【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
「紙おむつの今と昔」の続きです
★これまでのお話
ばーちゃん(姑95歳・要介護3)は、29年前、次男夫婦と同居するために家を建て替えた。
じーちゃん(舅)が亡くなり、家土地の名義は次男へ。
次男も亡くなり、名義がばーちゃんの次男嫁(鬼嫁)に移って、ばーちゃんを家から早く追い出したい鬼嫁👹の、猛攻撃が始まる。
で、ばーちゃんは、家も財産も鬼嫁に盗られて、わが家にやって来た。
自分の固定概念で苦しむ姑世代
あっか~ん
昨日、昔の紙おむつへの風当たりの強さを書いていたら、芋づる式に、当時のことが、ズルズルいっぱい、出てくる~(@_@)
あの頃って、若い世代がする新しいことには、取り合えず、何やかや言われていたよね
当時の、15~30歳くらい上の先輩ママたちの、一部の意見だったとは思うけど・・・
★当時流行り始めた抱っこバンドについては、
「私たちの子育ては、赤ちゃんはいつもおんぶ紐に、ねんねこを着せたものです。子供もぬくぬく、そして親と子供が同じ方向を見る。抱っこバンドは、そうはいきません」みたいな・・・
★電車でのベビーカーも
(今はラッシュの時間でなければ、普通に乗ることが許されている感じだけれど)
当時は
「みんなの迷惑になる」
「非常識」
「どうしておんぶしないの?」
みたいな暗黙のプレッシャーを感じて、電車に乗る時には折りたたんで、自分の荷物と、赤ちゃんと、折りたたんだベビーカーを全部持って、大変
駅の改札口で、いつものように折りたたもうとしたら、駅員さんが改札口を広げてくれて
「そのままどうぞ」
と言ってくれたことがあった。
どちらかというと、電車のスタッフよりも、乗客の視線の方がきつかった。
★干渉は子供の替え歌にも
当時、タモリや志村けんが、タレントワーストランキングに選ばれていたような・・・。
品が悪いとかいう理由で。
“カラス なぜなくの カラスの勝手でしょ♪”
この替え歌には、
「せっかくの童謡・唱歌が台無し」
とPTA連合(?)から抗議があったりして・・・
まあ、その辺はどっちでもいいとしても、こういう固定概念の中に
「子供が親の面倒を見るのはあたりまえ。自分もそうしてきた」
みたいなものも含まれていそうで・・・
(医療体制も、平均寿命も、介護サービスも、今とは全く事情が違うのに)
うちのばーちゃんも、デイサービスから帰って来て
「お昼に、スタッフの人に食べさせてもらう人が、いてはるねん。家の人は、その時間、楽してると思うわ」って言うのを何回も聞いた。
つまり、うちのばーちゃんも
”家の人が面倒をみるのが当たり前”って思ってる?
こういう考えに縛られていると、せっかく家族が一生懸命しても
「当たり前」
少しでもしないことがあれば「してくれない」と思うわけで・・・
それって、自分自身の
「幸福感」とか「満足感」が得られなくて、結局自分を苦しめている気がする
つづく
「訂正後:義母がショートステイ&特養にかかった費用」
「施設の費用はかかる? ロングショートステイ中の入院」
「毎月、お薬代にいくら払っていますか?」
「好かれるばーちゃんと、そうでないばーちゃん、違いはどこに?」
「義母を引き取らない方が良かった??」
「義母と同居して、得たもの」
#「最近悲しかったこと」
「姑の未来を暗示する不思議な夢」
「私が見た夢は、姑を追い出した鬼嫁の未来も暗示?」
「鬼嫁は結局、何がしたかったの?」
「お見合いの時、姑が見た鬼嫁の第一印象は」
「舅が私に伝えたかった事は “義弟嫁に気を付けて”」
「鬼嫁(義弟嫁)の人生って…?」
「鬼嫁(義弟嫁)が見せた別の一面」
「姑をそこまで突き動かしたのは潜在意識」
「鬼嫁に出会うずっと前の、姑の決断が不幸の原因に」
「姑介護って、ボディーブローのように、じわじわ効いてくる」
「風雨の中の車いす移動は最悪」
「ピンチと人のやさしさと・雨の車椅子移動」
「孫に言われて”ハッ!”としたこと」
「姑特養入所でほっとしたら、私の本音が出てきた」
「孫は、オーラだけではなく、幽霊も見えていた」
「特養から「介護プラン見直し」の連絡が」
「鬼嫁がばーちゃん(姑)にしたこと」
「年を取ると、赤ちゃんに戻っていく?」
「詐欺に○十万円の契約をしちゃった」
「姑は、嫌なことは言葉で言わずに実力行使」
「姑が尿バルーン管を外さなくなった訳」
「姑の、嫁へのストレス発散法?」
「嫁はつらいよ(@_@)」
#一番好きな花 ~ツユクサ~
「姑の顔は5年で、驚愕の変貌)」
「紙おむつの今と昔」