都市文明の憂鬱とサスティナブルな縄文文明 | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️




ティグリス・ユーフラテス河流域では、BC8000頃(日本の縄文時代早期中葉)には農耕と牧畜による定住生活が開始されていました。

土器の使用開始は日本列島より7000年ほど遅いBC7000頃。

メソポタミア南部ではBC5500頃から定住と組織的な農業が開始。

シュメール人による最初の都市文明が開始されたのはBC3900年頃(ウルク文化)。
日本列島では縄文時代前期後半にあたります。

ウルク文化後期のBC3200(縄文時代中期にあたる)には最初の絵文字が使われるようになり、支配階級が生まれ、職人や商人など、人々は専門的な職業に従事するようになりました。

BC3000頃(縄文のヴィーナスが作られたのはこの頃)には青銅器が作られるようになり、BC2900頃には最初の王朝が成立します。
BC2500頃には広大な交易網が完成していました。

( ・`ω・´)💡

エジプトに人が定住し、農耕を開始したのは、日本列島の縄文時代前期にあたるBC5000頃。
BC4000頃からいくつかの部族国家が起こり、BC3500頃に上エジプトと下エジプトにまとまり、BC3300頃に文字、太陽暦が普及。

BC3150頃にエジプト第一王朝。
BC2650頃に最初のピラミッド。
BC2500頃にクフ王のピラミッドが建設されました。

( ・`ω・´)💡
インダス文明はBC7000頃に農耕の開始。
BC5500頃に土器の使用。
BC2600頃から都市文明、BC2500頃にモヘンジョダロが繁栄し4万人が居住。

( ・`ω・´)💡






縄文時代
草創期(BC14000~10000)
早期(BC1000~5000)
前期(BC5000~3500)
中期(BC3500~2500)
後期(BC2500~1300)
晚期(BC1300~)

こうして見ると、古代オリエントの文明は、土器の使用で日本列島に大きく遅れをとりながら、縄文前期後半頃から急峻に文明が立ち上がり、縄文中期に都市文明を確立させています。

( ・`ω・´)💡

では、日本列島の縄文中期は、オリエントに大きく遅れをとっていたのでしょうか❓

( ・`ω・´)💡

日本列島では、石器時代から交易が開始されています。

縄文草創期には、列島各地に様々な様式の土器が普及し、お互いに文化交流していました。

各地域ごとの対立や争いはなく、列島のみならず草創期にはシベリア、
早期には中国沿海部まで交易ネットワークが広がっています。

争いがなく広域に交易ネットワークが確立していたというのは、相互に安全保障がとれていたということです。

( ・`ω・´)💡

争いがなければ、団結してまとまって住み、敵に備える…巨大集落は不要ですよね⁉️

好きなところに散らばって住み、それぞれの地域の特色を活かした農作物や土器を作り、交易ネットワークに乗せていけばよいのです( ・`ω・´)💡

むしろ、散らばって住むことで地域色を活かし、特産品の商品価値を高める戦略をとった為に、縄文人は都市を必要としなかったのです。

( ・`ω・´)💡

農作物や土器は、お客様が買ってくれるものです。

マーケットの需要に合わせて最小限を作り、あとは自給自足で事足ります。

それぞれが生業を持って収入を得ながら、自家消費の比率も高く、社会的に過度に依存しない自立した民の集まり💡

それが縄文時代がサスティナブルに一万年以上続いた最大の要因だったのでしょう( ・`ω・´)💡

少なくとも、日本列島全体が、そうしたネットワークの中で、総中流的な暮らしを営み、格差も少なく、

余剰の時間もあって豊かに暮らしていたのだと思います💡

貧困や格差が生まれれば、争いは避けられませんからね( ・`ω・´)💡

大日本帝国が、19世紀末に台湾を併合した時、そこには文化の大きく異なる部族が対立し、首狩りの風習を持つ部族も存在していました。

19世紀の台湾に比べれば、5000年以上前の縄文人はずっと成熟した社会を持っていたのです。
BC8000頃の縄文早期中葉には、そうした安全保障がとれた広域ネットワークと成熟した大人たちの文化が確立していたと思われます。

( ・`ω・´)💡

オリエントでは、BC5000頃から、“何者か"によって急峻に文明が立ち上がっていきます。

然し、都市文明の周辺には原始的な生活をおくる異民族も相当数いたのでしょう。

異民族の襲撃を避ける為には、大人数がまとまって住み、武装する必要があります。

兵員を確保するには、一定の人口が必要となり、その要求を満たすために都市が作られていったのでしょう。

兵士を養うための兵糧、武器を製作するための資金を集め、それらを束ねるために王権が必要となります。

最初は自衛のための武装だったとしても、“武"という力を手に入れた都市と王は次第に変貌していきます。

武力を維持するために余剰の生産が必要となり、さして好戦的でもない部族に武力を行使して、農奴とし、そこで生まれた余剰生産は、更なる軍事力強化に使われ、都市の武威は肥大化していきます。

王とその周辺に富と権力が集中し、格差は広がり続け、民は都市に縛られていきました。

武器は、平和に暮らす民にとっては生産性のない“余計な"モノです。

武器は、お客様が買って末永く大切に使ってくれるモノではなく、平時には無用の長物であり、戦時には大量に使い捨てられる消耗品です。

その余計なモノのために自給自足と僅かな商いで何不自由なく暮らせるはずだった民は、お小遣いにするはずだった余剰分を徴税されムシリとられるようになったのです。

(o´・∀・)o
さて、回りの敵も征服したし、金も奴隷も余っているし、やることないからピラミッドでも造るべ~

( ・`ω・´)💡
それを横目で見ていた“旅する縄文人"

!Σ( ̄□ ̄;)
都市はヤバいよね⁉️
倭の国は平和で文化度高くて良かった~
フェニキア人に紫貝売ったら、早く故郷のムラのおうちに帰ろ~(* ̄∇ ̄)ノ

( ・`ω・´)💡
芸術性の高さは精神文化の高さ。

威信を示すようなおどろおどろしい権力の象徴、富の象徴ではなく、

縄文土器の造形美は、民が手に入れられるプライスの範囲で商品価値を高めるためと、豊かなライフを演出するポップアートだったのだ( ・`ω・´)💡

(´・д・`)マジかよ❓

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( ・`ω・´)💡

オリエントの都市文明は、侵略と征服の歴史が繰り返されながら多民族が入り乱れ、都市は何度も破壊され打ち捨てられていきました。

新たな支配者は、巨大な都市を構築するために、治水灌漑、宮殿造営、道路建設といった大規模な開発、土木工事に民を駆り出しては使役し、税金を徴収し、足りなくなれば周辺の都市に攻撃を仕掛け、奪いに行くのです。

そうして、民の血と汗で築かれた都市も永くは続かず、消耗品のようにいつか打ち捨てられて沙漠に埋もれていきました。

大規模な開発を伴う都市の建設は、環境を激変させ、緑豊かで農耕に適していた土地は、荒れ果てた荒野や沙漠と化していきます。

地球の気候変動による環境変化によって農業や漁業に適した土地は北へ南へ移り変わって行きますが、都市の住民は環境変化に応じてライフスタイルを変えることよりも、大量消費を繰り返す都市生活の維持を求めて、軍人が他人の土地を奪いに出征していくことを支持しました。

武功をあげた将軍や、領土を広げた王は、英雄として後世に語り継がれていきます。

然し、侵略され蹂躙される側の民にとっては、英雄でも何でもありません。

都市が破壊と再生を繰り返す度に、民も先祖が暮らした土地を離れることを余儀なくされ、文化や風習を捨て新たな支配者が建設した都市に隷属するか、あてもない流浪の民へと変貌していきました…

( ・`ω・´)💡

先祖代々…

日本の山間部には、千年二千年とその土地に暮らしてきた人々がいます。

そこには、誰も土地を奪いに来なかったのです。

村には、一千年以上前に建てられた神社が残り、そこには何十世代も前の先祖から連綿と伝わる祀りが残っています。

気候の変動や時代の移り変わりに合わせてライフスタイルを変化させながらも、それぞれの土地に特色のある昔と何ら変わらない文化や風習も残されています。

幾千幾万年と続くサスティナブルな暮らしは、遠く縄文時代の祖先がその礎を築いてくれたものです。

土器や土偶に見られるデフォルメされたコミカルな造形は、日本のアメコミ文化にはっきりと受け継がれているものです。

縄文土器や土偶に、懐かしさや安心感を感じるのは、その豊かな感性や文化が親から子へ子から孫へと絶えることなく受け継がれてきたからなのでしょう。

縄文土器の欠片は、先祖代々受け継がれてきた畑の中から出てきます。

それは、ふだん私たち日本人が生活を営み、踏みしめている足下の土に埋まっているモノなのです。

( ・`ω・´)💡

浜松市天竜区は、政令指定都市といいつつ…都市と呼べる場所はありません。

巨大都市を、いくつもの衛星都市が取り囲む、というような…税を徴収し大規模な公共工事で造られた(今後も莫大な税収を集めて破壊と再生を繰り返していかなければ数十年も維持できない)都市圏とは異なり、

天竜区は今でも、

地政によって必然的に…縄文時代に小さな物々交換のマーケットから始まった市街地=マチを取り囲むように、やはり縄文時代から自然に成り立っていった集落=ムラで構成されています。

そこには先祖代々受け継がれてきた“まつり"があり、

都市では失われてしまった民俗や風習、伝承文化が残り、

畑の片隅には、在来の農産物が残されています。

そこには、幾千幾万年と持続を可能にしてきた暮らしの在り方が、今なお残されているのです…

その文化を絶やさず、未来へ繋げていけるか否かに、
私たちが未来の子供たちへサスティナブルで心豊かなライフを残してあげられるか否かの、
カギがあるのです。