皆さま、おばんです!
先日、何気なくツイッターを見ていたら、
芸備線・備後庄原(びんごしょうばら)駅の駅舎が
改装されるとの情報が…
最近は、駅舎の改装(改築)を知らせるプレス発表が減ったために、
ツイッターで情報を得る機会がとんと増えた気がします。
駅前に路線バスや高速バスが発着するバスターミナルが整備され、
駅舎の中には、バスの待合所や休憩所、
市民が集える多目的ホールが設けられるみたいですね。
実はここ、自分の母方の実家の近く(府中市内です)にある駅で、
帰省の際にはちょこちょこ立ち寄っていた駅だったのですよ。
そんなことで個人的に思い入れが強い駅でした。
芸備線・備後庄原(びんごしょうばら)駅です!
備後庄原駅の第一印象ですが、とにかく駅舎がデカい。
この大きさの木造駅舎って全国的にも珍しいのではないでしょうかね?
正面からだと写真に納まりきれないので、斜めの位置から撮りました。
う~ん なんかスッキリしないなぁ。
備後庄原駅は庄原市の玄関口として、
大正12年、芸備線の前身である芸備鉄道の手により開設された駅です。
現在の駅舎は、昭和8年の国有化の際に建て替えされたモノだそう。
壁に貼られた建物財産標に注目、間違いなく唱和8年築の駅舎ですね。
実家(福塩線の上下駅付近です)から備後庄原駅までは
列車で移動すると1時間半近くかかる(塩町駅経由)のですが、
2点は30キロちょっとの道路で結ばれているために、
クルマを使うと30分位で向かうことが出来ます。
だから、実家付近では”街”と言ったら庄原市を指すのですよ。
庄原市は三次市に次ぐ県北第二の街ですから。
駅舎を眺めます。
これから施される改装工事ですが、駅舎を建て替えるわけではなく、
戦前生まれのこの駅舎を活かした工事になる模様。
改札口正面のこの辺りに、
ミニコンサート等も楽しむことが出来る多目的ホールが出来るみたいですね。
こちらは現在の待合室です。
わぉ!いい日旅立ちのステッカーが残ってるじゃないの!
このキャンペーンが行われたのは昭和53年からだから…
ってことはこのステッカー、ここに40年近くも貼られてるってこと!?
駅舎が改装されても、このステッカーはどこかに残してほしいですね。
これだけ大きな駅舎を持つ備後庄原駅ですけど、
現在は庄原市が管理する簡易委託駅。
ご年配の職員さんがお独りで出札窓口を切り盛りされてましたよ。
入場券を購入してホームに入ります。
職員さんが丁寧に端末を叩きながら切符を作ってくれました。
備後庄原駅は相対式&島式ホームによる複合2面3線構造です。
ここでの見どころは沢山あるのですが、
個人的なおススメはコレじゃないでしょうかね?
駅舎寄りにバカでかい、古風な上屋があるのでした。
駅舎もそうですけど、これだけ大きな上屋も他じゃ見られないかも。
真下から見るとこんな感じでした。
木造の上屋ですがこちらも戦前築、昭和17年に建てられたモノなのです。
建物財産標にも注目くださいね。
それにしても、現在の利用者数(乗車客数)からは
オーバースペックとも思えるような大きさの駅舎と施設…
それには理由があると思い調べたところ、
芸備線の貨物輸送が全廃される昭和61年以前は
備後庄原駅は貨物列車の発着拠点だったそうで、
当時は多くの職員さんが常駐されていた駅だったんですって。
こちら昭和50年に撮影された備後庄原駅周辺の航空写真です。
駅の構内に無数の貨車が留置されているのがわかりますかね?
備後庄原駅から数本の貨物専用線が延びてましたが、
そのひとつが上の写真の緑線部分で、
専売公社広島地方局の倉庫に延びる専用線でした(多分)。
この辺りはたばこ(三原葉)の産地なので、
広島市内の専売公社広島工場に
たばこ葉を輸送するための専用線だと思いますが…
実は、写真に写る倉庫が専売公社のモノだったのか、確証が得られず。
ご存知の方はぜひ教えてください。
かつての賑わいが嘘のような、現在の備後庄原駅の様子でした。
…って言っても自分は国鉄時代、ここには1度しか来たことがないのですけど。
現在は駅舎の中に「子育て支援センター」が入居中です。
駅舎の改装後も、引き続き入居されるみたいですね。
さてさて、今から改装工事の完了が楽しみなのですけど…
あのステッカーがあのまま残っていたら、たぶん自分、泣いちゃいそう。
↑(備中神代駅方面)
東城駅
備後落合駅
備後庄原駅(平成26年6月5日)
山ノ内駅
下和知駅
塩町駅
神杉駅
ハ次駅
三次駅
西三次駅
志和地駅
上川立駅
甲立駅
吉田口駅
向原駅
井原市駅
志和口駅
上三田駅
中三田駅
白木山駅
狩留家駅
上深川駅
中深川駅
下深川駅
玖村駅
安芸矢口駅
戸坂駅
矢賀駅
↓(広島駅方面)