さて、次は。 〜旧七夕・旧盆からみえてきたものは | かんながら

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旅の記録です

 
 

聖徳太子が開かれて(聖徳太子の再来と、一粒の麦 そして、透明のトイレ 〜"アトランティスの記憶")、次は。

昨秋の鎮魂祭(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)からの流れは、いよいよたしかに次の段階へ進んでいそうである。

 

 

CHARGE.とある。
 
しかし。
 

溶岩が流れる様子にしかわたしの目には見えない。
キラウェア火山の夜景というか。
ちなみに、2枚の写真は微妙に違う。
 
 
 
一応、9月に山中湖の手伝いは頼まれている。
富士山、そして諏訪の形代のある場所。そして、石割。
 
 
 
この話は3月からずっとリスケ(スケジュール変更)の連続だった。
今回のオファーも唐突だった(寒川神社から富士山へ 〜そして狐の帰る国へ?)し、どうせこない、くらいにしか思っていない。
 
 
 
3日くらい前の夜中に
「美志摩さん?」と突然の電話がなるまではどうなるか読めない。
 
 
でも今回だけは、呼ばれたら行こうと思っている。
 
 
 
みなさんから言われる、
 
「東京は大丈夫ですか」
 
 
の裏側にある期待感。
それがどんな状況を引き起こすのか、わからずに多くのひとは騒動を無意識に望んでる。
 
 
 
旧七夕ウィーク(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)を終えての、8月31日、夕方に電話があった。
 
 
9月の予定はコロナによるキャンセルによって大幅に減っていたが、有無を言わせぬ迫力で「よろしくね」と言われた。
しかも、なにわの審神者(さにわ)が最近しきりに気にしている9月15日もバッチリ入ってて、これは、「1ミリも気を抜けない」と予感した。
 
 
伊勢平氏おじさんのオナリ神になると覚悟を決めたタイミングで、ラフォーレ原宿の広告が変わった。
そしてまた流れが加速した。
 
12年ぶりに再会した人はヨガ行者でもある(これは知らなかったが)治療師で、出会った時から、最初の元ダンナと同じ雰囲気があって他人のような気がしなかった。
普通、離婚したパートナーのことは好きではないことが一般的が、わたしは結婚の意味がなくなっただけの「卒婚」と思っているので、相手に対する尊敬も信頼も結婚していた当時と同じだけ(もしかしたら、わたしという大変な女に寄り添ってくれたその器に対しての賛美と感謝が入ってそれ以上)持っている。
恋愛感情は一時的なものだ、ということは多くの長く連れ添った夫婦は理解してくれると思う。
 
 
「波動関連の機器があるのでモニターしてみませんか」と誘われた。
富士山にいく前しか予定できる時間はないな、と思ったので、すぐ出かけた。
 
 
 
 
駅からそれなりに距離があったが、約束の時間まで時間があったので歩いた。
 
 
「あの、ここって昔どういうところだったんです?」
 
「昔は工場があったんですよ」
「いえ、それよりもっと前。」
 
「?」
 
「戦前とか」
 
「え?」
 
「人の暮らしの気配を感じない、不思議で広大な土地だから」
 
 
 
翌日、やはり気になって地図を見た。
 
 
ダイダラボッチ
横田基地
東京陸軍航空学校(のちの陸軍少年飛行兵学校)
 
やはり全部が繋がっている。キーワードは物部。
そして、しろくまさん。
 
 
しろくまさんの本 いつまでもいつまでもお元気で を持って現地に出かけた。
 
知覧から飛び立った特攻兵が遺した最後の手紙。
不思議なご縁で、彼の写真がその本につかわれたものだ。
 
 
 
「これ、貰っていただきたいんです」
ヨガ行者の治療師の彼に本を手渡した。
 
 
「特攻隊」の文字を見て、彼の顔色が変わった。
 
「実は、奇妙な夢を見たんです」
 
 
 
 
彼のみた夢は、同期の櫻の歌が流れる中、桜の木の下で飛行兵のための穴を掘っている夢。
 
山に飛行機が突っ込んでその遺体を埋葬する。
 
 
 
しろくまさんは、昔、同じ光景について語ったことがある。特攻は必ずしも語られる美談ばかりではなかったと。
でもわたしは当時それをうけとめることも、理解することもできず、聞き流した。
そのことが悔やまれる。
私たちが知ることのない事実が何層にも折り重なって今がある。
 
 
 
 
 
 
9月2日満月。
旧暦7月15日。島ではお盆だ。
七夕の笹飾りはそのためにあげる。
 
先祖を迎える依代なのだ。
 
 
サマリーさんの紹介で知り合ったASAKOちゃんも旧暦七夕生まれだそうだが、調べてみたら、わたしも旧暦閏七夕で驚いた。
 
七夕生まれ。
だからあの日(しろくまさんと出会った日)も七夕だったし、とにかく七夕には縁があるのだろう。
 
 
一夜明けて。
東京は雨が降ったり止んだり。
浄化の雨。
 
 
フランス(ブルゴーニュワイン樽)と日本が向かい合う場所が明治神宮にはある。
 
 
 
 
昨日 東京陸軍航空学校(のちの陸軍少年飛行兵学校)がきて、ふと代々木公園にある「日本航空発祥の地」を思い出した。
最初に地図で見たときは、「日本航空」ってJAL?って思ってスルー。
そして数年前。
「最初の飛行をした記念の場所」という情報だけアカシックに格納。
 
 
だいたい、大切なことほど、顕在意識に残らない。
 
ジブリの映画とか、何回見ても途中でねむったり、観ていてもストーリーすら思い出せない。
「千と千尋の神隠し」もDVDで何度も観たが思い出せず、亡くなる直前にしろくまさんに解説してもらいながら観た。
わざわざ「観て欲しい」と知らせてくれる人がいて、「観るように」ってお告げなんだなって思ったから。
 
 
それでも大まかなことしか記憶にない。
 
おそらく、宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」も重要であって、これもしろくまさんと映画館で観たはずだが、断片的なシーンしか覚えていなくて、ストーリーは覚えていない。
今思えば、特攻隊員の生まれ変わりと実は信じていたくらいの人なんだから、強い思いはあったはずなのに、彼は一言もそれについて語らず、わたしはそれを何ら汲み取ってなくてスルーしている。
 
同じ時間を共有していても、お互いに全く違う体験をしているということはよくある。
それは夫婦であったとしても
 
 
 
日本におけるエンジンを使った初の動力飛行はここ、陸軍代々木練兵場において明治43年12月11日〜20日に実施された。
日野熊蔵大尉のグラーデ機、および徳川好敏大尉のファルマン機が初飛行に成功した、記念の場所だということのよう。
 
元々ここに呼ばれてたってことなんだろうな。
 
最初に、耳にしたのは岡山の石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社の宮司さんだったと思う。
聞いてないのに、
「航空自衛隊出身なんですよ」って言われた。
 
そして、「関東の某神社もです」みたいに。
 
たまたま祭壇を拝見しにお邪魔したお宅で、そこのご主人がやはりそうだったり。
 
わたしの周りに現れる物部筋の皆さん、航空関連の人ばかり。
 
 
星の世界を美しく語る物理学者の佐治 晴夫先生が、昼間の星を見つける訓練を戦時中に日本軍のパイロットはしていた、と聞いたことがある。
航空戦は、先に敵機を見つけた方が勝利するから。
だから日本軍はブルーベリーを視力向上のために用いていたとも聞いた。
 
 
天体観測(暦の技術)は古来から伝わる神事でもある。
 
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