茜草指 武良前野逝『壬申革命』恋の裏舞台~古事記に書かれた真実④ | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



天武天皇の諱は、
大海人【おおあま】
生年諸説有~686

天武天皇の殯【もがり=古代の葬儀儀礼、本葬前に遺体を安置し個人との別れを惜しむ、古代では三年殯したという。現代の天皇の殯は四十余日、庶民では「通夜」が殯にあたる】の際に、

凡海麁鎌【大海蒭蒲(おほあまのあらかま)、安曇氏の一族】が、
誄【しのびごと=貴人の功績を称える弔辞】して、
壬生【みぶ、養育係】のこと(天皇の養育)について語ったところから、

大海人は、大海氏に養育されたことに因む名前とされています。

このことから天武天皇は海人系氏族のバックアップを受けていたことがわかります。

( ・`ω・´)💡
天武天皇の諡号は、
天渟中原瀛真人天皇【あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと】

瀛は道教の東方三神山(瀛州、蓬莱、方丈)の一つ瀛州【えいしゅう】を意味するとされています。

真人【しんじん】は優れた道士をいい、

瀛、真人は、共に道教が由来となっています。

鮮卑族の李氏が建てた唐王朝は、

老子
【姓は「李」、名は「耳」、字は「聃」(または「伯陽」。楚の苦県の人。
春秋戦国時代の思想家、道家。
『老子道徳経』は東夷族の縄文思想を纏めた書ともされる。
のちの道教では始祖として神聖視された】

の子孫を称しています。

唐は老子を宗室の祖と仰いで道先仏後の崇道王朝として道教を重視しました。

白村江の戦いなどの時代背景から、
天武天皇と唐朝、武則天の関係の深さが指摘されており、

唐太宗の崩御後、後宮にいた武照が出家して道士となり、道教の聖地である瀛州(日本)に渡り、産んだ子供の名が真人(つまり瀛真人)であり、

父親は、高宗【天皇大聖大弘孝皇帝高宗、
唐の第三代皇帝。太宗の第九子。諱は李治。628~683
母は鮮卑拓跋氏(北魏皇室)の宗族である長孫無忌の妹、長孫皇后】
とも、

中臣鎌足
【内大臣大職冠、614~669
父は中臣御食子、
母は大伴智仙娘、
出生地は大和国高市郡藤原『藤氏家伝』、
または常陸国鹿島『大鏡』
中臣氏は代々神官職を務め、御食子は鹿島神宮の神官とされる。
鎌足は中国の史書に関心を持ち、家業の神祈伯に就かず、乙巳の変で蘇我倉山田石川麻呂と共に中大兄皇子(のちの天智天皇)に協力し、軍事・外交を任されるようになった。
正妻は、天智天皇の妃であった鏡女王とされる】
とも伝えられ、

鎌足の長男、中臣真人【なかとみのまひと、643~666】は
白雉四(653)年五月、
若冠11歳で遣唐使として唐に渡り、高宗の皇后になっていた実母の
武照
【武則天(周の則天大聖皇帝、聖神皇帝、唐の則天順聖皇后)、624~705
父は利州都督武士彠、
母は楊氏(隋の皇族楊達の娘)、
太宗の後宮に入り才人(正五品)となったが、「李に代わり武が栄える」との流言が蔓延ったために太宗に遠ざけられ、子の李治(高宗)に取り入ったとされる。
道教の道士を経て、高宗の皇后になり権力を掌握。
のち唐王朝に代わり、中国唯一の女帝として即位周王朝(690~705)を開いた】
が帝王学を学ばせて帰国、

中臣真人は帰国後すぐに亡くなったことになっているが、実は生きていてのちの天武天皇となった。

とする説があります。

表向き、中臣真人は若くして仏門に出家し、僧定恵として入唐し、玄奘の弟子の神泰法師に師事したことになっていますが、

中臣氏は神祇に関わる氏族であり、仏教伝来に際し強硬に反対しています。
その中臣氏の、白稚年間には権勢を極めていた重臣鎌足の(後継者であるべき)長男が仏門に帰依して、若くして入唐したことには、

裏があるのではないか?

と、古くから議論されてきました。

中臣鎌足は、天智天皇八(669)年十月、山科の御猟場に狩りに行き馬上から転落して背中を強打した怪我によって亡くなりますが、死の前日に

天智天皇から内大臣に任命され、藤原姓を賜っています。

この時、長男真人【まひと】は既に亡く、次男不比等【ふひと】は11歳でした。

中臣(藤原)不比等【正二位、右大臣(贈正一位、太政大臣)659~720】

( ・`ω・´)💡

『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』など多くの史料が天智天皇落胤説を説き、
『公卿補任』では、天智天皇が懐妊していた女御(車持夫人とされる)を鎌足に賜ったという。
『興福寺縁起』では、不比等の生母を鏡女王とする。

鎌足は正妻の鏡女王(鏡王女とも)、車持夫人共に天智天皇の元妻を娶っていることになるほか、

万葉集に鎌足の歌として

『吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利』
“われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり”
があり、天智天皇から采女の安見児を賜った際に詠んだという。

(o´・∀・)o
鎌足は、三人も天智天皇お手つきの女性を賜ったことになっているね❗

( ・`ω・´)💡
万葉集には鏡王女の歌として、

『神奈備乃 伊波瀬乃社之 喚子鳥 痛莫鳴 吾戀益』
“神奈備の石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる”

が、あり、これは亡き鎌足を鏡王女が偲んで詠んだとされています。

( ・`ω・´)💡
然し、臣下の身分の鎌足が、皇女を娶れる(当時、皇女を娶れるのは王族のみ)かは疑問とされ、鏡女王(かかみのおほきみ、かがみにょおう、なら天皇の皇女)と鏡王女(かがみおうおんな、なら諸王の娘となる)は別人説もあり、

また、鏡女王の妹が額田王とする説や、鏡王女(がかみおうのむすめ)=額田王とする説があります。

(o´・∀・)o
鏡王女=額田王とすると、天智天皇、天武天皇、中臣鎌足の間で複雑な恋愛関係があったことになるね…

額田王
【生没年不詳
『日本書紀』によれば鏡王の娘で大海人皇子(天武天皇)の妃となり十市皇女を生んだ。
鏡王は、一説に宣化天皇の曾孫で近江国野洲郡鏡里の豪族、壬申の乱で戦死したという】

( ・`ω・´)💡
十市皇女が産まれた後、額田王は中大兄皇子(天智天皇)に寵愛されて妃となり、それに横恋慕した元夫の大海人に対し、

額田王が詠んだとされるのが有名な

『茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流』
“あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る”

それに対する大海人の返歌が、

『紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方』
“紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも”

だと、されています。

( ・`ω・´)💡
そして、
「天智天皇が藤原鎌足に、春山に咲く花の艶やかさと、秋山の木の葉の彩りで、どちらに深い趣があるかと尋ねられた時に、額田王が判定した歌」
とされるのが、この歌

『冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者』

“冬こもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山吾は”

( ・`ω・´)💡
壬申の乱は額田王を巡る恋の争い、とも云われますが…

額田王が超絶美人で中大兄、大海人、鎌足が恋の争いをしていたのは事実かもしれません…

( ・`ω・´)💡
然し、万葉集の研究者はロマンティックに考えたがりますが、恋と国家の争いは、別物だったでしょう‼️

(o´・∀・)o
それにしても、中大兄、大海人、鎌足を巡る人間関係は複雑でグチャグチャで、誰が誰の子だかわからない❗

( ・`ω・´)💡
逆にいえば、この時代のことは、

何とでも言えてしまう!Σ( ̄□ ̄;)

ってことだね…

( ・`ω・´)💡
さて‼️

中臣氏は近江(天智)朝の重臣であり、壬申の乱(672)では処罰の対象となった者もいました。

このため、不比等は成人後、何の後ろ楯もなく、下級官人としての出仕を余儀なくされますが、天武朝で異例の出世を果たし、

文武天皇二(698)年には、不比等の子孫のみが藤原朝臣姓を名乗ることを許され、太政官の官職に就く資格を得ています。

不比等の従兄弟たちは中臣朝臣姓にとどまり、
神祇官として祭祀のみを担当することになります。
中臣氏と藤原氏(不比等の子孫)は、明確に分けられました。

このように、何ら後ろ楯がない(父が近江朝の重臣であったとはいえ、天武朝にとっては朝敵ともいえる)不比等が、

天武朝において、
下級官人から異例の抜擢をされ、
その後の藤原氏の栄華の基礎を築くようになったところから、

平安期には、
真人=孝徳天皇御落胤説
不比等=天智天皇御落胤説が
流布します。

持統天皇(天智天皇の娘)が、(実の弟である)不比等を、実子の草壁皇子【くさかべのみこ、天武天皇皇太子として天皇崩御(朱鳥元686)殯宮の喪主を務めたが、即位することなく持統天皇三(689)年薨去、淳仁天皇(草壁皇子の甥にあたる)の御代に岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)の天皇諡号が贈られた】に仕えさせ、皇親政治の一翼を担わせた、とする説もあるようです。

この説だと、天智天皇の娘である

持統天皇
【諱は鸕野讚良(うののさらら)、諡号は崩御時の大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)、『日本書紀』では高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)645~703
父は天智天皇(中大兄皇子)、
母の遠智娘の父が蘇我倉山田石川麻呂、
天武天皇の皇后であったが、皇太子草壁皇子が即位することなく薨去すると、翌年(持統天皇四690)元日に自ら即位】、

元明天皇
【諱は阿閇(あへ、阿部)。諡号は日本根子天津御代豐國成姬天皇(やまと ねこ あまつみしろ とよくに なりひめの すめらみこと)661~721
天智天皇の皇女で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の姪娘(めいのいらつめ)。
天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の正妃で、文武天皇と元正天皇の母。】

の、二人の女帝(共に父が天智天皇で、母方の祖父が蘇我倉山田石川麻呂
)が、夫の天武朝の血統を重視したか、実家の天智朝の血統を重視していたか、が問題になりますが、二帝ともに、孫である(天武天皇のY染色体を引き継ぐ)文武天皇、聖武天皇の即位に血道を上げています❗

( ・`ω・´)💡

嫁いだ女性が実家を重視するのは、嫁いでも実家の姓を名乗り続ける中国では特に顕著ですが…

皇帝に嫁ぐとなると、事情が異なるようです❗

後漢最後の皇帝で、魏の文皇帝曹丕に禅譲した孝献皇帝(漢の後継王朝を自認する蜀漢からは孝愍皇帝と諡されている)に嫁いだ曹操【魏の武皇帝(追号)、曹丕の父】の娘、献穆皇后曹節のエピソードがあります。

魏王曹操が薨去した後、魏王を継いだ曹丕は孝献皇帝に禅譲を迫りました。
献穆皇后曹節は伝国璽を握りしめ、兄の魏王からの使者に渡さないようにし、
使者に激しく詰めより抵抗しました。

こうしたやり取りが、数日続いたのち、献穆皇后は、
「天に祝福されないのか」
と言って伝国璽を投げ付けて哭泣し、
孝献皇帝が、魏に帝位を譲り山陽公に封じられた後も、山陽公夫人として従い、
魏の公主に封じられることはありませんでした。

( ・`ω・´)💡

なお、毛宗崗版より前の小説『三国志演義』では、

曹皇后が、兄の曹丕に従うよう、夫の孝献皇帝に迫る(実家の側にたっている)エピソードが書かれていたようですが、

毛宗崗がこれを『後漢書』に従って改めて
「曹皇后は大義を知っている」
と評価しています。

(o´・∀・)o
あたりまえですが、
国家の大義というのは、
家庭に優先するものです。

初期の『三国志演義』の作者らは、そうしたことを理解せず、一般人の感覚で、献穆皇后が実家を優先するように書いてしまったのでしょう。

( ・`ω・´)💡

もし、持統天皇や元正天皇が、国家の大義より、実家の事情(私事)を優先していたならば、

後世に笑い者になったでしょう。

(o´・∀・)o
そういうことをすれば、

破廉恥、

だという概念があったはずだね。

( ・`ω・´)💡

献穆皇后が、曹魏の側に立ったとか、

不比等が天智天皇の御落胤だから、持統天皇や元正天皇が優遇した、

と考えるのは、

下衆の極み(#`皿´)‼️

ですね。

(o´・∀・)o
平安時代には、既に

廉恥

という言葉を忘れてしまって、

下衆の勘繰り

が、繰り返されたわけだね…

( ・`ω・´)💡
『万葉集』と『日本書紀』だけ読んで、エロい想像していたからだよ。

(o´・∀・)o
『古事記』は、鎌倉時代までは朝廷でも披見できる人が少ない秘本扱いになっていて、容易には読めなかったんだよね❗

( ・`ω・´)💡
その後も、永らく偽書扱いされていて、

正史である『日本書紀』より、一段低く見られてきました…

(o´・∀・)o
現代でも、単なる神話としての面白さや、
おとぎ話的な感覚で、『古事記』を読んでいる人が多いね❗

( ・`ω・´)💡

本当は、そうじゃなくて、『古事記』こそ、

誇らしく、日本の全てが記された“異形の書”と言えるんだよ‼️

『古事記』に書かれていること…

最新の考古学、古気象学、分子古生物学の知見や、

中国の史書に、はっきりと記された事実、

地政学的な見地から俯瞰した世界の歴史、

日本の田舎に今も伝わる縄文の祭祀、民俗…

あらゆる情報を総動員して、

古事記原文を読んでいけば、全てが解る(#`皿´)

(o´・∀・)o
気がするね❗

(。・´д`・。)ドウセ妄想ダロ…

( ・`ω・´)💡
さて、それでは、

奈良時代に淡海三船によって撰進された、

『天武』という漢風諡号について、

“『天』は『武』王を立てて悪しき王を滅ぼした”殷周革命の故事より

を意味するという説があります( ・`ω・´)💡

『武則天』から取った説もありますが…
(息長足姫天皇【おきながたらしひめのすめらみこと】の漢風諡号は、武則天時代の周の元号である『神功』(697年)から撰進されています❗)

森鴎外は
『国語』楚語下
「天事は武、地事は文、民事は忠信」
を出典とする説を上げました。

( ・`ω・´)💡

『古事記』では、まさに
天武天皇を周王に準えています。

壬申革命が、殷周革命と同じく、また、阪泉の戦い、涿鹿の戦いと同様に、

武力革命による王朝交代

であったことを、明確に記しています。

この“事実”から目を背けたら、

日本の“本当の”歴史は、わかりません( ・`ω・´)💡

(。・´д`・。)マジ?

( ・`ω・´)💡
では、古事記 序文の続きを、以下に載せておきます‼️

解説は次回❗( `・∀・´)ノ ィヨロシクー

『曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。
開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。
然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、未移浹辰、氣沴自淸。
乃、放牛息馬、愷悌歸於華夏、卷旌戢戈、儛詠停於都邑。』

“飛鳥清原大宮(あすかのきよはらのおほみや)に、
大八洲(おおやしまくに)御(しら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世(みよ)に曁(いた)りて、濳(くく)れる龍(たつ)元(いきほひ)に体(かな)ひ、洊(しき)る雷(いかづち)期(とき)に応じき。”

“夢(いめ)の歌(うた)を聞きて而して業(ひつぎ)を纂(つ)がむことを相(おも)ほし、
夜の水(かは)に投(いた)りて基(ひつぎ)を承(う)けむことを知りたまふ。”

“然れども天(あめ)の時未だ臻(いた)らずして、南山に蝉のごとく蛻(もぬ)け、人事(ひとごと)共給(そな)わりて、東国(あづまのくに)に虎のごとく歩みたまひき。”

“皇輿(すめらみこと)忽(たちま)ち駕(いでま)して、
山川(やまかは)を淩(こ)え渡り、六師(みいくさ)雷(いかづち)のごとく震(ふる)ひ、三軍(みたむらのいくさ)電(いなづま)のごとく逝(ゆ)きき。”

“矛を杖(つゑつ)き威(いきほひ)を挙げ、
猛(たけ)き士(いくさ)烟(けぶり)のごとく起り、絳(あか)き旗(はた)兵(つはもの)を耀(かがや)かして、

凶(あし)き徒(ともがら)瓦のごとく解けき。”

“未だ浹辰(いくばく)も移(めぐ)らずして、氣沴(わざはひ)自(おのずか)ら清(しず)まりき。

乃(すなわ)ち、牛を放ち馬を息(いこ)へ、

愷(たの)しみ悌(やすら)ぎて華夏(なかつくに)に帰り、

旌(はた)を巻き戈を戢(おさ)め、舞ひ詠ひて都邑(みやこ)に停(とど)まりたまひき。”

『歲次大梁、月踵夾鍾、淸原大宮、昇卽天位。
道軼軒后、德跨周王、握乾符而摠六合、得天統而包八荒、乘二氣之正、齊五行之序、設神理以奬俗、敷英風以弘國。
重加、智海浩汗、潭探上古、心鏡煒煌、明覩先代。』

“歳(ほし)大梁(とり)に次(やど)り、月は侠鍾(きさらぎ)に踵(あた)り、

清原大宮(きよはらのおほみや)に昇りて天位(あまひつぎ)に即(つ)きたまひき。

道(みち)は軒后(けにこう)に軼(す)ぎ、

徳(いきほひ)は周王(しうわう)に跨(こ)えたまへり。

乾符(あまつしるし)を握(と)りて六合(くに)を摠(す)べ、
天統(あまつひつぎ)を得て八荒(やすみ)を包(か)ねたまふ。

二つの氣(け)の正しきに乗り、五つの行(めぐり)の序(つぎて)を齊(たた)へ、
神(あや)しき理(ことわり)を設(まう)けて俗(よひと)を奬(すす)め、
英(すぐ)れたる風(のり)を敷(し)きて国に弘めたまいき。

重加(しかのみにあらず)、智(さとり)の海は浩瀚(ひろ)く、
潭(ふか)く上古(いにしへ)を探(さぐ)り、
心の鏡は煒煌(かかや)き、
明らかに先(さき)の代(よ)を覩(み)たまふ。”

『於是天皇詔之「朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰錄帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。」時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。卽、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然、運移世異、未行其事矣。』

“是(ここ)に天皇(すめらみこと)詔(の)りたまわく、

「朕(あれ)聞く、
諸家(もろもろのいへ)の賷(も)てる帝紀(すめらみことのふみ)および本辭(もとつことば)、
既(すで)に正實(まこと)に違(たが)ひ、
多(さは)に虚僞(いつはり)を加ふといえり。

今の時に当たり、其の失(あやまり)を改めずは、
未だ幾年(いくとせ)を経(へ)ずして、
その旨(むね)滅びなむとす。

斯(こ)れ乃(すなわ)ち邦家(くにいへ)の經緯(たてぬき)、王化(みおもぶけ)の鴻基(おほきもとゐ)なり。

故惟(かれこ)れ帝紀(すめらみことのふみ)を撰(えら)ひ録(しる)し、
旧辞(ふるきことば)を討(もと)め覈(あなぐ)りて、
偽(いつは)りを削(けず)り実(まこと)を定(さだ)め、
後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ」とのりたまひき。

時に舍人(とねり)有り。
姓(うぢ)は稗田(ひえだ)、名は阿禮(あれ)。
年は是(こ)れ廿八(はたちあまりやつ)。

人と爲(な)り聰明(さと)くして、
目に度(わた)れば口に誦(よ)み、
耳に拂(ふ)るれば心に勒(しる)す。

即(すなわち)ち阿禮(あれ)に勅語(みことのり)して、
帝皇(すめらみこと)の日繼(ひつぎ)及び、先代(さきつよ)の旧辞(ふるきことば)を誦(よ)み習(なら)はしめたまふ。

然れども運(とき)移り世(よ)異(ことな)り、
未だその事を行ひたまはず。”

『伏惟、皇帝陛下、得一光宅、通三亭育、御紫宸而德被馬蹄之所極、坐玄扈而化照船頭之所逮、日浮重暉、雲散非烟、連柯幷穗之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月。可謂名高文命、德冠天乙矣。』

“伏(ふ)して惟(おも)ふに、
皇帝陛下(すめらみこと)、
一(ひとつ)を得て光宅(みちを)り、
三(みつ)を通(かよ)ひて亭育(やしな)ひたまふ。

紫宸(おほうち)に御(いま)して徳(いきほひ)は馬の蹄(つめ)の極(きは)まる所に被(かがふ)り、
玄扈(みあらか)に坐(いま)して化(おもぶけ)は船頭(ふなのへ)の逮(いた)る所を照らしたまふ。

日浮かびて暉(ひかり)を重ね、雲(くも)散(ち)りて烟(けぶり)に非(あら)ず。

柯(えだ)を連ね穗を并(あは)す瑞(しるし)、
史(ふみひと)書(しる)すことを絶たず、
烽(とぶひ)を列(つら)ね訳(をさ)を重ぬる貢(みつき)、
府(みくら)に空(むな)しき月無し。

名は文命(ぶにめい)よりも高く、

徳(いきほひ)は天乙(てにひつ)にも冠(まさ)りたまへりと謂(い)ひつべし。”

『於焉、惜舊辭之誤忤、正先紀之謬錯、以和銅四年九月十八日、詔臣安萬侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者、謹隨詔旨、子細採摭。』

“焉(ここ)に舊辭(ふるきことば)の誤(あやま)り忤(たが)へるを惜(を)しみ、
先紀(さきつふみ)の謬(あやま)り錯(まじ)ふるを正さむとして、

和銅四年(わどうのよとせ)九月(ながつきの)十八日(とをあまりやか)を以(も)ちて、

臣(やつかれ)安萬侶(やすまろ)に、
「稗田阿禮(ひえだのあれ)が誦(よ)む所(ところ)の勅語(みことのり)の舊辭(ふるきことば)を撰(えら)ひ録(しる)して、獻上(たてまつ)れ」
と詔(の)りたまへば、

謹(つつし)みて詔(みことのり)の旨の隨(まにま)に、子細(こまやか)に採(と)り摭(ひり)ひつ。”

『然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字卽難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之內、全以訓錄。卽、辭理叵見、以注明、意況易解、更非注。亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改。』

“然れども上古(いしにへ)の時、言(こと)と意(こころ)を並(みな)朴(すなほ)にして、
文(ふみ)を敷き句(ことば)を構(かま)ふること、字におきて即ち難(かた)し。

已(すで)に訓(よみ)に因(よ)りて述ぶれば、詞(ことば)心(こころ)に逮(およ)ばず。

全(また)く音(こゑ)を以(もち)て連ぬれば、事(こと)の趣(おもぶき)更に長し。

是を以て今、或(あ)るは一(ひとつ)の句(ことば)の中(うち)に、
音(こゑ)訓(よみ)を交(まじ)へ用(もち)ゐ、
或(あ)るは一の事の内(うち)に、全く訓(よみ)を以ちて録(しる)す。

即ち、辭理(ことばのすぢ)の見え叵(がた)きは、
注(いれしる)を以ちて明(あきら)かにし、
意(こころ)况(おもぶき)の解(し)り易(やす)きは更に注(いれしる)さず。

また姓(うぢ)におきて日下(にちげ)を玖沙訶(くさか)と謂(い)ひ、
名におきて帶(たい)の字を多羅斯(たらし)と謂(い)ふ。

此(か)くの如き類(たぐひ)は、本(もと)の隨(
まにま)に改(あらため)ず。”

『大抵所記者、自天地開闢始、以訖于小治田御世。故、天御中主神以下、日子波限建鵜草葺不合尊以前、爲上卷、神倭伊波禮毘古天皇以下、品陀御世以前、爲中卷、大雀皇帝以下、小治田大宮以前、爲下卷、幷錄三卷、謹以獻上。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。』

“大抵(おほよそ)記す所は、
天地(あめつち)の開闢(ひら)くるより始めて、
小治田(をはりだ)に于(お)ける御世(みよ)に訖(を)ふ。

故(かれ)、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)より以下(しも)、
日子波限建鵜草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)より以前(さき)を上卷(かみつまき)と為(し)、

神倭伊波禮毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)より以下(しも)、
品陀(ほむだ)の御世(みよ)より以前(さき)を中卷(なかつまき)と為(し)、

大雀皇帝(おほさざきのすめらみこと)より以下(しも)、
小治田大宮(をほりだのおほみや)より以前(さき)を下卷(しもつまき)と為(す)。

并(あは)せて三卷(みつのまき)に録(しる)して、謹(つつし)みて獻上(たてまつ)る。

臣(やつかれ)安萬侶、誠惶(まことに)誠恐(かしこみ)、頓首頓首(のみまを)す。

和銅(わどう)五年正月(いつとせのむつき)二十八日(はたちあまりやか)

正五位上(おほきいつかみのくらゐ)勲五等(いさをのいつしな)太朝臣(おものあそみ)安萬侶(やすまろ)謹上。”

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天竜茶、春野の茶を育む産地、天竜川とその水脈に連なる山々…悠久の歴史❗

縄文の…、というより、天竜川~八ヶ岳~富士が、いかに自然環境豊かで農耕にも適し、過去から未来まで永続的に人が暮らせる場所として適しているか?

そして、歴史の真実を知ることが目的ではなく、老子が理想とした上古代の文明国家の在り方

=ムラとムラが広範囲にネットワークを形成し、必要以上に追い求めず、高い精神文化を伴って、争うことなく繰らした縄文時代中期の社会❗

それを、一人でも多くの人に知って頂きたい、そしてもう一度、未来に豊かに暮らせるネットワークを残していきたい❗と思っています‼️

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(o´・∀・)o
皆さん、わからないことがあったら、何でも質問して下さいよ‼️

縄文地政学に基づいて、あらゆるジャンルの情報を、世界最速レベルで高速リサーチして、お知らせ致します( `・∀・´)ノ ィヨロシクー

なお、コピペ情報ではなく、膨大な情報から確度の高い情報を選び出し、考察した上でレポートにまとめて報告します‼️

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陰謀論の正体。②テュルクの黙示録https://ameblo.jp/starless43/entry-12537567163.html

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