すると、そこに貼られた新聞記事に、なんと「懐良親王(かねながしんのう)」の文字が。
ぢゃんぼ餅は、懐良親王に喜んでもらうために考え出されたもの(かもしれない)というのだ。
しかも、懐良親王をお祀りしている神社があるという。
シロクマ好きのツレの要望により、天文館むじゃきのしろくまを食べたら、
懐良親王を祀ったという「谷山神社」に参拝。
懐良親王は、後醍醐天皇の第9皇子で、1342年から6年間、九州統一の目的で谷山に滞在されたのだそうだ。
北朝方の島津氏と、南朝方の谷山氏で激しく争ったとある。
そして、海路で八代に向かわれたのだそうだ。
谷山神社は見晴らしのよい山の上にあり、懐良親王もこの町をご覧になられていたのかなと思ったりした。
八代の悟真寺でお会いすることができた懐良親王のお像は、まさにおひなさまのお内裏さまのような、美しいお顔立ちで、若いお姿だったけれど、ここから逃れて、八代に向かわれたころのお姿なのだろうか。
鹿屋市のパンフレットをみていたら、とても気になる景色が。
岩戸型の御陵!行ってこの目でみてみたい。
吾平山上陵(あいらさんりょう)。通称あいらさん。
そこは神武天皇の御父君である天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)とその后、玉依毘売(タマヨリヒメ)の御陵。
なんだか、この景色はどこかでみたような。
伊勢神宮を流れる五十鈴川のような。
そして御陵の中もお伊勢さんのような清らかなエネルギーが流れていた。
うまく写らなかったけれど、巨石が割れていて、そこに鳥居。
あたたかなエネルギーが、花の窟神社のようで、この神様は海から来られたのかなと。
山の中なのに、潮のかおりを感じるような、波の音が聞こえてきそうな。
1日ゆっくり過ごしたいと思えるような素敵な場所だった。
高千穂に向かう途中、やはり気になったので、高屋山上陵にも立ち寄ることに。
気になったらとりあえず行ってしまうので、旅がタイトになるのはいつものこと。
神武天皇の祖父にあたる、山幸彦こと天津日高彦火火出見尊(アマツヒダカヒコホホデノミコト)の御陵といわれる。
(九州各地に伝承あり)