縄文人とラピタ人、古代倭国の海洋交易ネットワーク~中国の史書から見た倭人④ | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️




ミシガン大学のプレイスは頭蓋骨の計測資料の比較から1991年に「縄文人コネクション仮説」を発表しています。

環太平洋に広がった「海の民」は縄文人であるという考えは古くから海外にはあるようです。

ラピタ人をルーツとする「海のモンゴロイド」ポリネシア人は、日本人とは比較にならないほど体格が大きいのですが、縄文人とポリネシア人の骨格が似ているとの指摘は以前から言われています。

小さな舟で遠洋航海に出るメンバーは、自ずと筋力逞しく脂肪を蓄えた体格の良い男性が選ばれた結果、現在のポリネシア人になったのではないかと考えられているようです。

縄文の海の民も、手漕ぎ舟で外洋へ出ていったのは、必然的に筋骨逞しい人々であったでしょう。

縄文中期には、海上300キロ離れた八丈島へ、本土で作られた土器が運び込まれています。

縄文時代には、山の民と海の民は、大きく異なる体型をしていたかもしれません。

然し、日本列島は海岸から山岳地帯が近く、山の民と海の民は争わず交流していました。

縄文の海の民は、気軽に内陸部へも出掛けていったのでしょう。

紀伊半島の住民は、古くから遠洋漁業を営み、特定の疾患が多く見られることから、ポリネシア人との関連性があるとする説もあります。

東海の民と東山の民が交流したのは、三河や遠州…豊川や二俣辺りだったでしょうか❓



( ・`ω・´)💡

ラピタ人は、優れた土器製作技術を持ち、ニューギニア北西部ニューブリテン島タラセア産の黒曜石を交易品として用いながら、太平洋各地に広がっていった世界初の航海民族とされ、BC1600年頃にメラネシアからポリネシアへ広がっていき、起源前後に忽然と姿を消したとされています。

樹皮布や入れ墨、低温焼成で紋様のある土器、黒曜石やチャートで作られた石器、金属を使用しない、など縄文文化と多くの共通点があります。

ラピタ人がニューギニアに入植した時、海岸にはメラネシア人(Y染色体ハプロC1b系統、デニソワ人の遺伝子を多く受け継いでいるとされる)が先住していた為、黒曜石の産地に近い内陸部に入植したといい、ポリネシアの島々でも好んで内陸部に入植していたようです。

( ・`ω・´)💡

紀伊半島って、海から直ぐに紀伊山地が迫っているよね⁉️

(o´・∀・)o
ラピタ人は、当時としては世界最先端の航海技術を持ちながら、山暮らしにも慣れていた人々だったってことだよね❓

( ・`ω・´)💡

最近、縄文晩期の青森県の亀ヶ岡式土器が沖縄県で発見されて話題になりましたが…亀ヶ岡式土器とラピタ土器が似ているという話は以前からありました。

然し、本州最北端の文化がはるか南の島に伝わっているとは考えにくいと思われていたのですが、沖縄まで伝わっていたのなら、台湾辺りまで行っていても不思議ではありません。

ラピタ土器と台湾の土器が似ているとの指摘が以前からありますが…

( ・`ω・´)💡
亀ヶ岡式土器と台湾の土器もどうやら似ているようですよ‼️

縄文晩期の土器は、縄目紋様というより、幾何学的なデザインが施されたモノが多くなってきます…

ラピタ人の原郷は、台湾説が有力で、これはポリネシア人のY染色体ハプロタイプはO1a系統(長江下流域に多い)が多数を占めているからですが、

長江文明の土器は高温焼成されています。

( ・`ω・´)💡
長江流域の越人は、倭人と同様な習俗を持つ海洋交易民ですが、彼らは東シナ海、南シナ海の海の民で外洋を知りません。

越人が元々は縄文人であった可能性もありますが、おそらく夏王朝成立以降(越王は夏王朝の末裔)、東シナ海、南シナ海の交易に特化していたと思われます。

( ・`ω・´)💡
越人が外洋にまでネットワークを広げていたなら、倭人が中国との交易に入り込む余地は無かったでしょう…

三國志烏丸鮮卑東夷伝倭人条(魏志倭人伝)には、

女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至

「女王国の東、海を渡ること千余里。復(また)国有りて、皆、倭種。又、侏儒国有りて、その南に在り。人長は三、四尺。女王を去ること四千余里。又、裸国、黒歯国有りて、復、その東南に在り。船行一年にして至るべし。」

と、あるように、倭人が海を渡り船で一年かかるような地域まで海洋ネットワークを広げていたと考えられます。

また、後漢書倭国伝には、

會稽海外有東鯷人 分為二十餘國 又有夷洲及澶洲 傳言秦始皇遣方士徐福将童男女數千人入海求蓬萊神仙不得 徐福畏誅不敢還遂止此洲 丗丗相承有數萬家 人民時至會稽市 會稽東冶縣人有入海行遭風流移至澶洲者所在絶遠不可往來

「会稽郡の海外に東鯷人有り。分かれて二十余国と為る。

また、夷洲及び澶洲有り。伝えて言う。秦の始皇、方士の徐福を遣わし、童男女数千人を将(ひき)いて海に入り、蓬莱の神仙を求めしも得ず。

徐福は誅を畏れ、敢えて還らず、ついにこの洲に止まり、世々相承けて、数万家有り。人民は時に会稽の市に至る。

会稽東冶県の人、海に入りて行くに、風に遭い、流移して澶洲に至る者有り。所在は絶遠にして、往き来すべからず。」

と、記されています。後漢書の書かれた南朝宋は、東シナ海に面した華南の政権であり、海洋交易民が頻繁に訪れていたと考えられますが、南船北馬と云われ、長江流域で船運のネットワークを作り上げていた宋であっても、海の向こうの出来事には疎い…つまり、長江の漢人は海へは出て行っていないことがわかります。

徐福の子孫を名乗る人々が、会稽の市場に交易に来ているわけですが、それを倭国伝に書いてあるのですから、

倭人が徐福の子孫を騙って会稽に交易にやって来る、おそらく倭人の仲間だが、海の向こうに東鯷人が二十余国に分かれて住んでいる…

と、いった情報は、倭人が中国に伝えたところに拠るのでしょう。

倭人と東鯷人は、共に縄文人の海洋ネットワークから派生した海の民であり、越人も元々はその仲間であった可能性が高いと思われます。

( ・`ω・´)💡

長江流域にいた稲作民の倭人が、日本に渡って弥生人になったとする説がありますが、

縄文人が海洋交易民であると素直に考えれば、長江流域にいた倭人は、大陸と列島を自由に往き来している縄文人であり、

彼らは、自分たちで大陸へ出掛け、稲作や文化を自ら持ち込んだと考えるのが妥当です。

( ・`ω・´)💡
千年ののち、元冦の時代になっても、南宋(劉氏の南朝宋とは異なる趙氏の王朝)の水軍は外洋の荒波を知らず、和船や高麗船が無事であった程度の嵐で全艦大破しています。

( ・`ω・´)💡

弥生時代以降の渡来人は、倭人の船に乗せられて日本へ渡ってきたのです。

「海に入りて往き来すべからず」と言っている人達が、無謀に船に乗って、よくわからない島国を目指すでしょうか❓

( ・`ω・´)💡
渡来人には、後漢孝霊皇帝の子孫(東漢氏)、魏の曹操の子孫(高向氏)などの中国名門貴族もいますが、彼らが自ら危ない橋を渡ることは考えにくく、

倭人が魏晋南北朝の混乱期に、大々的に中国、半島からの移民事業を行い、文化や技術、人材の輸入を行っていた可能性は大いに考えられるのです。

財貨を多く納めれば、倭国に渡って貴族でいられる…東晋時代までは、漢や魏の皇族は公爵待遇の領邑を与えられていましたが、東晋滅亡後は露頭に迷う可能性もありました。

倭人の誘いは渡りに船だったと思われます。

( ・`ω・´)💡

魏晋南北朝時代の倭国は、中国から直接、文化、技術を輸入し、その技術力をもって韓半島の経営に乗り出していました。

当時の北朝は、遊牧民族の国家であり、高句麗を通じて百済や新羅に中国の高い文化が伝わったとは考えにくいのです。

帯方郡から漢人が撤退したあと、韓半島に高い文化をもたらしたのは、

使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王

が率いる倭国であったことは、中国の史書を素直に読めばわかることです。

日本書紀にも、神功天皇が三韓征伐したことが書いてあり、

神功天皇が皇祖神として、応神天皇と共に宇佐八幡神として、のちの天皇家から最大の崇敬を受けていた事実からも、

神功応神期に倭国が最大版図を築いていたことがわかるのではないでしょうか❓

( ・`ω・´)💡

ラピタ人は、数万~数十万人が、どこからともなく現れて、やがてどこへともなく消えて行きました…

縄文後期から晩期の急激な人口減と、弥生時代の人口急増…

( ・`ω・´)💡
ある時から、縄文人は一斉に海へ進出し、またある時から一斉に戻って来たのかもしれません。

(o´・∀・)o
山東半島にいた徐福は、もともと東夷…つまり、海を渡って中国に移り住んだ倭人だったのかもしれないね⁉️

( ・`ω・´)💡
山東半島の人(斉や魯、越国など)は、倭人のことはよく知っていたみたいだよ。

倭人が頻繁に交易に訪れていたのだろうし。

徐福が、内陸出身の秦の始皇帝を欺くのは、わけなかったと思うよ。

(o´・∀・)o
縄文時代の東日本と遼河文明、中部日本と黄河文明、西日本と長江文明は、相互に交流があったのは、間違いないみたいだね❗

( ・`ω・´)💡
中国に産出しないヒスイや黒曜石、宝貝は高く売れたんだろうね。

(o´・∀・)o
北米にはいないはずの宝貝が、何故か北米の遺跡から発見されるという…

( ・`ω・´)💡
それも海外では、縄文人が運んだと考えられているよ‼️

( ・`ω・´)💡
縄文人が海の民だった証拠、縄文人が海洋交易ネットワークを築いて“商売”していた証拠は、中国の史書を“素直に”読んで、最新の世界的な考古学の成果、遺伝子の伝播、文化の伝播を考えれば、わかることだよ❗

(o´・∀・)o
アメリカの教科書には、韓半島は七世紀まで日本の領土または属国と書いてあるみたいだね⁉️

( ・`ω・´)💡
そう書いていないのは、日本と韓国の教科書だけだよ❗

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天竜茶、春野の茶を育む産地、天竜川とその水脈に連なる山々…悠久の歴史❗

縄文の…、というより、天竜川~八ヶ岳~富士が、いかに自然環境豊かで農耕にも適し、過去から未来まで永続的に人が暮らす場所として適しているか?

それを、一人でも多くの人に知って頂きたいと思っています❗

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