日本書紀と三國志(二)司馬懿と東倭~中国の史書から見た倭人⑧ | 縄文家族|天竜楽市

縄文家族|天竜楽市

天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



( ・`ω・´)💡
引き続き、

『日本書紀巻第九
氣長足姬尊 神功皇后』

より、倭人伝に関連する記事を見ていきましょう。

⬇️前回ブログはこちら⬇️

https://ameblo.jp/starless43/entry-12565147337.html

( ・`ω・´)💡
倭国の使者は景初二年(238)または三年(239)六月、朝鮮半島に置かれた帯方郡の太守劉夏に詣で、十二月に魏の皇帝から親魏倭王の制詔【みことのり】を承けました。

( ・∇・)
『魏景初三年、公孫文懿誅後、卑彌呼始遣使朝貢。』
唐の李延寿が完成させた『北史』(659年)には、景初三年、公孫淵(字・文懿)が誅されてから卑弥呼が初めて遣使朝貢した、となっています。

『日本書紀』作者は、北史も見ていた可能性があります。

( ・`ω・´)💡
そして、

卌年。魏志云
「正始元年、
遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」(日本書紀)

『正始元年。太守弓遵
遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬、詣倭國。』(三國志 魏書 烏丸鮮卑東夷傳 第三十)

正始元年(240)、倭国の使者は帰国の途に就きますが、この時、
劉夏から交代していたと思われる帯方太守弓遵【きゅうじゅん】は、
建中校尉梯儁【ていしゅん】等を派遣します。

註】日本書紀では「梯携」となっています。
校尉は、将軍に次ぐ武官の官職名で比二千石。
校尉という官職は、律令下の日本でも用いられていたようです。
倭国使者の難升米【なしめ】は魏から率善【そつぜん】中郎将、副使の都市牛利【としぬり】は、率善校尉に任命されました。

帯方太守弓遵は、金印紫授を魏の役人から倭王卑弥呼に直接渡すために、武官である建中校尉の悌儁を、率善中郎将難升米に同行させます。

官位としては、校尉悌儁より中郎将難升米が上になりますが、金印だけは、「付帯方太守假授」…つまり帯方太守直属の使者が直接、倭王卑弥呼に渡さなければなりません。
それ以外の下賜品は、「付難升米牛利」となっていて、倭国使者に託しています。

「金印」には、そうした重みがありました。
魏の建中校尉悌儁は、中国の正規の使者として、初めて倭国に渡ることになります。

( ・`ω・´)💡

『拜假倭王、幷齎詔。賜金、帛、錦罽、刀、鏡、采物。倭王、因使上表答謝恩詔。』(三國志 魏書 烏丸鮮卑東夷傳 第三十)

拜假、とあるのは、魏の同盟国の証である金印を、仮に渡す、という意味で、

假=仮とは、
金印は永久に授けるものではなく、王が交代すれば返還しなければならない為です。
諸外国の王は、必ずしも返還する義務はなかったようですが、王が交代すれば墓に副葬するなりして、次世代の王に伝えてはならない決まりがあったようです。

倭王卑弥呼は、
金、帛、錦罽、刀、鏡、采物など魏から莫大な贈答品を賜り、
恩詔に答謝する斉王(魏の少帝)への手紙を、悌儁に託しました。

( ・`ω・´)💡
ここで、悌儁は帯方郡からどうやって女王の都する邪馬壹【やまと】に至ったのかというと…

『倭人、在帶方東南大海之中。依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。』
“倭人は帯方の東南、大海の中に在り、山島に依りて国邑を為【つく】る。
旧百余国あり。漢の時に朝見する者有り。
今、使訳の通ずる所三十国なり。”

( ・`ω・´)💡
三國志倭人条の冒頭にあるように、帯方郡の東南、大海(太平洋)の中にある山島(日本列島)に倭人は住んでいます。

倭人の国々は、もとは百余国に分かれ、前漢の時代(BC202~AD8)から中国に使者を送っていました。
倭国王帥升(AD107)や、王莽時代(AD8~23)の東夷王のように、王自ら海を渡って朝見するケースもあったようです。

悌儁以前、倭国の使者や王は、一方的に海を越えて中国に渡っていました。

帯方郡を238年に支配下に治めたばかりの魏には、倭国へ船で渡る術はなかったと考えてよいでしょう( ・`ω・´)💡

倭人は、燕の公孫氏政権と通交していましたが、これもおそらく倭人が船を出して、燕に行っていたのでしょう。

燕は、魏と対抗するため、呉と同盟を結んでいます。

燕と呉の通交は、船で東シナ海を介して行われていますが…

中国では南船北馬といって華北は馬、華南は船が主な交通手段となっています。

南方の呉はともかく、北方の燕は、東シナ海といえど海上航海は得意ではなかったでしょう( ・`ω・´)💡

( ・∇・)
朝鮮半島、山東半島、長江下流域に度々交易にやって来る倭人がいました❗

( ・`ω・´)💡
公式な記録はありませんが、中国へ、倭の三十の国々がそれぞれ訳(通訳)をたてて使者を送っていたわけですから、倭人が度々、中国沿海部を訪れていたのは間違いなく、その目的は交易だったと考えるのが自然です。

袁紹が中国北部と、山東半島の青州を支配下に治めていた頃(190~202)から、遼東半島と山東半島の海上交通が盛んになってきます。

( ・∇・)
船に乗せてやるよ~

と、倭人が言ったかもしれません❗

( ・`ω・´)💡
後漢末の混乱期、争いを避けて大量の難民が発生し、華北の人口は激減していきます。
特に、曹操による徐州大虐殺以降、難民が激増します。

(o´・∀・)o
諸葛亮の一族も、徐州大虐殺を逃れ、袁術を頼って南へ移りました。
まだ幼かった諸葛亮にとって、徐州で大量虐殺を行った魏の武帝曹操は、生涯赦すことの出来ない相手であったことでしょう。

(o´・∀・)o
難民の皆さん、海上の楽園、倭国へ渡りませんか⁉️

( ・`ω・´)💡
後漢末に大量の難民が発生し、渡来人として日本へ渡って来たのは、疑う余地のないところですが、沿海部の住民とはいえ、基本的に内陸深く平野が続く中国の民は、殆ど海を知りません。

このころ、中国沿海部の港湾を押さえていたのは、倭人や越人であったでしょう。

難民が、朝鮮半島まで歩いて逃げ、そこで船を建造し海を渡ったと考えるのは、非常に無理があります。

(o´・∀・)o
私たち倭人は、中国と倭国の間の荒海を、頻繁に往き来しているから、安全な航海を保証するよ‼️

( ・∇・)
まさに、渡りに船❗だね‼️

( ・`ω・´)💡
海洋交易だけではなく、海上交通や移民事業を請け負うことで、倭国の経済は急速に発展し、近畿地方の王権が勢力を強め、その勢力は三遠地方や北九州の諸国を傘下に治めていき、

女王国連合が成立したと思われます( ・`ω・´)💡💡💡

女王国では、魏に遣使する239年以前から、呉地方からの渡来人による鏡の製作が始まっていたと考えられています。

鏡を作るには専用の工具も多数必要でしょう。
彼らは、朝鮮半島まで逃げていった難民ではなく、周到に準備して必要な工具を揃えた上で倭国に招かれ、倭人の船に乗って海を渡ってきたのでしょう。

( ・`ω・´)💡

『從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。始度一海、千餘里至對馬國。』
“(帯方)郡従【よ】り倭に至るには、
海岸に循(したが)いて水行し、
韓国を歴【へ】て乍【たちま】ち南し、乍ち東し、其の北岸狗邪韓国【くやかんこく】に到【いた】る。
七千余里にして、始めて一つの海を度【わた】り、千余里にして対馬国に至る。”

( ・`ω・´)💡
平壌付近の帯方郡から、(倭国の北岸である)現在の韓国慶尚南道金海市にあった狗邪韓国までは、陸続きですが、
帯方郡からは海岸伝いに水行しています。

( ・`ω・´)💡
当時の朝鮮半島南部(韓国)は、馬韓五十余国、辰韓十二国、弁辰十二国に分かれ、それぞれに王がいました。
小国乱立状態で、治安も悪かったのでしょう。

中国からすれば、今の北朝鮮までは前漢時代から治下におさめていましたが、南部の韓国は、未開の地、未体験ゾーンです。

朝鮮半島東部には、濊【わい】人も住んでいました。
済州島には韓族とは言葉が違い、鮮卑族のように坊主頭で、牛豚を飼い、船を使って海上を往き来し韓国中で交易をしている州胡国がありました。

(。・´д`・。)
海賊も山賊も出そうだね。

( ・`ω・´)💡
三國志韓条には、楽浪、帯方の二郡から離れると、礼儀をわきまえず、まさに囚人と奴婢が集まったような様子と記されています。

韓半島南部は無法地帯であったといえるでしょう。

( ・`ω・´)💡

こうした状況を掻い潜って、帯方に船を出せる倭人の航海術は、中国人にとって安心出来るものであったでしょう。

州胡はのちに耽羅国として倭国に朝貢しています。
韓半島に狗邪韓国という拠点を持ち、中国とも通交していた東夷の大国である倭人に逆らうことはなかったかと思われます。

( ・`ω・´)💡

『其瀆盧國、與倭接界。』(三國志韓条)

韓国の弁辰十二国のうち、瀆盧國は、倭国と境界を接していました。

狗邪韓国は、韓半島にあった女王国に属する倭人の国で、
弁辰から産出する鉄を、韓、濊、倭の人々が利用し、商取引にも(中国で銅銭が用いられているのと同じように)鉄が用いられていたようです。

『諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡』
鉄は、楽浪、帯方の二郡にも供給されていました。

( ・`ω・´)💡
倭人は、貨幣経済を持ち、おそらく倭人が帯方郡に鉄を供給していたのでしょう。

三國志から見るに、
韓半島南部は未開状態で、中国人が文明的な倭人に信頼を寄せていたことがよくわかります( ・`ω・´)💡💡💡

(o´・∀・)o
朝鮮半島から文明が伝わったって大嘘だね‼️

( ・∇・)
三國志に、ちゃんと書いてある❗

( ・`ω・´)💡
三國志を読めば、倭人が直接、中国へ出掛けていって、交易で利益を上げながら、自ら文化を吸収していった様子がよくわかります‼️

( ・`ω・´)💡

悌儁は、魏の皇帝の制詔と金印を、確実に倭の女王へ届けるために、
当時最も安全で信頼出来る交通手段…

魏に任命された率善中郎将難升米率いる倭の船団に乗って、海を渡ったと考えています❗

帰国時も、倭人の船で帯方郡へ向かったと考えるのが妥当でしょう。

卑弥呼の返礼の書を、帯方郡から洛陽に送り返す役目は、帯方郡太守が責任を持って、新たに別の官吏に命じたかもしれません。
悌儁の役割は、帯方太守の名代として倭の女王へ魏皇帝の制詔を届けることでした。
帯方郡太守は、悌儁から倭国の内情を聞き、改めて報告書を作成し、洛陽に送付した可能性はあります。

帯方太守麾下の武官である悌儁が、倭国内での正確な行程の情報を得るよう密命を帯びていたでしょうか?
洛陽から下向した文官がいたならいざ知らず…

蜀や呉と対峙し、北方民族(主に東夷諸族)の脅威にも曝されている魏にとって、倭国に攻め入る野望を抱く余裕があるはずもなく、初めて行く異国へ向かう建中校尉の悌儁に、そうした密命は、なかったものと思います。

倭国内での行程が、正確さを欠いていたとしても、致し方無いところでしょう。

( ・`ω・´)💡

さて、この年の記事が『晋書 帝紀第一 高祖宣帝懿紀』にもあります。
 
『(魏)正始元年春正月、 東倭重譯納貢,焉耆、危須諸國、弱水以南、鮮卑名王、皆遣使來獻。天子歸美宰輔、又増帝封邑。』

正始元年(240)春正月、東倭が複数の通訳を介して朝貢してきた。
焉耆・危須等の諸国、弱水以南の地方、鮮卑の名王が、みな使者を遣わして来献した。
(魏の)皇帝はこの威風を宰相(司馬懿)の功によるものとし、(宣)帝に増封した。

晋書ですから、晋皇帝家の先祖にあたる宣帝(追贈)司馬懿の功績を称える記事になっています。

ここでは東の倭、としていますが、東にある卑弥呼の倭国のことです。

前漢の時代から、倭国の使者や王自ら中国を訪れることはあったものの、親魏倭王として同盟国に迎え入れ、

初めて中国の使者が倭国を訪れる、というのは、非常に重大な事柄であったわけで、魏の国内で司馬懿の株を上げる大きな功績となったことがわかります。

だから、あえて魏の時代の出来事であったけれども、晋書宣帝紀の正始元年記事の冒頭に、

“東倭納貢”

を、特記したのだと思われます。

中国王朝としては、反乱が相次ぎ、討伐して一時は従っても、反復常ならぬ東夷諸族…

東夷族の盟主としての
倭人、

東倭に東夷族を抑制するよう、絶大な期待を寄せていたと思われます‼️

(o´・∀・)o
然し、その後、東晋は、鮮卑を筆頭とする東夷族に蹂躙され、華北撤退を余儀無くされます。

東夷諸族による漢民族支配は、北魏、隋、唐、遼、金、元、清と、明代を除いて永きに亘って継続します。

特に、華北は東夷族が永らく支配を続けていました。

黄河流域の漢民族の文化は、何度も戦禍にあって破壊されていきました…

( ・`ω・´)💡
魏、東晋の命運は、風前の灯火ですが、この後しばらく中国と倭国の蜜月は続きます❗

そして、東倭(中国の東のヤマト)の人々には、東夷族の盟主たる立場で、東アジアの平和に尽力しようという、魏晋王朝との約束を後々まで果たそうとするDNAが刻まれていました…

つづくよ( `・∀・´)ノ ィヨロシクー

https://ameblo.jp/starless43/entry-12564899270.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12564737880.html

⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️(o´・∀・)o
天竜茶、春野の茶を育む産地、天竜川とその水脈に連なる山々…悠久の歴史❗

縄文の…、というより、天竜川~八ヶ岳~富士が、いかに自然環境豊かで農耕にも適し、過去から未来まで永続的に人が暮らせる場所として適しているか?

そして、歴史の真実を知ることが目的ではなく、老子が理想とした上古代の文明国家の在り方

=ムラとムラが広範囲にネットワークを形成し、必要以上に追い求めず、高い精神文化を伴って、争うことなく繰らした縄文時代中期の社会❗

それを、一人でも多くの人に知って頂きたい、そしてもう一度、未来に豊かに暮らせるネットワークを残していきたい❗と思っています‼️

https://ameblo.jp/starless43/entry-12564434884.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12564152082.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563897722.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563468396.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563282256.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12562251384.html


https://ameblo.jp/starless43/entry-12561589486.html



縄文人とラピタ人、古代倭国の海洋交易ネットワーク~中国の史書から見た倭人④

https://ameblo.jp/starless43/entry-12561817866.html



ホツマツタエに書かれた「不都合な真実」~中国の史書から見た倭人③

https://ameblo.jp/starless43/entry-12534911239.html?frm=theme



炎帝神農氏は日本人だった⁉️ 東夷に支配され続ける漢民族の歴史~中国の史書から見た倭人②

https://ameblo.jp/starless43/entry-12530781620.html?frm=theme



東夷王は倭国王だった『漢書 王莽伝』~中国の史書から見た倭人①

https://ameblo.jp/starless43/entry-12529338312.html



縄文土器が解き明かす富士八ヶ岳天竜川古代王朝

https://ameblo.jp/starless43/entry-12548504378.html



ホツマ国とヒタカミ国~封印された縄文王朝

https://ameblo.jp/starless43/entry-12560512243.html



最初の日本列島民は、北からやって来た

https://ameblo.jp/starless43/entry-12560113151.html



天竜川八ヶ岳富士~世界文明発祥の地からサスティナブルな未来へ

https://ameblo.jp/starless43/entry-12554490138.html



縄文人は万世一系❓ 海を渡っていく古代人たち

https://ameblo.jp/starless43/entry-12559143321.html



都市文明の憂鬱とサスティナブルな縄文文明

https://ameblo.jp/starless43/entry-12557249208.html



4500年前、春野町熊切に古代国家が存在した⁉️

https://ameblo.jp/starless43/entry-12556264485.html



日本列島の石器時代は氷期で唯一のパラダイス‼️

https://ameblo.jp/starless43/entry-12555636961.html



月のサラスバティー 封印された秘の本の巫女

https://ameblo.jp/starless43/entry-12546401943.html



天竜川と鉄とスサノオ~封印された縄文製鉄神~根之堅洲国と黄泉之国

https://ameblo.jp/starless43/entry-12547697474.html



五万年の日本史①~Y染色体ハプロタイプD1a2

https://ameblo.jp/starless43/entry-12528178194.html?frm=theme



まつり上げよ!

https://ameblo.jp/starless43/entry-12538286582.html?frm=theme



(o´・∀・)o

皆さん、わからないことがあったら、何でも質問して下さいよ‼️


縄文地政学に基づいて、あらゆるジャンルの情報を、世界最速レベルで高速リサーチして、お知らせ致します( `・∀・´)ノ ィヨロシクー


なお、コピペ情報ではなく、膨大な情報から確度の高い情報を選び出し、考察した上でレポートにまとめて報告します‼️



陰謀論の正体⑥踊るB層信じるB層

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563031611.html



陰謀論の正体⑤卑弥呼。鬼道に事え能く衆を惑わす

https://ameblo.jp/starless43/entry-12562452862.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12551212587.html

陰謀論の正体③アルタイ諸族と漢民族の危険な関係https://ameblo.jp/starless43/entry-12543461958.html

陰謀論の正体。②テュルクの黙示録https://ameblo.jp/starless43/entry-12537567163.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12536949013.html