遠州二俣祭り馬鹿

日本人が日本人であるために、縄文太古の昔から連綿と紡ぎ伝えてきたもの。祭を透して、神と共に日本人が歩んできた道を辿る。これからも、その道は千代に苔むす未来へとつながっていくのだ。  遠州二俣まつり馬鹿


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天竜の物産やアート作品、飲食の出店が集る『天竜楽市』は
10月28日(土) 9:00~21:00
10月29日(日) 9:00~15:00
の時間で遠州光明山大祭に併せて開催!

大黒いなりはここでしか食べられない!?

10月28,29日は開山1300年 遠州光明山へお越し下さい!

山東 お料理・仕出しの「きよみ」さんは遠鉄ストア山東店の前
光明山光明寺のお膝元です。

4月の花まつり以来、光明山のイベントではすっかりお馴染みになった光明山名物きよみの『大黒いなり』

大黒様をイメージした黒豆も入った美味しいいなり寿司です。
10月28,29日の遠州光明山大祭でも数量限定販売しますので、お早めにお買い求め下さい!!

光明山光明寺には豊川稲荷のお姉さんという稲荷大明神が祀られています。大黒様の開運と御稲荷さんの商売繁盛で「大黒いなり」食べたら御利益もありそうですね!

 

 

 

 

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日本の繭の値段は二俣で決まると云われた… 

 

 かつての二俣中町は静岡県下に五行しかなかった国立銀行(第一三八銀行→二俣銀行→現静岡銀行天竜支店)が置かれ、昭和初期に二俣繭市場が全国一の取引高になるなど、遠州経済の中心地の一つとなり隆盛を極めました。

  二俣には正星、丸大と二軒の繭問屋があり、競い合って価格をつり上げたが為に、遠州のみならず信州、三河からも二俣市場へ繭が集積され、両問屋が統合された昭和二年に一市場として全国一の取扱量を記録しています。

 

 「銀座すきやばし次郎」小野二郎氏が修行したという高級料亭「福田屋」(のちの陣屋旅館)も中町に三階建入母屋造の建物が遺っています。

 明治三十二年、二俣祭典年番係の最初の会合は福田屋楼上で行なわれています。

 初期の二俣町会議員の有力者は、中町と北隣の横町から多く出ており、両町が大きな影響力を持っていたようです。
 二俣小学校の誘致を巡り、古くから栄えた中町横町車道を中心とする二俣北部と新興町の多い二俣南部が対立し「二俣南北紛争」が起こり、この年は祭典も分裂して行なわれ、諏訪神社祭典とは関係ない鹿島の山車屋台が車道まで進行し、北部五町の屋台が大明神へ向うのを阻んだというエピソードが祭典年番係の記録に残されています。

 

 

「もどせ」の起源

 

 戦前の二俣は道幅が狭く、屋台のすれ違いが出来る場所は少なく転回できる場所も少なかったため、十台(当時)の大屋台が連なって諏訪神社氏子各町を回る神輿渡御の際、先駆屋台と神輿が行き止まりまでいくと、最後尾から順番に屋台を後退させ、再び車列を整えて次の目的地へ向っていたらしい。

 屋台十台分のスペースを確保するためには、かなり長い距離を後退させる必要があり、「もどせ」の掛け声と共に延々と屋台を押していくことが曳き廻しの楽しみの一つとして定着していったようです。

 

 

 

古城連(中町)大屋台

 

 明治32年平山幸太郎師建造の二俣型一層唐破風大屋台

 照り起りの美しい唐破風と流麗なフォルム、随所に鏤められた匠の技

 遠州唐破風屋台の中でも屈指の存在といえるでしょう。

 

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二俣諏訪神社祭典初日

 

初日から全力疾走する㡌山連

 

 

車輪と土台の改修を行ない軽快に疾走する宮本諏訪連

 

二俣諏訪神社祭典は8月20日(日)まで

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