高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その5・薩摩大隅編) | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
 
鹿児島に用があったので、南下して、近くを通りがかったので、ぢゃんぼ餅。
鹿児島出身の父と旅したときに連れてこられた「鹿児島名物」のひとつ。
店はここではなかったが。
 

 

 

 

すると、そこに貼られた新聞記事に、なんと「懐良親王(かねながしんのう)」の文字が。

ぢゃんぼ餅は、懐良親王に喜んでもらうために考え出されたもの(かもしれない)というのだ。

しかも、懐良親王をお祀りしている神社があるという。

 

 

 

 

シロクマ好きのツレの要望により、天文館むじゃきのしろくまを食べたら、

 

 

 

懐良親王を祀ったという「谷山神社」に参拝。

懐良親王は、後醍醐天皇の第9皇子で、1342年から6年間、九州統一の目的で谷山に滞在されたのだそうだ。

北朝方の島津氏と、南朝方の谷山氏で激しく争ったとある。

そして、海路で八代に向かわれたのだそうだ。

 

 

 

 

谷山神社は見晴らしのよい山の上にあり、懐良親王もこの町をご覧になられていたのかなと思ったりした。

 

 

 

八代の悟真寺でお会いすることができた懐良親王のお像は、まさにおひなさまのお内裏さまのような、美しいお顔立ちで、若いお姿だったけれど、ここから逃れて、八代に向かわれたころのお姿なのだろうか。

 

 

 

大隅半島にある宿に泊まり、翌日は鹿屋航空基地史料館に。
知覧特攻平和会館には陸軍航空隊の資料が、こちらには、海軍の特攻隊に関する資料が展示されている。
image

 

 

 

 

鹿屋市のパンフレットをみていたら、とても気になる景色が。

岩戸型の御陵!行ってこの目でみてみたい。

 

 

吾平山上陵(あいらさんりょう)。通称あいらさん。

そこは神武天皇の御父君である天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)とその后、玉依毘売(タマヨリヒメ)の御陵。

 

 

 

 

なんだか、この景色はどこかでみたような。

 

 

 

伊勢神宮を流れる五十鈴川のような。

 

 

 

そして御陵の中もお伊勢さんのような清らかなエネルギーが流れていた。

 

 

うまく写らなかったけれど、巨石が割れていて、そこに鳥居。

 

 

あたたかなエネルギーが、花の窟神社のようで、この神様は海から来られたのかなと。

山の中なのに、潮のかおりを感じるような、波の音が聞こえてきそうな。

1日ゆっくり過ごしたいと思えるような素敵な場所だった。

 

 

高千穂に向かう途中、やはり気になったので、高屋山上陵にも立ち寄ることに。

気になったらとりあえず行ってしまうので、旅がタイトになるのはいつものこと。

 

神武天皇の祖父にあたる、山幸彦こと天津日高彦火火出見尊(アマツヒダカヒコホホデノミコト)の御陵といわれる。

(九州各地に伝承あり)

 

 

 

 

 
お詣りしたら、さっと光が差してとてもきれいだった。
 
今はなぜここにきたのかわからないけれど、とりあえず記録しておこうと思う。
いよいよ高千穂へ。
 
(つづく)