何やら不安な時代…アメブロでも多くの人が語る『陰謀論』…それぞれの真偽はどうかわかりませんが、世界の歴史は謀略の歴史…何らかの「陰謀」は、あるようですね(o´・∀・)o
日本と中国、モンゴル、トルコ、古代から切っても切れない関係があります。
一般には、あまり知られていないですね( ・`ω・´)💡
世界が動き出すと、『古事記』、『日本書紀』、アマテラス、神武天皇…日本すごい❗とお決まりの人心掌握報道が発動されます…
御一新後や、昭和初期のような状況になってきました。
歴史は繰り返す…のではなくて、何度も同じことを仕組んでいます。
その度に民草はいつも踊らされてしまう…
あと、最近はどうでも良いニュースが目立ちますね(ー_ー;)
何を隠していたいやら…
台風被災地の続報は、ほとんど出てきませんが…
水面下では、静かに世界の国々が動いています。
ブレグジット、ドイツ銀行、イスラム国、朝鮮半島、国後島、一帯一路…
明日、世界がどう転んでもおかしくはないですが、日本は今日も平和です。
だけど最早、明日はわからないですよね?
日本の天皇家は、神武天皇が初代ではないし、天御中主から続いていることは国際的にはよく知られていることで、もちろん日本でも多くの人が知っていますが…
中国が何故、インターネットに規制をかけなければならないかというと…
本当のことがわかってしまってはいけない。
中国は「あの戦争は日本が悪いんだ」と一般には思わせなければいけない。
半島と列島は、あくまで仲が悪いんだ(#`皿´)と、一般には信じ込ませなければいけない。
それでも情報はバンバン出て来ます。
日本にも中国にも、五千年以上前から続く家系が複数あり、それぞれ史記や古事記成立以前の口承を伝えています。
瀬戸内の盆地に、ある日突然大洪水が押し寄せて瀬戸内海になった…
大陸に避難した縄文人の大洪水の口承は、今も世界中に伝わっています。
7300年前に鬼界カルデラが噴火したから交易先の山東半島に移民したけど2500年前の寒冷化で戦乱の時代になったから日本へ帰ってきたよ~(* ̄∇ ̄)ノ…なんて口承をサラッと伝えている家もあります。
日本列島五万年の歴史からすれば、神武天皇や天村雲の話は、つい最近の出来事なのかもしれません…
白村江や元寇も出来レースかもね┐( ̄~ ̄;)┌
ヤラセの戦争に捲き込まれて命を落としたら、たまったものではありません。
五万年以上前の歴史は、ゴッドハンドが「無い」ことにしちゃった!Σ( ̄□ ̄;)
「中国さんロシアさん、ホモサピエンス・アルタイを根掘り葉掘り調べないで~(/´△`\)」
でも、もう情報はバンバン出て来ています。
『陰謀論の正体③アルタイ諸族と漢民族の危険な関係』
漢民族とは本来、争いを好まない民族である。
そもそも五千年の中国史において、漢民族の統一王朝は漢代の劉氏と、明代の朱氏のみとされる。
漢の劉氏は徐州の豪農、明の朱氏は濠州の貧農の出身で、戦国時代は楚の支配下にあった地域であり、華南(長江文明)系の住民が多い地域であった。
山東半島から長江にかけての中国沿海部は、海を渡ってくる東夷=倭人が交易に訪れていた地域であり、呉人、越人の断髪文身など倭人(縄文人)と同様の習俗が色濃く見られた地域である。
上代五帝の舜、それに続く夏王朝も東夷とされており、長江文明の流れを汲んでいて、夏の末裔が縄文系海人習俗の越である。
夏に続く殷王朝は、遼河文明系で北狄(テュルク系)、東胡(モンゴル系)と見られており、後裔は朝鮮。
また扶余、高句麗など古日本語に近い言語を話す民族、ツングース系民族なども殷のシャーマニズムを引き継ぐ集団であり、三國志の著者陳儔は、東胡含め東夷系民族とした。
東夷のリーダー格は海を渡ってくる倭人であり、中国の史書からは、縄文人が古代中国に進出していた様子が窺える。
テュルク系民族のトルコやキルギスタンには、今も、彼らと日本人が同祖であると言い伝えられており、トルコ、キルギスタンは、ユーラシアを代表する親日国となっている。
同様に東欧のウクライナも親日とされるが、ウクライナはモンゴル系アヴァール人、テュルク系ブルガール人・ハザール人が割拠した地域である。
アルタイ諸語に日本語、朝鮮語を含めるか否かには異論もあるが、多くの研究者は、アルタイ諸語に日本語を含めることを支持している。
アルタイ諸語を話すグループは、古代において縄文人の交易圏に属していたとみて良いだろう。
周の姫氏はテュルク系、
秦の贏氏はチベット系だが所謂“古羌"に属し、モンゴル系鮮卑に近い民族と見られている。
新の王氏は魏郡の名門氏族。王氏は舜、殷、晋など王族の子孫に見られる。
魏の曹氏は漢の功臣曹参の末裔とされるが、傍系で、曹操の父は夏候氏からの養子。
呉の孫氏は春秋斉の宗族孫武の子孫を称する。
孫武の兵法は世に名高い『孫子』であるが、現代に伝わるテキストを整理したのは曹操の『魏武注孫子』であり、今日でも兵法の基本とされる。
晋の司馬氏は戦国趙の武将の家系。
新、魏、呉、新の皇帝も、どちらかといえば辺境の出自が多い。
五胡十六国はモンゴル系、テュルク系、チベット系が乱立。
南朝宋の劉氏は、項羽の一族が漢から劉姓を賜ったとされる。
斉、梁の蕭氏は漢の宰相蕭何の子孫。
そして陳の陳氏は、帝舜から続く名門中の名門氏族である。
北魏、隋、唐がモンゴル系鮮卑
五代~宋がテュルク系突厥沙陀族
遼がモンゴル系契丹
金がツングース系女真
元がモンゴル系蒙古
明を挟んで
清がツングース系満州(女真)
と、漢民族は大半の時代を、東夷、北狄…縄文系後裔民族の支配下に置かれることになる。
帝舜から続く、一応元は東夷(つまり倭人)だが、現代まで漢民族の名門氏族である陳の一族、陳氏は南朝最後の皇帝となったが、鮮卑の隋の武力の前に無抵抗であった。
漢民族は平和主義なのだ。
これは漢民族の歴史を研究している世界の常識である。
またしても日本人と韓国人だけが知らない世界の常識なのである。
世界で敵に回すと恐ろしいと思われている民族は、倭鮮満蒙テュルクのアルタイ系諸族である。
縄文人の平和主義どこに行った!Σ( ̄□ ̄;)?
炎帝神農氏は陳に都した。
炎帝は黄帝に敗れ日本の天皇となり、黄帝は漢民族の祖となった。
春秋陳国の祖は東夷(倭人)の帝舜。
陳氏からは、
斉の王となった田氏が分かれた。
山東半島の斉は倭人と交易。
そして漢から清まで中国名門貴族として隆盛を誇ったのが、やはり陳国陳氏から分かれた袁氏。
袁術は仲の皇帝となり、同じ頃、倭では仲哀天皇が即位。
卑弥呼が女王と呼ばれた。
袁術の庶兄袁紹(袁本初)の子孫が中華最後の皇帝袁世凱。
仲哀天皇の皇后、神功天皇の祖先、彦坐王第二王子は袁邪本王。
仲哀天皇と神功天皇の子、応神天皇の子である二俣王の子孫が袁本抒命(継体天皇)。
そこには、私たちがまだ知らない日本と中国の裏歴史が隠されている…
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