天竜川と鉄とスサノオ~封印された縄文製鉄神~根之堅洲国と黄泉之国 | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



伊砂(いすか)
百古里(すがり)
砂川(いさがわ)

何れも天竜区にある難読地名。

かつて、伊砂は伊須賀
百古里は須賀里と書いた。

須賀はスサノオノミコト(須佐之男命、素戔嗚尊、須佐乃袁尊、建速須佐之男命、神須佐能袁命)を祀る須賀神社のスガ=清々しいの意味とされる

このエピソードは、古事記のヤマタノオロチ退治の件(くだり)に登場するが…

( ・`ω・´)💡

須佐之男命は八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を十拳剣で切り刻み、尾を切ると「草那藝之大刀(天叢雲剣)」が出てきた。

須佐之男命は、櫛名田比売と暮らす場所を求め、根之堅洲国の“清々しい場所"須賀の地へ行き、そこで

「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 」
“八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を"

と日本で最初の和歌を詠んだと云う。

根之堅洲国は、一般的には“出雲"にあったとされる。

然し、海神スサノオが治める海底にある死者の逝く国と考えられる場所は、遠州にもある。

洞窟遺跡から、本州最古にして唯一の旧石器人骨“浜北人"が発見された「浜北区根堅」の根堅遺跡。

同時に根堅遺跡からは虎の骨が10体ほど発見され、少女と推定される浜北人は、虎に噛まれた痕があるという。

根堅を根之堅洲国に比定する話は、昔から当地にはあるが、

根堅洞窟から発見された本州最古の浜北人骨は、まさに“海底にある死者の逝く国"からの強烈なメッセージだろう。




根堅の隣、天竜区二俣町鹿島には、竜宮城伝説のある椎ヶ脇神社がある。

椎ヶ脇神社の祭神は、闇淤加美神(クラオカミノカミ)と、竜宮城の乙姫豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)だが、

鹿島と根堅に隣接する浜北区於呂の於呂(おろ)神社には、豊玉毘売命の夫であり、神武天皇の祖父にあたる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、山幸彦、炎尊)が祀られている。

於呂(おろ)=遠呂智(オロチ)、そして根堅遺跡の隣地にある龍宮山岩水寺は、椎ヶ脇龍宮伝説によって強く結びつけられているのだ。

椎ヶ脇龍宮伝説の内容は、平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂が椎河脇大龍王の娘と結婚し、やがて妻は子を身籠るが、出産の時は決して覗き見ないでくれと将軍に訃げる。
ところが、お約束通り将軍が妻の出産する様子を覗き見てしまうと…

妻は赤い大蛇の姿となっていた!Σ( ̄□ ̄;)

将軍を彦火火出見尊、赤蛇を八尋和邇(ヤヒロワニ)に変えれば、そのまま古事記にある
彦火火出見尊と豊玉毘売命の御子、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の誕生説話である。

椎ヶ脇神社はかつて、天竜川対岸の鳥羽山麓(現在の北鹿島椎ヶ脇御旅所)にあったという。
鳥羽山の反対側の麓にあったという油ヶ淵には、天竜川に出現した二俣の大蛇(フタマタノオロチ)を、奈良時代の遠江国司、草壁大掾が遠州光明山の大天狗笠鋒坊大権現に祈請して退治した逸話がある。

スサノオのヤマタノオロチ退治に酷似した伝説があるのだ。

高天原(井戸尻遺跡=6000年前の巨大縄文集落)を麓に抱き国常立尊を祀る八ヶ岳を源流とした天竜川は、

諏訪湖までを上川
諏訪湖から二俣までを天の中川
二俣から南を磐田之海
と云う

二俣鹿島は、山と海の交わるところ、

そこに海底にある
海神スサノオの棲む
根之堅洲国があり、
龍宮伝説があり、
オロチ退治の伝説がある

( ・`ω・´)💡

そして、スサノオはまた、午頭天王と習合していることもよく知られているが、
午頭天王に龍宮伝説が関係していることもよく知られている。

八大竜王の一柱で、龍宮に棲む娑伽羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の娘であり、また八王子神(八将神)の母である頗梨采女(はりさいにょ)と午頭天王は結ばれているのだ。

彦火火出見尊と豊玉毘売命の龍宮伝説とは、

素戔嗚尊(午頭天王)と櫛名田比売(頗梨采女と習合している)の伝説でもある。

根堅の海神スサノオは、二俣でオロチを退治し、鹿島の龍宮の娘と結ばれ、
光明山麓にある清々しい須賀の里(百古里)に宮を立てて暮らした。

光明山の本尊は
三満虚空蔵大菩薩、つまり国常立尊の本地であり、
国常立尊=艮の金神=素戔嗚尊=午頭天王
一方で建国の大本の神でありながら、一方で忌み神、封印された神とされる素戔嗚尊

遠州光明山ではオロチ退治以来、一千三百年に亘り連綿と途切れることなく『七十五膳献供神事』が行われ、

椎ヶ脇神社祭典も一千年以上続くという。
数十年前までは椎ヶ脇神社の神輿が天竜川を渡り、御旅所へ至ると、氏子一同旅所に泊まり込み神と共に一夜を過ごす御夜籠りが行われていた。

御夜籠りとは、民俗学者柳田国男云うところの“縄文時代"の日本の祭禮の基本である。

鹿島から南が磐田之海であるという伝承は、3000年以上昔の縄文海進の記憶であった。

素戔嗚尊は、紀元前後に渡来した外来の神であるとする説があるが、

本来は、
この国に古くから伝わり、日本の大本をお作りになった縄文神が起源である。

そして天武朝以降、日本國の本来の“日輪と炎の神である"天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と共に、仏教、修験道、陰陽道の法力によって、二重三重にガチガチに封印されてきたのだ‼️

( ・`ω・´)💡



根之堅洲国があれば、その隣には黄泉之国もあるのだろう。

鹿島、根堅、於呂は、古来、麁玉郡に属していた。

そして、鹿島・根堅の北隣には麁玉郡に属す“阿多古"(古名は碧田郷の字をあてた)は、
火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)の神名である。

阿多古神・火之迦具土神は、母である伊邪那美命(イザナミノミコト)崩御の要因となり、父の伊邪那岐命(イザナギノミコト)に十拳剣(スサノオがヤマタノオロチを斬った剣と同名)で斬られた(この時、闇淤加美神が生まれている)。

黄泉津大神となったイザナミを追いかけ、黄泉之国に行ったイザナギノミコトが、黄泉から還る際に禊をすると、清らかな水の神が生まれた。

底津綿津見神(ソコツワタツミ)、
中津綿津見神(ナカツワタツミ)、
上津綿津見神(ウワツワタツミ)の
綿津見三神と、

底筒之男神(ソコツツノオ)、
中筒之男神(ナカツツノオ)、
上筒之男神(ウワツツノオ)の
住吉三神である。

何れも、海人族の神だが、阿多古周辺の各地域には、六所神社として渡津見三神、住吉三神の六柱が祀られている。
今となっては、内陸の山の中であるのに。

そして最後にイザナギノミコトは大きな河に行って、左眼から天照大御神、右眼から月読命、鼻から建速須佐之男命の三貴子が生まれた。

阿多古から東の峰を越えれば天竜川。

その右岸に並ぶ地名は左から

日明(ひあり)
伊砂(いすか、伊須賀)

つまり、

日神
スサノオ(須賀神)
月神

を表す地名が並んでいる。

スサノオは、母のいる根之堅洲国に行きたいと泣き叫び、イザナギはスサノオを追放した上で、多賀の幽宮に遷る。

古事記真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也」=(伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり)との記述があり、通説では淡海は淡路の間違いとするが、

遠つ淡海の…根堅の西隣、浜北区尾野の高根神社は、多賀さまであると言い伝えられている。

高根神社から北へ天竜区方面に向かうと、浜北区堀谷に大日本荒脛巾本社がある。
アラハバキもまた、封印された縄文の女神である。

その先、浜北区と天竜区境の杉峠に、最強のパワースポット、最大の結界を張り巡らせた杉神社(祭神、馬頭観音=八衢比売神)がある。

その先が石神という地名で、住吉三神、渡津見三神祀る六所神社と共に、

石神大社(社偶地神社)
主祭神ミシャグチ
がある。

柳田国男『石神問答』の最終解答である。

その社の御神体山は全体を巨岩、奇岩に覆われており、縄文の石神、そして黄泉だ。

神社のある集落、金原の田畑からは、黒曜石や縄文土器片が数多く出る。
発掘調査は未だされていない。

このように、遠淡海國麁玉郡は、大結界によって縄文神を封印している。

!Σ( ̄□ ̄;)💡

彦火火出見尊も、
火之迦具土神も、
そして
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊も、
火神である。

火神は、製鉄に由来するとも考えられる。

天竜川に並行して、秋葉山から信州まで、金銀銅鉄の大鉱脈が続く。

昭和中期まで、秋葉山には峰之沢銅山、その上流に久根鉱山という日本有数の硫化鉄鉱山があったのは周知の事実である。

( ・`ω・´)💡



さて、冒頭の

伊砂(いすか)
百古里(すがり)
砂川(いさがわ)

であるが、
何れもスサノオ(午頭天王)を祀る神社があった。

伊砂は、午頭天王社があったが、天竜川水運の守神として、現在は諏訪神社を祀る。

百古里は、スサノオを祀る武速神社。光明山麓の須賀の宮。

砂川は、嶺澤頭、赤土、徳瀬の三ヶ村で砂川郷と云う。
徳瀬の天王社が、砂川八坂神社となっている。

伊砂、砂川が、難読の“砂"の字をあてているのは、スサノオと砂が強い関係性を持っているからだが…

出雲大社は、鎌倉時代から江戸初期まで、祭神を大国主からスサノオに変更していた。

大社に詣でた人は、稲佐の浜の砂を拾い、大社に納め、清められた砂を持ち帰る。

スサノオのスサとは、洲砂、つまり砂鉄のこととされる。

たたら製鉄と関連する出雲。
スサノオは製鉄神としての信仰もあり、二転三転している出雲大社の本来の祭神は、おそらくスサノオなのだろう。

天竜川流域には、鉄分を含み赤く錆びた“赤石"も多く見られる。

砂川郷の地名、赤土は、鉄と関連するだろうか?

縄文時代から天竜川流域では、何らかの形で鉄の利用はあっただろう。

韓半島南部は、出雲を中心に倭人が製鉄拠点として利用していた地域であり、製鉄神としてスサノオ信仰も導入されていったのだろう。

天武朝以降、古事記ではスサノオは荒神に貶められ、その信仰は徐々に外来神(実は出戻りなのだが)午頭天王信仰にすり替えられていった。

一般に江戸時代以前の八王子神社は、神道の五男三女ではなく、午頭天王の子神、七男一女であり、明治維新後に神道の八王子に変えられたとされるが、

月の八王子神社と関連する前野八王子神社の祭神は、江戸中期の『遠江國風土記伝』にはっきりと、

“八王子者五男三女神"

と記されている。

スサノオと鉄、洲砂、根之堅洲國、縄文の海、龍宮、オロチ退治、須賀の宮。

遠州には、稲佐と同じ引佐(いなさ)の地名もある。

スサノオ神話、神産み神話に関連した伝承が、二俣郷周辺のごく狭い地域に集中し、
秋葉光明の山岳信仰、修験道、陰陽道によって縄文信仰を隠すような封印がガチガチにされているのは、

そこが中期縄文遺跡集中する八ヶ岳天竜川流域の山と海の交わる要衝であるだけに、

単なる偶然では片付けられないのだ。