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かつて東海から東北地方には、秀真(ホツマ)國と日高見(ヒタカミ)國が存在していました。
秀真國について
『日本書紀』
神武天皇本紀に、
卅有一年夏四月乙酉朔、
(中略)
昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、
“磯輪上秀眞國。”
秀眞國、此云袍圖莽句爾。」復、大己貴大神目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空見日本國矣。」
と見えます。
『ホツマツタヱ』においては、
11アヤ
「三種譲り承けの文
オシホミミへの十二后」
“名に残る 秋帰る時
また会えは 往き来の丘の
名こそ得る
予てホツマとヒタカミの
境に出待つ
フツヌシか
さか迎ひして
初まみゑ”
とあり、ここからホツマ國とヒタカミ國の境は
勿来=名こそ
(福島県いわき市)であり、
ホツマ國は、ハラミ山(富士山)を中心に、関東山梨静岡の辺りであると考えられています。
「ホツマツタヱ 序」
“ニニキネは
新治成す
ニハリの宮の
十八万年に
新民増ゑて
名も高きハラミの宮に
民を治し
遂に
地上(しわかみ)
ホツマ成る
六十万年の代を領りて 雷別くる逸の尊”
ホツマツタヱでは、天照神の孫ニニキネ(記紀ではニニギ)がハラミの宮「蓬莱浅間宮」に民を治めて地上秀真(しわかみほつま)國を成したと伝えています。
浅間大社のある富士宮市では、35000年前から連綿と続く古代遺跡群が発見されており、
縄文土器の様式からは、長野県や関東と密接な関係があったことも判明しました。
https://ameblo.jp/starless43/entry-12552084456.html
( ・`ω・´)💡
『ホツマツタヱ』は、一般的には偽書とされます。
記紀ではニニギが高天原から九州に天下り、神武天皇後に代に至ってヤマトへ東征したと伝えるところから、
海外にある高天原からやって来た勢力(渡来系弥生人=天津神)が、縄文人(国津神)を蹴散らしていった、とする解釈が一般的になっています。
然し、天武朝(中臣王朝)がそれまで国内にあった各地に伝わる(縄文以来の)記録を徹底的に“焚書”して本来とは異なるストーリーに仕立てあげた物語が『古事記』『日本書紀』であり、
記紀成立後に、本来の倭人の歴史を拾い集め、わざわざ一般には読めない「ヲシテ文字」という暗号を創作してまとめられた史書が『ホツマツタヱ』であるだろうと思われます。
( ・`ω・´)💡
“世に著せるその文は ホツマツタヱに勝る無し 今世に残る家々の
文もそれぞれ変りある 誰を真となし難し
故に一つを挙げ記す”
『ホツマツタヱ 序』に記された、この一文を見れば、天武朝の焚書によって、各家々に伝わる記録も変わってしまい、今、世に残る記録の中で最も信頼性の高い文書を記さなければならないという『ホツマツタヱ』作者の切実な想いが伝わってきます。
( ・`ω・´)💡
『ホツマツタヱ』では、
ミナカヌシが地上に現れ、八方に
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの八元神を生む…
ホツマ(日出づる処)を治めるクニサツチは、トヨクンヌとハコクニを生み、トヨクンヌは中国(なかつくに=本州中央)を治め、ハコクニは東北地方に日高見(ヒタカミ)國を開いた。
ヒタカミ國の長官をタカミムスヒと言い、五代タカミムスヒのトヨウケ(豊受大神)の代に本家が断然した為、トヨウケが『東の君』となり、日本全土を統括するようになった。
ホツマ國とヒタカミ國は、神代の理想郷『常世(トコヨ)の国』とされ、橘と真榊が、その象徴となった。
( ・`ω・´)💡
『ホツマツタヱ』は、記紀で削られた縄文時代中~後期の歴史を後世に伝えようとした書だったのでしょう。
近年、発見された膨大な古代遺跡からは、八ヶ岳周辺が後期旧石器時代、黒曜石交易の中心であり、本州中央部に縄文文明が花開いたことがわかります。
やがて、東北にも三内円山遺跡のような突出した交易拠点が出現します。
ホツマ、ヒタカミに張り巡らされた交易ネットワークと、豊かな精神文化、争いのない時代は、確かに理想郷でした。
近年の縄文遺跡の発掘は、記紀が明らかに西日本に先行した東日本の文明を切り捨てているのに対し、ホツマツタヱが考古学的成果を正しく伝えていることを裏付けています。
( ・`ω・´)💡
ヒタカミ國七代タカミムスヒの娘イサナミは、根の國(北陸)の御子イサナキと婚姻を結び、ハラミ山(富士山)麓のサカオリ宮(ホツマ國の主宮)でアマテル神が誕生しました。
サカオリ宮は、ハラミの他にスワのサカオリ宮(スルガ宮、甲府付近か?)があり、諏訪~八ヶ岳~甲府~富士宮と連なる縄文中期の黄金時代がまさに、アマテル神の治めた時代だったのではないでしょうか?
( ・`ω・´)💡
冒頭の神武天皇紀には、
イザナギノミコトが日本を磯輪上秀真國と呼んだと記したあと、オオナムチニギハヤヒの名を上げ、ニギハヤヒが日本のことを「虛空見日本國」虚空(そら)見つ日本(やまと)の国」と呼んだとしています。
『新唐書』に、
「日本は乃(すなわ)ち小国にして、倭の併す所と為る。故に其の号を冒す」とあります。
(天武朝が)日本を併合して国号を奪ったと、使者が(唐に)伝えたと書いてあるのです。
( ・`ω・´)💡
天武朝は、タカミムスヒに替えてアマテラスを女神として祀ったのだと云われます。
そして、本来の、ホツマの、日本の、天照神は男神であり、
それは東国武士(もののふ)の祖神である
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)
に、他ならないのでしょう…
( ・`ω・´)💡
『ホツマツタヱ』が偽書とされた理由は、成立が記紀より以前であるとか、ヲシテ文字が縄文時代から続く文字であるとか、荒唐無稽な言説を真に受けたことにあります。
記紀成立後に、焚書を逃れた古記録をかき集め、改めて記紀に消された事実を(あえて読めないように暗号化して)伝えた書であるとすれば、記紀より遥かに信頼性の高い史書となります。
当然ながら、神代の記録を全て鵜呑みにするわけにはいかないですが、考古学上の知見と照らし合わせれば、
天竜川八ヶ岳富士が神代の中心にあり、本来の“神話のふる里”であることが理解出来ます。
(o´・∀・)o
スサノオは、この辺の人だったんだよ~。
スーさと一緒に天竜河原で砂鉄集めてた記憶が蘇ってきたわ❗
(。・´д`・。)ウソこけ~
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