日本は豊葦原千五百秋瑞穂の国
古代から連綿と続く葦の文化
かつては
「東南アジアから30000年前に丸木舟で日本人の祖先が渡ってきた~(`ロ´;)」
という古い学説があったが、もはや昔々の話。
日本列島は38000年前から環状ブロック遺跡群と呼ばれる100人近い規模の集落が作られ、世界最古の磨製石器が作られ、世界最先端の新石器文明が始まっていた。
その世界最先端の石器を用いたとしても、大木を刻み丸木舟を造ることは難しかっただろう。
然し、それより遥かに簡単に大型で高機能の舟を短期間で建造できることがわかってきた。
それが、海洋民族倭人が世界に誇る“葦舟"である。
石器材料の乏しい(というより存在しない)華南地方から、
旧石器時代には凍てついた冷たい内海だった東シナ海(台湾平原+琉球奄美半島に挟まれ南シナ海とは繋がっていない)を、丸木舟で日本列島を目指した人がいたとは考えられない。
何しろ、華南地方に現代的人類が進出したのは僅か15000年前と考えられているからだ。
インドからメコン、長江上流域に最初の農耕を始めた人々が到達したのが、やっと30000年前。
5~6万年前には既に、ユーラシアステップ~アルタイ~バイカル湖~シベリアを経て、氷期でも温暖な太平洋に面した日本列島に到達した原日本人アイノイドが、
火山列島であり各大陸プレートが複雑に交差し、大陸には少ない石器材料の黒曜石、蛇紋岩が豊富であった日本列島で、
狩猟、湖沼漁労、採集の半定住生活を開始した。
それが世界文明のあけぼのであり、野尻湖遺跡に代表される長野県から北関東に集中した大量の…日本列島が世界に誇る後期旧石器時代遺跡群である。
原日本列島から環太平洋沿いに拡散した人々は、速やかにオーストラリアまで到達する。
海水面が下がった氷期には、太平洋沿いに簡易的な葦舟で進んでも、トカラやチモールなどの3つの小さな海峡を渡るだけで日本列島からオーストラリアに到達できる。
沖縄の旧石器時代人骨は、アボリジニに似ているとされるが、それはアボリジニが北上してきたわけではなく、初期アイノイドとアボリジニが出アフリカ直後の身体的特徴を共有していたからである。
日本列島、あるいは日本列島に到達する以前に、初期アイノイドはネアンデルタール人やデニソワ人と交雑。
初期アボリジニは更に、既にオセアニア、メラネシアにいたアウストラロデニソワ人と交雑した。
その後、東南アジア内陸部からインド経由の初期農耕民がオーストロネシア、オーストロアジアに広まっていく。
現代日本人の男系遺伝子には、初期アイノイド由来が多く4割を超える。
一方、女系では初期アイノイドの遺伝子は1割程度で、アジア各地からの多様な渡来遺伝子が大多数を占める。
古代は女性ばかりが冒険心が強く、アジアのあちこちから女性だけの多様な集団ばかりが日本列島を目指し危険を顧みず丸木舟でやって来た(`ロ´;)
…そんなわけがあるだろうか?
普通に考えれば、葦舟に乗った原日本人の男達が、アジア各地に航海して花嫁を連れてきた…となるのだろう。
葦舟で太平洋を渡るプロジェクトも行われ、既に古代日本列島海洋民の世界進出が明らかになりつつある。
北米では1万年以上前に海を渡ったアイノイドの人骨や、縄文人のワラジが発見されている。
南米では縄文土器が多数発見され、先住民は今も葦舟を利用している。
アマゾン奥地に日本人そっくりの先住民がいる…
まだまだ、日本の考古学界は、古い考えに縛られたまま…
世界のルーツを辿る最新の研究からポツリ取り残されている。
氷期とは全く様子が異なる現代の海を丸木舟で横断する方が、いかにも話題性があって資金が集まり、その後、全国各地で講演を行って、よい稼ぎになるのだろうが…
果たして、それが学問だろうか?
ただの考古学を装ったビジネスではなかろうか?
…と、言うわけで、日本の考古学界が“ゴッドハンド"の幻想から目覚めるまで(永遠に体質は変わらんと思うけど)、
わらしが最新の古代情報をお伝えしま~ス( `・∀・´)ノ ィヨロシクー
https://ameblo.jp/starless43/entry-12528178194.html
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もちろん、仮説を積み上げた大仮説が必ずしも正しいなんて誰も言えません。
確度は上がると思いますが。
だって、過去が一つだなんて、誰にもわからないですもんね…( ・`ω・´)💡
それでも、世界のトレンドは、何となくわかっていただけると思います。