが、そうした。
18年は
2月に青山圭秀さんのツアーでイスラエルに行った。
4月イースターに、カトリックの洗礼を受けた。
5月安須森御嶽にいった。
6月。しろくまさんの誕生日にバーラサイババのところに行った。
そこで青山さんに遭遇して「千の風になって」を歌い(ぶどうの木のように(続・悟りの技術) 〜You’ve Got a Friend)、それがババとの時間の最後になった。
11月、バーラサイババが突然肉体を離れた。
大きな何かが動いた年だった。
お昼ごはんはボロボロジューシー(雑炊)。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201227/11/polarstar358/e0/be/j/o1080060814872572177.jpg?caw=800)
バターを落として食べるのもありみたい。
天上界。
大山阿夫利神社のお水を奉納。
首里城からの使者がここ安須森の水を冬至の頃に汲み若水として首里に持ち帰った、らしい。
そしてそのむ場所が「アフリガー」っていう。
「あふり」は王様に従者がさす傘のことらしい。
なんか、すごい何かがあるはずなんだよね。
写真にあった気になってるけどまだ行けてない、寺のあの塔。
今年、黄檗売茶流の初煎会でやんごとなきお方のお茶会で目にしたこの額。
雨降(あふり)山 大山寺。
大山は、大山祇を祀るから、三島の神だ。
ということは、みーさん(蛇)。
ノロ筋のわたしの祖母方も山を拝んでいた。
この三角の磐座は、申の神様で、器楽の神様と今まで言われていたそうだが、喜瀬さんがここにきて、28年間「本当の役割は」と問い続けた結果、本当の役割がわかった、と言っていた。
器楽の神様って、弁財天じゃん?
宇賀福弁財天。頭にとぐろを巻いた蛇をいただく神。
やんごとなきお方が1987年に「
抱きしめてBIWAKO」という重度心身障害児のための施設の移転費用を集めるためのイベントをした琵琶湖にある竹生島の神。
「琵琶」の湖。
琵琶といえば、琵琶法師。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
平家物語だ。
そして、祇園、といえば、八坂神社。八坂神社が祀るのは素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王。
牛頭天王はどこからきたのか?
祇園祭の山鉾はそのメッセージをたくさん含んでいる、ように思う。
琵琶湖の出口にあるのは佐久奈度神社。
御祭神は祓戸四神。
わたしにはこの磐座、伊勢神宮の滝祭宮(通称とりつぎさん)と言われる、天照大御神の荒御魂、そして三輪の神(みーさん)=三島の神にしかみえないが、わたしは思い込みが激しいらしいので、思い過ごしであろう。
とはいえ、わたしの中では、わたしの激しい思い込みにより、もうこの磐座は、わたしの中で完全に伊勢神宮の滝祭宮と繋がってしまったが。
滝祭宮にある、この器楽の神様と同じ姿の三角の磐座。
その元は大神神社のみーさん。
そしてそのルーツは出雲にある龍蛇神信仰。
龍蛇神は、セグロウミヘビで久高島のイラブーだ。
繋がってるじゃないか。全部。
葵温とはwikiによると
康熙47年(1708年)2月7日、27歳で進貢存留役となり、存留通事(現地での通訳)として清の福州へ赴任することとなった。同年11月3日に那覇を発ち、11月17日に福州へ入った。福州琉球館の近くに凌雲寺があり、ここで住職に紹介され「湖広の者」と名乗る隠者に出会う。隠者から「書物を読み知識を習得しただけでは何の役にも立たない」との指摘を受け実学の思想に目覚める。隠者から陽明学に関する教えを受け、康熙49年(1710年)1月20日に福州を発ち1月29日に帰国した。帰国後まもなく自ら琉球北部を視察している。6月21日に都通事に昇格した。
とある。
だってここは葵温が密かに松並木を作り、道を作ったのだ。
こんな森の中に。
なんのために?
何か重要なものが行き来していたのであろう。
どこに似てる、って吉野大峯・そして熊野だ。
熊野にも、徐福伝説がある。
徐福と葵温はなんかかぶる。
ここにきたら平伏してしまう。
天帝って言葉がぴったりくる。
3つの峰の一番手前が、「あふり山」。
そして一番奥は「いへいや」というらしい。
瓢箪が何か主張していた。
この日は与那原のヒロさんの降誕祭だった。
もう亡くなって10年になる。
わたしが知っている頃の与那原のヒロさん。
彼が亡くなった日、UFOに乗って行ったのをしろくまさんと御蔵島で見送った話をようやく奥さんのフキさんにできた。
当日の最終便で帰る予定を変更して泊めてもらって翌朝。
フキさんから与那原の御殿山(うどぅんやま)を教えてもらう。
ここは、久高島へ向かう途中、ひとりのノロが日本(一書によると、きのくに)に流されて、そこで子をもうけ、与那原の御殿山に戻ってきた。
そしてこの場所でノロとして生きた、そんな感じのはなしだ。
生まれた子の行く末については記録は残されていない、らしい。
「日本(紀の国)に流れ着いた」は、なんとか理解できる。
しかし、あの当時そんな遠いところからはるばる沖縄に戻ったというのか。
ひとりの女が。
しかも子を孕(みごも)って。
わざわざ?
石を抱いて出産を遅らせて三韓征伐に挑んだという神功皇后じゃあるまいし。
補陀落渡海で熊野から流れ着いたという、日秀上人の逆バージョン。
ないでしょ。
時は第一尚氏の前の時代。
が、白山のサルタヒコに聞いたら、「それならば、ありうる」と言った。
解説を聞く前に、電話を終えることになってこの先の続きの話は聞いていない。
与那原のカトリック教会はとても有名な建築らしい。
それもフキさんに聞いた。
なので、見学に行った。
ちょうどミサの時間だった。
しかも聖体拝領が始まるところだった。
「キリストの、御身体」
「アーメン」
イエス様を感じて泣いた。
キリストは、生まれた。
そして、東京。
戻ったら、原宿駅はついに解体工事が始まっていた。
大好きだった駅舎。
でも新しい今が作られると同時に、過去は消えていく。
それが、東京。
表参道は黒山の人だかり。
「だから東京は」ってきっと言われると思うけど、
ここにいるのは地元の人たちじゃない。
わたしだって、普段はこの時間に外に出ない。混雑嫌いだから。
神奈川の人も、埼玉の人も、千葉の人も、それ以外の人も東京に遊びに来る。
GOTOトラベルが中止になっていくところがなくなったら、東京に人が殺到するのではと危惧している。
東京は人が多くて紛れる、って思うからなのか。
地方で閑散とした街を歩いて冷たい視線に出会うと、ここにいたくないって思う。
ヨギの治療師がビールを飲みにいこう、って連絡をくれた。
「美志摩ちゃんにいうの、ちょっと躊躇ってたんだけど」
彼は不思議な能力の持ち主だが、満月が近いせいで酔いが回るのがはやいわたしに言った。
「11月の中頃まで、もうすぐ死ぬ人の匂いがして心配してたんだけど。」
「!?」
「ずいぶん、それ、弱まったね」
自分だって気づいていた。
他にも敏感な人たちが、代わる代わる訪ねてきた。
丹後に行くのは自分の命が引き換えになるような、そんな感じは確かにあって、
「昔の人が言うことには、心劣る人間は故郷を懐かしがり、死期を迎えた狐は生まれた巣穴のある丘に行くということです。私はそんなことは嘘だと思っていたのですが、今はまことにその通りだと思うようになりました」
などという意味深なコメント(浦島太郎のセリフ)がついたりした。
彼が感じていた「死の匂い」は丹後行きの予定を変更して白山、そして物部神社に行った頃を境に薄くなった、ってことだ。
石見物部神社の鎮魂祭は、岩戸に隠れた天照大御神をひふみを唱えて引き出す祭である。
「まかりしひと(死人)も生き返る」十種神宝。
わたしはまた生き返ったのか。
ヨギの治療師は、自分が何を言っているのかわかっていないと思う。
彼には物部神社の十種神宝が描かれたお守りを渡して、意味も教えたはずだが、きっと覚えていないであろう。
でも、彼はわたしの変化を感じていたということになる。
今回の旅に出る前、白山のサルタヒコは「1年準備をしてきて、ようやくタームが変わる」と予言していた。
しろくまさんが亡くなった時、「次のタームにいく」と彼は言った。
そこから1年半。
さて、次は。
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