皆さま、こんにちは!
今日は駅の表と裏が
入れ替わっちゃった駅の訪問記です。
それまで駅裏だったエリアが宅地化されると、
表裏から出入り出来るよう
橋上駅舎に変わった駅は山ほどありますけど、
橋上化されずに駅舎が裏側に移ってしまったケースは
稀だと思いますよ。
そんな駅が芸備線にあるらしい。
芸備線内で運行される
多くの区間列車の始発・終点でもある
こちらでした。
芸備線・下深川(しもふかわ)駅です。
大正4年、芸備線の前身である芸備鉄道の開通に合わせて
開業した駅でした。
駅舎が移設されたのは国鉄時代の昭和58年のことで
上の画像に写る駅舎が昭和58年に竣工したモノでしたよ、
それでは旧駅舎はどこにあったかというと…
駅舎がある構内南側から北側に向けて
まっすぐ伸びる自由通路を直進。
階段を降りると北側の出入口が現れます。
何を隠そう、
大正4年の開業時から昭和58年までの63年間は
こちらが下深川駅の正面で、
駅舎はその間、こちら側にありましたの。
その証拠がこちらの画像です。
国土地理院のサイトに掲載されてる
昭和50年撮影の航空写真ですが…
今の姿からは想像できませんが
40年前の下深川駅はこんな様相でした。
ちなみに島式ホームは
昔も今も姿は大きく変わっていない模様。
航空写真を見ると
側線に5両の有蓋車が写りこんでますが、
Wikipediaによれば
昭和56年まで貨物の取り扱いがあったそうです。
背後に食協(株)の食糧倉庫が見えるので、
貨車は米穀輸送に就いていたのかもしれませんね。
貨物側線は現在も残ってます。
本線と繋がっているので
保線車両の留置線に転用された感じでしょうか?
それでは旧駅舎はどこにあったかというと…
エレベーター塔の奥に見える駐車場が
旧駅舎の跡地みたいですね。
航空写真を見ると、
駅舎とホームは構内踏切で結ばれていたようです。
航空写真に写る50年前の下深川駅は
背後に森林が生い茂ってましたが、
その後、宅地の開発が進んで亀崎地区の団地群が完成。
下深川駅の表裏で地面の高低差があったために
駅舎は地面が高い位置にある南側に移設したと思われます。
昔からあった北側に駅舎を置いたままでは
ホームに入る際、
必ず階段を利用しないといけませんからね。
南側の地盤と駅舎の高さが揃えられているので
扱いは「地上駅」ですが、構造は橋上駅舎そのものの
ユニークな造りの下深川駅でした。
そんな構内を眺めます。
まずは駅舎内から。
自分が下深川駅を訪れたのは
今から2年前のことです。
当時は「みどりの窓口」が営業をしてましたが
昨年11月で閉めたようで…
駅員の常駐も今月一杯で廃止されるとのことです。
階段を抜けてホームにイン。
先にも書きましたが
下深川駅は列車の退避が可能な
島式ホーム1面2線構造でした。
旧駅舎側から島式ホームを眺めます。
芸備鉄道時代に造られた石積みのホームと
近代的な駅舎をいっぺんに楽しめる下深川駅です。
それにしても…
旧駅舎の時代の下深川駅しか知らない方が
今の姿を見たら、
あまりの変貌ぶりに
度肝を抜かすのではないでしょうかね?
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