ヴィーナスの誕生①野尻湖のヴィーナスとホーレ・フェルスのヴィーナス | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



人類の現代的行動は、中期旧石器時代(32万5000年前~3万5000年前)に始まるとされています。

一般に原人と呼ばれるホモ・エレクトゥス(旧名ピテカントロプス・エレクトゥス、ジャワ原人170~180万年前)から分岐したホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人、ドイツ60~40万年前)がホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)に繋がっているとされています。

ホモ・サピエンスの系統については、近年のゲノム解析により、アフリカ南部を除く多くの現代人にネアンデルタール人、デニソワ人の遺伝子が含まれていることが判明したことから、“旧人”の定義は大きく変わってきました。

( ・`ω・´)💡

最新(2019)の学説では、中期旧石器時代初頭において、ホモ・サピエンスの祖先系統(旧人=ネアンデルターロイド)は、主に3系統に分かれていたと考えられています。

主にアジア
ホモ・サピエンス・アルタイ(デニソワ人)

主にヨーロッパ、中東
ホモ・サピエンス・ネアンデルタールレンシス(ネアンデルタール人)

主にアフリカ
ホモ・サピエンス・イダルトゥ(ヘルト人)

この他、未知のサピエンス系統の遺伝子も現代人に混入しているとの説があります。

アジアを中心に
ホモ・エレクトゥスの系統も生き残っていたと考えられていますが、現代人の祖先には繋がっていないと考えられているようです。

ホモ・エレクトゥス・ペキネンシス(北京原人68~78万年前)
ホモ・フローレシエンス(フローレス人、インドネシア6~10万年前、最新の研究はエレクトゥスの可能性が高いとされる)



ドイツのテューリンゲン州で発見されたタンタンのヴィーナスは、前期旧石器時代末期~中期旧石器時代初期に相当する50~30万年に作られたもので、人類最初の芸術表現である可能性が考えられています。

中期旧石器時代後半、9万~7万5000年前頃に西アジアで始まるムスティエ文化は、ネアンデルタール人と原クロマニヨン人、そしておそらくデニソワ人も含まれる旧人から新人への移行期の文化で、3万5000年前頃まで続き、

この時期には死者の埋葬が行われ、何らかの信仰が形成されていったようです。

( ・`ω・´)💡

日本列島では、赤城山山麓権現山からムスティエ文化期と推測される石器が発見されています。
また、明石では5~6万年前の木製品が出土。

ムスティエ文化期では、尖頭器(三角形状で先端が尖った石器)が多用されていますが、のちの後期旧石器時代において本州中部では尖頭器が独自の進化をとげています。

飯田市の竹佐中原遺跡(一部は5万年前)、川根本町のヌタブラ遺跡(4~4万5000年前)は、日本の後期旧石器時代(3万8000年前~1万6000年前)に先行する遺跡として注目されています。

(o´・∀・)o
天竜川、大井川流域…赤石山脈を取り囲む天竜川~八ヶ岳~富士は、人類が新たな時代へ移行する時期においても、非常に重要な場所なんだね‼️

( ・`ω・´)💡

後期旧石器時代は、3万8000年前の日本列島から幕を開けます。

最大で70~80人の、当時としては世界最大級の集落跡と推定される環状ブロック遺跡群、

本州中部では、世界で初めて、石器を磨いた磨製石器も作られました。

長野県の野尻湖遺跡(5万~3万3000年前)からは多数の局部磨製石斧が出土しています。

また、野尻湖のヴィーナスは、ナウマンゾウの象牙を加工し、女神を表現したものではないかと考えられています。

同じ頃(3万5000年前以前)、ドイツでは、ホーレ・フェルスのヴィーナスがウーリーマンモスの象牙を加工して作られました。

( ・`ω・´)💡



3万5000年前のベルギー、3万年前のチェコに住んでいたクロマニヨン人のY染色体ハプロタイプはC1a2❗

一方、日本列島に4万年前から住んでいた可能性がある現代日本人固有のハプロC1a1(C-M8)は、C1a2(C-V20/V184)と4~5万年前に分岐しています。

ヨーロッパ最古のクロマニヨン人と、日本列島の後期旧石器時代の最初期住民は、非常に近い姉妹系統だったのです!Σ( ̄□ ̄;)

象牙を加工した野尻湖のヴィーナスとホーレ・フェルスのヴィーナス。

共にポケットサイズのお守りのように使われたのではないかと考えられています。

ヨーロッパでは、この頃から初期クロマニヨン人による“新人の文化”オーリャニック文化が開始されます。

同時期の日本列島にはD1a2系統もいたと考えられていますが、初期クロマニヨン人のC1a系統が西と東で同時期に新たな時代を切り開いていったことは、人類にとって最も注目すべきイノベーションの一つと言えるでしょう( ・`ω・´)💡❗

(o´・∀・)o
そんな大切なことなのに、日本の教科書には載っていないね⁉️

( ・`ω・´)💡
日本列島の中部山岳地帯は石器人にとってパラダイス。

氷期には極寒の地であったヨーロッパに比べ、太平洋暖流の恩恵を受け(シベリアが乾燥していた為に気温が現代より低くても)冬季降雪量が少なく、植生豊かで、硬質の石器原料(黒曜石、蛇紋岩など)が手に入った日本列島の人々は、後期旧石器時代の暮らしを謳歌していたようです❗

( ・`ω・´)💡
日本列島の後期旧石器時代は、3万8000~3万3000年前頃まで局部磨製石斧、台形石器が列島に広く分布。当初は各地域による文化差は大きくありませんでした。

3万3000年前頃からナイフ形石器(石槍の先端につけるナイフ形の石器)が出現し、3万年前から石刃技法が発達し、石器剥片の量産化が可能になっていきます。
この技法は、北海道、東日本が優れており、次第に技術の地域性が現れてきます。

シベリアと陸続きであった北海道では本州(1万7000年前~)に先駆けて細石刃(木や骨で作った柄に掘った溝に嵌め込んで使う替刃式石器)が導入され、北海道独自の「湧別技法」も編み出されています。
白滝には2万年前頃から大規模な石器加工場が設けられました。
縄文時代になると、サハリン、シベリア、沿海州にも石器の輸出が行われ湧別技法も伝わっていったようです。

関東・中部では長野県和田峠産の良質な黒曜石を用いて尖頭器が独自の発達を遂げています。

大阪のはさみ山遺跡では2万2000年前から半地下式の竪穴住居が作られるようになりました。
西日本ではサヌカイト製の石器が多く見られます。

(o´・∀・)o
縄文時代以前の日本列島には、既に地域に根差した技術革新が独自に行われていたんだね。
シベリア方面へ技術を輸出していた可能性もあるね❗

( ・`ω・´)💡
ヨーロッパ東部では2万8000年前頃からグラヴェット文化へ移行。

2万5000~2万3000年前にはチェコで粘土を焼いて製作した土偶が作られています。

ただし、初期の土偶は焼成していない粘土製品が火災などで焼けたものではないかという説もあります。

西アジア、ヨーロッパで土器が焼かれるのは、ずっと時代が下がり、農耕開始より遅い9000年前頃になります。

( ・`ω・´)💡


レスピューグのヴィーナスは2万6000~2万4000年前頃。
フランス、ピレネー山脈、象牙製



ヴィレンドルフのヴィーナスは2万4000~2万2000年前頃。
オーストリア
ウーライト(魚卵状石灰岩)の彫刻、ベンガラ染め

ホーレ・フェルスのヴィーナス以来、ヨーロッパのヴィーナス小像は豊満な肉体の女性をかたどっています。

何れも柔らかい石や、骨、象牙を用いて1万3000年前頃まで作られました。

農耕はまだ始まっていない時代ですので、ふくよかなカラダは、狩猟採集時代であっても富裕層がいた証とする説もありますが、

ヨーロッパの氷期は過酷な時代ですので、狩猟民は食料を分かち合い平等な社会を築いていたとする説もあります。

(o´・∀・)o
日本列島では野尻湖のヴィーナス以降、ヴィーナス像は作られていないのかな❓

( ・`ω・´)💡
土器の焼成は日本列島を含む北東アジアが西アジアに7000年以上先駆けて始まっています。

日本では当初から加熱調理を目的としていたようですので、土器は焼成する必要があったと思われますが、

水を溜めたり煮炊きに使うわけではない土偶に関しては、必ずしも焼成して仕上げる必要はなく、粘土を捏ねて固めればそれで良かったかもしれません。
焼いていない粘土製品は後世には残らないでしょう。

日本の酸性土壌では、小さな骨器、木製品は残りにくく、土偶が急激に増える縄文前期以前のヴィーナスの実態は、よくわかっていません。

( ・`ω・´)💡


然し、現存する最古の縄文時代草創期(1万3000年前)の土偶は、女性の上半身をリアルに再現しています。

洋の東西で、地域による独自色はあるものの、似通った文化が同時期に興っています。

狩猟採集時代は、獲物を求め広範囲に移動し、分かち合う文化が存在し、現代人が考えている以上に広範囲の文化交流があった可能性もあります( ・`ω・´)💡

西と東に大きく分かれたC1a系統のクロマニヨン人が、その後長期に亘って文化交流していたとしても不思議ではありません。

東ヨーロッパと極東は、乾燥したユーラシアステップで結ばれており、移動は難しくありません。

マンモスの干し肉など保存性の良い食品も冷涼乾燥地域の長旅を容易にしたでしょう。

現に、遼河文明を起源とする(縄文土器に影響を受けたであろう)櫛目文土器もユーラシアステップを経て速やかにヨーロッパに伝わっています。

ヴィレンドルフのヴィーナスに使われたベンガラは、後期旧石器時代2万年前の日本の土坑墓でも使用されていました。

日本列島だけが、孤立して文化の遅れた地域ではなかったことは、後期旧石器時代の優れた技術を持った石器群が証明しています( ・`ω・´)💡

(o´・∀・)o
教科書に載っていない日本列島の歴史が、いよいよ明らかになってきたね❗
次回は、天竜川~八ヶ岳~富士に降臨した比売神、あのヴィーナスの誕生についてお話するよ~( `・∀・´)ノ ィヨロシクー

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