縄文人は万世一系❓ 海を渡っていく古代人たち | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️

ケネウィック人は、アメリカ合衆国ワシントン州で発見された9300年前の人骨。

当初、ケネウィック人は白人(コーカソイド)に近い特徴を示していてネイティブアメリカン(基本的にモンゴロイドに近い)に属さないとの報告が出ると、先住民ユマティラ族から研究の中止を求める訴訟が起こされました。

次に、ニューメキシコ大学のジョセフ・パウエル教授がアイヌ民族との有意な類似性を指摘したことで日本でも話題に上っています。

形質人類学的にアイノイド(縄文人)やポリネシア人に近いとの話もありました。

↓こんな顔だったでしょうか(´・д・`)❓


然し、2015年のDNA調査により、Y染色体ハプロタイプ(父系)はQ-M3(Q1a2a1a1)でミトコンドリアDNA(母系)はX2aと判明しました。
これは典型的なアメリカ大陸先住民(アメリンド)のハプロタイプであり、遺骨はユマティラ族に返還され伝統に従って丁重に埋葬されています。

ユマティラの口伝では、先祖代々、この地に暮らしているとのこと。
奇しくもDNAは、それを証明したことになりますが…

母系のX2aは、ヨーロッパに多く見られるタイプで、父系R1bと共に10000年以上前にヨーロッパから渡って来た可能性も指摘されています。

父系Q-M3は、アジア起源とされ、こちらはシベリアから渡って来たと考えられています。
(祖先系統から順に、中央アジアに多いQ1a2=Q-M346→モンゴル、アルタイに多いQ1a2a=Q-L53→北アジアとアメリカ先住民に多いQ1a2a1=Q-L54→→Q1a2a1a1=Q-M3、但しQ-L54がヨーロッパにも見られる点は留意が必要)

ハプロQとRは、何れも東南アジアに多いP系統から19000~27000年前に中央アジア付近で分岐したと考えられています。

( ・`ω・´)💡

つまり、ケネウィック人の祖先は、中央アジアで分かれてから、東へ向かった父系Qと、西へ向かった父系Rと共に来た母系Xが、再び地球の反対側で出逢って結ばれた可能性もあるわけです。

( ・`ω・´)💡



石器時代の人類の行動範囲を侮ってはいけないですね❗

最も進んだ石器時代人であったアイノイドが、日本列島から広範囲に拡散していてもおかしくはありません。

父系Q系統で日本人に多い(全体の1%)のはQ-M120(Q1a1a1)で、これはグリーンランドの4000~5500年前の古人骨と、ロシアカムチャッカのコリャークに10%見られるQ-MEH2(Q1a)→→グリーンランドのイヌイットに46%見られるQ-NWT01(Q1a1a)の子孫系統。

Qの祖系は、現在アフガニスタンに住むパシュトゥーン人が16%の比率で持っており、

この流れを追うと
アフガニスタン→
カムチャッカ→
グリーンランド→
再びアジアに戻る、
となります。

但し、Q1aとQ1a1aがアジアに子孫Q1a1a1を残してからシベリア→グリーンランドに渡った可能性もないではありません。

また、日本では誰も言っていないようですが、パシュトゥーン人の祖先に月氏(当初アルタイ付近にいた可能性もある)の血が入っている可能性(大月氏がアフガニスタンでクシャーナ朝を興したとされる)があります。

パシュトゥーン人はR系統の祖系も10%持っているとされるので、RとQの分岐をアルタイ付近に想定しても良いと思います。

中国の史書では、元々中国の北方にいた月氏は匈奴に追われ中央アジアに移り(大月氏)、更にパルティア(安息)に侵攻し、アフガニスタンから北インドを征服(クシャーナ朝→キダーラ朝)したと書いています。

ところが!Σ( ̄□ ̄;)

日本の学者の中には
「追われ追われた(文明の劣った)アジアの遊牧民が遠く離れた(文明の進んだ)南のインドヨーロッパ系の王朝を次々征服していくわけがない(#`皿´)」
という理由で中国の史書(信頼出来る同時代資料)の内容を認めない人もいます。

(´・д・`)アホか

アジアの辺境民族は常に劣っている
インドヨーロッパ系は常に優れている
中国の史書もヨーロッパの史書と同レベルには信用出来ない(#`皿´)
(故に、アジアの辺境の日本は、常に劣っていたのだ‼️)

(´・д・`)これが、日本の学者の骨身に染み付いて死ぬまで離れない固定観念。

マルチ商法に騙されても騙されても、騙されていることにすら気づけないB層同様、一生その洗脳は解けることがない(´・д・`)ハバンブハイ

( ・`ω・´)💡
QRの祖先系統であるハプロPは、フィリピンの先住民アエタで高頻度。

アエタは、オーストラロイドに含まれるネグリト(日本人に多いD1a2に近いD1a3を持つアンダマン諸島のジャラワ族、オンゲ族もネグリト)で肌は黒く背は低く髪は縮れたブロンド。

縄文人が実は、ネグリトに近い顔をしていたのではないか?との説もあります( ・`ω・´)💡

https://www.asahi.com/articles/ASL396527L39ULBJ00H.html

そして、Pの子孫系統であるQはアメリンド(モンゴロイドに近い)、Rはコーカソイド(インドヨーロッパ語族)…

全然違うやんけ!Σ( ̄□ ̄;)

( ・`ω・´)💡
基本的にハプロタイプは、父系母系のうち一系統が辿れるというだけで人種を決定づけるものではありません。



そして私達の祖先は、地球の果てから果てまでグルグル移動してきたのです( ・`ω・´)💡

コーカソイドの成立にアイノイドが関わっているのではないか❓
という説は否定されることが多いですが、
P系統は、朝鮮半島に僅かに見られ、日本海沿岸部…つまり縄文人の交易圏を北上していった可能性が充分考えられます。

この時、本州縄文人や、シベリア~アルタイで北海道縄文人の一部と合流していた可能性は、かなり高いでしょう。

北海道縄文人~アイヌは、もう何万年も前から同じ場所で交易を続けていたと考えて良いと思います。

アイヌは、非常に古いタイプの“アイノイド”ですが、父系は80%がD1a2、20%がC2で、彼ら自身は頑なに父系の純血を守って来ました。

広範に交易する中で、花嫁の行き来は、頻繁であったと考えられますが、多くの家系で父系の万世一系を貫いていたようです!Σ( ̄□ ̄;)

アイヌは、山岳地帯に籠っていた少数部族ではありません。

北海道、樺太、千島列島、カムチャッカ、シベリア、沿海州と数万年もの間、交易を重ねてきた民族です。

父系の血統を守り続ける伝統を連綿と伝えていく文化があったのです。

( ・`ω・´)💡

おそらく本州でも、縄文時代以前の家系は万世一系を貫く伝統があったのではないでしょうか❓

そして、縄文時代の日本には、アジアを中心に各地から花嫁がやって来ていたことが母系mtDNAの解析からわかってきました( ・`ω・´)💡

「女性だけが丸木舟に乗って荒海を越えて日本へやって来たのだ(#`皿´)」

(´・д・`)ウソコケ

( ・`ω・´)💡
縄文時代の男たちがアジアを中心に各地に出掛け、花嫁だけを連れてきた、と考えるのが妥当ですね💡

“国には女子多し。大人(たいじん)は皆四、五妻を有し、其の余も或いは両(ふたり)、或いは三(みたり)。女人は婬せず妬せず”
『後漢書 倭伝』

( ・`ω・´)💡
倭国は男子より女子が多く、有力者は四、五人の妻を持ち、その他の者も二、三人の妻を持っている。女性は貞淑でやきもちをやかない。

(o´・∀・)o天国じゃね❓

↓北米と北海道縄文人では、こんな関連もあるようです( ・`ω・´)💡カラパイアダケドマトモソウナキジダヨ

http://karapaia.com/archives/52278948.html
『北海道民とアメリカ人に関係性あり?石器が示唆する「最初のアメリカ人」は日本からやってきた可能性(米研究)』

( ・`ω・´)💡
縄文人とアメリカ大陸を結びつける手掛かりは、非常に多く見つかっており、海外を中心に研究が進んでいます‼️

(* ̄∇ ̄)ノ



南米エクアドルのバルビディア遺跡(BC4000~1500)で発見された土器の一部の紋様が縄文土器(縄文時代前~中期の曽畑式土器などで)に酷似しているとして、エヴァンス博士夫妻が唱えた縄文人太平洋横断説は大きな話題となりました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

↑Wikipediaに画像が掲載されている「チョレーラの土偶」(BC1200~200)の目は、遮光器土偶(縄文晩期BC1300~300)に似ていて、作られた時代も近いようです。

そして、チョレーラの土偶は、頭に縄文のヴィーナス同様ヘルメットを被っています。

然し、縄文人とエクアドルの関連性は“伝播経路から考えて不可能"であるとして、日本の考古学界では広く認められておりません!Σ( ̄□ ̄;)

そもそも、縄文人弥生人が、外洋航海を知らない中国韓国沿岸部から大挙押し寄せて来たと学界は主張するのですが、

石器時代から神津島に渡り、縄文時代には遠く八丈島まで外洋航海していたことが確実視されている倭人が大陸や半島に渡ることすら学界は認めないわけです。

稲作が伝わったとされるBC3000年頃から、中国江南地方にいた倭人が舟で日本列島に大挙して渡って来たと主張する学界が、時代が下った邪馬台国の頃に、“江南地方に倭人が交易に行っていた"ことすら認めません!Σ( ̄□ ̄;)

学界の主張は、大陸のあちらこちらから大挙して渡って来た縄文人弥生人が、日本列島に辿り着くと航海術を忘れてしまう!Σ( ̄□ ̄;)…という荒唐無稽なものです。

「あり得ないったらあり得ないんだ(#`皿´)」と意固地に言い張る学界は、可能性があれば追究してみる、という科学の基本から逸脱しています。

アホですか(´・д・`)❓

学界としては、過去の偉大な先生が唱えた説を否定することは憚られる。
教科書に載ってしまったことを今さら変えられない…という忖度があるのでしょう( ・`ω・´)💡

http://www.gondo.com/cnn/news/031005-1.htm
宮崎県跡江貝塚遺跡から多数出土した土器片の紋様と、バルビディア土器
の紋様に複数の一致が見られるようです。

跡江貝塚がBC5300の鬼海カルデラ噴火まで存在していたのなら、噴火から逃げ出した人々が、南米に移動してバルビディア文化を興していったとしても、時系列的に不可能ではありません。

また、オリエントや中国の文明が、このBC5000頃から急速に発展していきます。

https://ameblo.jp/starless43/entry-12557249208.html

高度な“技術"を携えた“何者"かが、鬼海カルデラ噴火を契機に世界中へ拡散したような印象があります。

南米の文明を築いたのは古モンゴロイドである、というのは通説となっています。
古モンゴロイドとは、アイノイド(先縄文人)とインドシナ人を指しますが、

インドシナ人とは、雲南やアッサムなどで農耕を開始した人々で、元々は山岳地帯にいた民族です。

アイノイドは、直系が海洋交易で栄えたアイヌ、琉球。そして海洋国家日本のヤマト民族です。

さ~(* ̄∇ ̄)ノ
海の民と山の民、どちらが南米に渡ったか、よ~く考えてみよ~(* ̄∇ ̄)ノ

(´・д・`)サルでもわかるわボケ



https://ameblo.jp/starless43/entry-12556264485.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12555636961.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12554490138.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12553045865.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12552084456.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12548504378.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12546401943.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12547697474.html

「人間というもの、最初は熱心に勉学に励むが、そのうちに初心を忘れてしまう。
大成したのちも(勉学を)怠らなかったのは、わたしと袁伯業ぐらいのものだ」
―魏武帝(曹操)