月のサラスバティー 封印された秘の本の巫女 | 縄文家族|天竜楽市

縄文家族|天竜楽市

天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️




静岡県浜松市天竜区月

『月まで3km』の標識が有名ですが、南朝所縁の地と伝えられています。

月にある八王子神社の御祭神は市杵島姫神(イチキシマヒメ)。
水神であり、宗像三女神の一人です。

ふつう、八王子神社といえば、アマテラスとスサノオの誓約で産まれた五男三女の八柱を祀っていますが、月の八王子神社は、何ゆえイチキシマ姫一柱だけをお祀りしているのでしょうか?

「月」という地名と、「天竜川」に面した立地に、どうやら重要な秘密が隠されているようです。

アマテラスとスサノオが誓約を行ったのは「天の安河」
天竜川の古名「天の中川」とも似ていますね( ・`ω・´)💡

イチキシマヒメは、一般には仏教の天部である弁財天(ヒンドゥー教の女神サラスバティー)と習合しています。

インド神話のサラスバティーは、サラスバティー川の水と豊穣の神、音楽神。
創造神ブラフマーの妻で、二人の間にマヌが産まれたとされています。
マヌは、大洪水を生き抜いて人類の始祖となりました。

また、サラスバティーは、ペルシア神話のアナーヒターと同起源とされています。

アナーヒターは、川や水を司るゾロアスター教の女神で、生命の源泉、子宝、安産、豊穣の神であり、金星神で、バビロニアの地母神イシュタルと習合しています。

メソポタミア神話のイシュタルは、シュメール神話のイナンナの別名で戦・豊穣・金星・王権などを司る愛と美の女神。

イシュタル/イナンナは、エジプトではバアルの妹であり妻、ウガリット神話の愛と戦い、狩猟、豊穣の女神アナト。

またイナンナ/イシュタルに加えフェニキア語のアスタルテ、ヘブライ語アシュトレトが、起源を同一とする地母神、大地の母、天の女主人とされ、その信仰は石器時代に遡ると考えられています。

ギリシアではアフロディーテ、ローマではウェヌス(ヴィーナス)となりました。

一方、弁財天は日本では吉祥天と習合。

吉祥天も弁財天と同じく仏教の護法善神である天部(デーヴァ)諸尊であり、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃であるラクシュミー。

日本では弁財天、吉祥天共に『金光明経』に基づいて国家を守護する諸天善神とされ、聖武天皇は全国に国分寺『金光明四天王護国之寺』を建立し七重塔に『金光明最勝王経』を納めました。

月の対岸にある遠州光明山には、かつて七重塔が存在したと言い伝えられています。
遠江国府磐田見付の人々は、近年まで遠州光明山を厚く信仰していました。

天竜川右岸には
伊砂(いすか、伊須賀)
日明(ひあり)
と難読地名が並んでいますが、
それぞれ
ツクヨミ
スサノオ(須賀神)
アマテラス(日神)
に対応した地名になっています。

日明の対岸は船明(ふなぎら)で、そこから遠州光明山へ登山道があり、また月の対岸の遠江山中(やまなか、現大川)からも光明山への登山道があり、光明山頂からは『富嶽三十六景 遠江山中』の如く富士が見渡せます。

また『金光明経』には、天龍八部衆が示され、蛇を神格化した「龍」(ナーガ)、龍を食らうという「迦楼羅」(かるら、ガルーダ、烏天狗)、大蛇を神格化した人身蛇首の音楽神「摩喉羅伽」が登場しますが、遠州光明山には、光明笠鋒坊大権現(烏天狗)に祈誓し、二俣の大蛇を退治する逸話があり、ガルーダによるナーガの制圧(治水)を意味しています。



船明には、天竜川の河原にある巨岩を祀った船明弁天岩がありましたが、ダム建設の際、埋め立てられてしまいました。
この船明弁天御祭神は諏訪神社に合祀され、市杵島姫命、水波能売命の他、境内社に宇迦之魂命、猿田彦命が祀られています。

水と岩(磐坐)に祀られる弁財天は、市杵島姫の他に、元は瀬織津姫であったり、アラハバキ之大神威様に代えて祀ったとも云われています。

瀬織津姫、アラハバキ共に“封印された女神"の代表格ですね( ・`ω・´)💡

弁財天は、音楽神、福徳神、財宝神、戦勝神など多彩な神格を持っています。

そして中世以降、宇賀神と習合し、宇賀弁才天として信仰されるようになり、龍蛇神の性格を帯びるようになっていきます。

宇賀神は蛇神で、一般的には宇迦之御魂神(穀物の女神、別名オオゲツヒメ、保食神、トヨウケヒメ)に由来するとされています。

保食神は月読命に殺されていますね…

吉田神道では、伏見稲荷祭神を宇迦之御魂神とし、伊勢外宮と同体の神でありヒメ大明神(比売神)としています。

人頭蛇身の宇賀神は、女神とも老翁とも云われますが、その姿はまさに中国神話の伏羲・女媧のようです。

女媧もまた、大洪水を生き残り、伏羲と共に人類の祖となった女神であり、笙を発明するなど音楽神の性格もあります。

そして女媧の本地は、月天子(月の光明の神格)・寳吉祥天であるとされ、月と女媧が結びついてしまいます((( ;゚Д゚)))

宇賀神と合体した弁財天は、世界中の地母神の性格を合わせもった最強の女神なのです!!(゜ロ゜ノ)ノ

このように、浜松市天竜区月にサラスバティーをお祀りしているというのは、非常に重要な意味を持っています。

そして市杵島姫神こそ、世界中の地母神の大本の元である、縄文のヴィーナスなのですよ( ・`ω・´)💡

市杵島姫神を祀る厳島神社の伝承では、市杵島姫は雉が蛇を殺すのを見て嫌がり、雉に糞を頭に落とされて激怒し、神の峰から宮島に遷ったと云います。
この逸話は、市杵島姫がナーガ族であることを暗示しているのでしょう。

そして宗像三女神は、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、貴(むち)のつく神は、他にオオヒルメムチ、オオナムチしかいないため、非常に尊い神であることがわかります。

宗像三女神はそれぞれ

タゴリ姫神 出雲族
タギツ姫神 大和族
イチキシマ姫神 海人族

であり、宗像神社は三氏族の誓約をあらわしている、との説があります。

宇佐神宮では宗像三女神を「比売神」として祀っています。

この比売神(ひめがみ)こそ、女王国の元首である卑弥呼とする説があります( ・`ω・´)💡

そして、元伊勢とされる籠神社では、主祭神である彦火明命と市杵島姫が夫婦であるとされています。

彦火明命は、古事記では
天火明命(あめのほあかりのみこと)
日本書紀では
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)
そして、
先代旧事本紀では
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)

日明(ひあり)という難読地名は、元は火明だったのでは?と、ふと思いました( ・`ω・´)💡

だとすりゃ、月もイ“ツキ"シマから来ているかも…

古事記では天火明命は、ニニギの兄、そしてニニギの叔母にあたる市杵島姫はニニギの養育係(市杵島神社伝)とされます。

ホツマツタエでは
アマテル神と
セオリツ姫が夫婦

アマテル=アメノホアカリ=ニギハヤヒ

セオリツヒメ=イチキシマヒメ

本来、日神は陽であり男神で、
月神は陰であり女神とすれば…

天照神を男神から女神に変えたとき、

本来の日本の地母神(月神?)を、抹殺してしまったのでは?

月読命は、架空の神なので、記紀には特に記す事績もなかった…

天照=ニギハヤヒを封印したのは誰か?

天武天皇は一説に、
唐の高宗(天皇)の皇后武則天(天后)の子であり、

武則天(本名・武照)が高宗の父、太宗の後宮に入り、太宗崩御後に出家して瀛州(日本)に渡り、中臣鎌足との間に子を授かり(中臣真人)、

真人は若干11歳で高宗の皇后になっていた母に会いに遣唐使として唐に渡り、帰国後若くして亡くなったとされるが、実は生きていて、壬申の乱による易姓革命によって天武天皇になり、国号を倭国から日本国へ改めた。

日本という国号は、併合した別の国から奪ったとも云う…

天武天皇は母である武則天(照)を皇祖神・天照として祀った。

それゆえ天武天皇の和風諡号は、
天渟中原“瀛真人"天皇

出来すぎた逸話ですが、真人が唐で“帝王学"を学んだとすれば、遣唐使を中断していたにもかかわらず天武朝が速やかに唐制を取り入れることが出来た理由も合点がいきます( ・`ω・´)💡

そして天武天皇は、役行者と共に伊勢神宮内宮に祀られる女神(天照坐皇大御神荒御魂=瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として奈良に天河大弁財天社を創建。

この社は江戸時代には琵琶山白飯寺といい、本尊は、弁才天宇賀神王。
維新後、神仏分離で祭神を市杵島姫神に改めています。

宗像三女神の中で滝神とされる瀬織津姫神に一番近いのはタギツ姫神ですが…この弁財天=市杵島姫神にはおそらく、

天武朝日本建国以前の…

連合国家であった倭人歴代の比売神=女神を習合させており、

母系社会であった日本の比売神を封じ、天照を武則天にすり替え、修験の呪術者、役行者の法力によって世界中の地母神を習合させた弁財天に祀り変えて、日の巫女たちの力を、永久に封じ込めるために…

ホツマ国とは、
ホ と マ(ミ)
つまり、
火の神
水の神
を祀っており、
東にある日の本の国

この縄文由来の信仰を奪い、仏法で封じ込めようと、
行基が
光明山(水神)
秋葉山(火神)
を開山し、

更に『金光明経』によって…と二重三重の結界を張っていく必要が、この地にあったのではないでしょうか?

比売神…

それは代々、女系で受け継がれてきた

秘の本の巫女
日の下の巫女

ヒミコ

卑弥呼は、一人の人物を指した固有名詞ではなく、

古来からの役職名であったとする説があります。

当時、卑弥呼の発音は

ピミク

であったとされ、

アイヌ語で

ピ 解く
ミク 告げる

神託を告げる女性…

斎皇
であったという。

光明山付近には、役行者(役小角)、を祀った磐穴が二つ(大谷行者岩、烏帽子山)あり、それぞれ古来からの祭祀場を奪ったように思われます。

それぞれ、古代から日下(くさか)の巫女が祭祀を行っていたのでしょう。



光明山頂では、巨大な鏡岩で、冬至の日の出の神事『奇日(くさか)神事』が行われていたのではないでしょうか?

光明山のフタマタノオロチ退治伝説で、大蛇を斬ったのは草壁大掾。
この功績により遠州の草壁氏は、
日下(ひのもと)無双として
日下部(くさかべ)を名乗ることを許されたと云います。

近年まで、光明山麓横川村には、鏡岩を磨いていた人達がおり、奇日神事の奉仕を手伝っていた日下部という部衆が天武朝以前にいたのかもしれません。

天武朝では焚書が行われ、『古事記』『日本書紀』が編纂されましたが、そこには土偶も銅鐸も卑弥呼も出て来ません。

日本中の遺跡からは、特に東日本に高度な文明があったことが示されていますが、そこには未開の“蝦夷"が描かれているだけです。

天武朝は、焚書の上、宗教革命で縄文の神々を消しており、記紀に書かれていることなど信用出来るはずがないのです。

リアリティーな神の神託を受ける比売神を、
フィクションを意味する芸能の神、弁財天に変えてしまった天武天皇…

天河大弁財天社において、天皇の上空には吉祥天があらわれ、五度袖を降ったという。

ここから、吉祥天の舞を『五節の舞』として、現代でも皇室の慶事に舞われています。

然し、五度袖を降るという行為は“呪術的"という指摘もあるようです。

弁財天社には、
熊野坐大神
吉野坐大神
南朝四代
天之御中主神より百柱の神
が合わせて祀られています。

南朝四代は、のちに北朝が祀ったのでしょうが…

その事が余計に、政権にとって力を封じたい神々を祀ったように感じられるのです…

一方、
縄文時代からの
ピミクの御神託は、
呪術的なおぞましいものではなく、

科学的で
インテリジェンスのある
文明的なものであったのでしょう。

勾玉や、縄文土器の造形には、高い精神文化や、豊かな創造力を感じます。

土偶にしても、もっと写実的に作れるけど、あえてデフォルメしてみた(o´・∀・)o
的なノリが感じられるのは、やはり彼らが心豊かで、遊び心に溢れていたからなのでしょう。

( ・`ω・´)💡
最近は、磐坐祭祀にお詣りしても…




そこに、神様がお祀りされているというより、

その巨岩の下に、エネルギーが封じ込められていると感じるようになりました…

神社にお詣りしても、そこに神様は不在で、

寧ろ、土偶や土器を見つめている方が、強いメッセージを受け取れるのです。

きっと、そこに

長い年月をかけて失ってしまったのだけれど…

それ以上にずっと永い永い歳月をかけて培ってきた…

取り戻したい

何かが

あるはずだから…