渇き。

2008年 監督/ マーク・フォースター

007シリーズ第22作。

"若い時は善と悪の区別が簡単についた"

元諜報員マティスのセリフが言い表すように『慰めの報酬』は、敵味方の判別が難しい混沌とした世界観で構築されています。その印象を決定づけたのが本作の敵陣。表向きは環境保護を謳うNPO法人でありながら、天然資源を餌に軍事政権やCIA、そしてあろうことか英国政府まで取り込み、勢力拡大を目論む闇の組織なのです。

リアルな社会情勢観で作られた本作には、"もしかしたら現実社会にも裏の顔を持つ闇組織メンバーが紛れているのでは?"とすら夢想させる説得力があります。


カジノ・ロワイヤル』の続編を謳っただけに、情緒不安定で暴走するボンドは人間臭く魅力的です。その暴走ぶりは政府高官から「ボンドはもう抑えが利かない。敵に寝返ったらどうするんだ」という恐ろしくリアルなセリフを引き出す事になります。


本作の監督はマーク・フォースター。社会的弱者の目線から描いた傑作『チョコレート』同様に、本作はズタボロの美学極まれり!ボンドは復讐対象者ドミニク・グリーンを追うも、グリーンに飼い慣らされたCIAと英国政府からも追われる立場にあります。八方塞がりで尻に火の付いた"弱者ボンド"を描くあたりがフォースター監督らしさであるも、シリーズとしては"らしからぬ"野心作という特別なオーラを纏いました。


激しさを極めたアクションシークエンスは、ダン・ブラッドリー(『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』など)第二班撮影監督によるもの。しかし、その荒々しく乱暴なカットで構築されたアクションシークエンスさえも、メチャクチャに引っ掻き回されたボンドの心象(怒りと焦燥)であるとフォースター監督が解釈したのではないか。つまりそこで描かれたのは活劇ではなく、激しく揺さぶられたボンドの心ではないか。


デヴィッド・アーノルドの音楽は本作でも絶好調ですが、今回は会心の出来と言うべきでしょう!フォースター監督の映像に寄り添うスコアは、アクションシーンでさえボンドの心象を奏でる繊細なミニマル楽曲に仕上がっています。それでいて鮮烈な印象を残すなんて凄すぎやしませんか?



【この映画の好きなとこ】

◾︎マーク・フォースター監督の美術センス
街並みや車までの美術全般が錆や埃で彩られ、ボンドまでが全編埃まみれの傷だらけ。しかしそれがゴージャスな湖上オペラステージや高級ホテルとのアシンメトリーな魅力として活きてきます。
塗装の剥げたボートとか、どのカットも美しい!

◾︎ジェームズ・ボンド (ダニエル・クレイグ)
クレイグは最新作含め5作品に出演していますが、本作のクレイグ=ボンドが最も好きです。その理由は心身共に傷と埃が似合う事、そしてファッションセンスが抜きん出ている事。
新オシャレ番長

◾︎M (ジュディ・デンチ)
前作『カジノ・ロワイヤル』に続き癇癪キャラ続投。灰皿を床に叩きつけて割ったり、ボンドを叱責するシーンに味があります。
「奴は禁煙していた」「ムキーッ!」
「オフィスで働き空港に迎えに行っただけの女性なのよ!大した魅力ねジェームズ」

◾︎プレタイトルシークエンス
何故ボンドは追われている?追っている奴らは誰?その目的は?何も解らないまま激しいカーチェイスが展開されるんだけど…最後にその理由が解ります!すごい!
アストンマーティンのトランクには…

◾︎オープニングタイトルシークエンス
オープニングにガンバレルタイトルの無い本作ですが、シークエンス本編に突如例のドット柄が登場します。これ興奮度高い!
赤のドットはガンバレルだけでなく『ドクター・ノオ』のタイトルシークエンスをも彷彿

◾︎バイクが似合うボンド
『ゴールデンアイ』や番外編『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を見てボンドにバイクは似合わないと確信(主観です)。しかしクレイグは、その荒削りな魅力でオフロードバイクすら引き寄せてしまうのです!
似合うのは高級車だけじゃないんだぜ
荒削りな魅力を最大限に引き出したバイクジャンプ!

◾︎ヴェスパーへの想い
ヴェスパーを想いマティーニのグラスを重ねるボンドが酒に酔うシーン。クレイグ=ボンドの脆い性格を強く印象づけるシーンとなりました。
酒に酔うボンドなんてもちろん史上初!

◾︎伝統
『ゴールドフィンガー』で登場したボンドカーの煙幕装置。秘密兵器が登場しない本作では、故障した戦闘機から噴き出る煙で代用。
『ユア・アイズ・オンリー』同様に見せる頭脳プレイ!

◾︎フリーフォール
戦闘機から飛び降りたボンドとカミーユ。CG合成ながら豪速球的演出が勝り、手に汗握る名シーンに!
『ムーンレイカー』にだって負けないぜ!

◾︎エレベーター
暴走するボンドを拘束するために現れたMとMI6の面々。連行されるボンドがとった行動は?ここはぜひ動画でご覧ください!!
クレイグならではのシーンであり、クレイグ=ボンドに恋した瞬間です!

◾︎"マティスを覚えてるか!"
本当は"友人が世話になったな"というセリフなんですが、この日本語字幕用の"意訳"が大好きです!怒りと子供っぽさが同居する名訳であり、クレイグ=ボンドらしさ全開!
なっちやるじゃん!

◾︎復讐するもの
ボンドはカミーユとベッドを共にしない。復讐を果たす渇いたドラマという焦点からブレる事が無い設定に拍手!復讐を遂げた2人の胸に去来するものは…?
ボンドガールまでもがズタボロ

◾︎エピローグ
恋人ヴェスパーの仇といかに対峙するかで諜報員としての真価が問われるところ。『カジノ・ロワイヤル』との2部構成であるこの締め括りで、ボンドは真の諜報部員となるのです。
このカットのBGM "Vesper"に胸が締め付けられます

フォースター監督は当初ファイナルステージを雪山に想定していたそうです。諸事情から砂漠に変更となりましたが、ボンドのからっぽで渇いた心を表現するのに砂漠は最高の舞台であったと確信しています。

当初は007シリーズらしからぬ印象を受けた本作でしたが、"フォースター監督が描いたスパイ劇"として鑑賞すると、とてつもない味わいの波が押し寄せて来ます。これまで描かれる事のなかった魅力的なキャラクターの数々と、リアルなシチュエーションの数々にドラマの奥行きを感じずにはいられません。そこに繰り返し観たくなる魅力が潜んでいます。

前作『カジノ・ロワイヤル』の世界的大ヒットからすると過小評価されがちな本作。その独特な作風から、本来の魅力を見落としたシリーズファンも多くいると思います。ここまで繊細に描かれた本作が正当評価を受けるのは、もしかしたら『女王陛下の007』のように数十年先になるのかも。


2019年8月13日の投稿記事をリライトしました

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