東夷族が華夏文明を開いた~古事記に書かれた真実③ | 縄文家族|天竜楽市

縄文家族|天竜楽市

天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



( ・`ω・´)💡
『古事記上卷 幷序』では、

縄文時代から伝わる倭人の宇宙観、
(宇宙の始まりは、混沌としいて整わず、霊的な気【いき】もなく、物質的な象【かたち】もなく、まだ誰も知る者もいなかった=神が宇宙を作ったわけではない)

世界観、
(気象が現れ天地が分かれ、初めて神があらわれた=天地を作ったのも神ではない)

を表すと共に、

陰陽開け(男女が分かれてから)、
八十万【やそよろず】の神の祖【おや】となる二霊【ふたはしら】の神(イザナギ、イザナミ)が生まれた。

この二神は非常に偉大であったが、遠い昔の話であり、明らかではなかったが、本【もと】つ教え(古伝)が伝わっており、

先の聖【ひじり】=偉大なる先帝、天武天皇のお蔭で、知ることが出来るようになった。

ことを強調した上で、

(天照大神とスサノオの)誓約、
オロチ退治、
国譲りと蘆原中国の平定、
万世一系の始まり、
鏡、珠、剣の三種の神器、
偉大なる二神の後継者

そうした過去の事績を天武朝の偉業に重ね合わせるようにして天武朝が正統な皇統を引き継いでいることを、示しています。

そして、ニニギノミコト、神倭天皇【かむやまとのすめらみこと】以下、代々天皇の事績を簡潔に紹介したあとに、

↓以下のように天武天皇を絶賛した文章が続きます。

( ・`ω・´)💡

⬇️前回記事はコチラ

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563468396.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563282256.html

↓古事記 序文の続き

『曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。
開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。
然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、未移浹辰、氣沴自淸。
乃、放牛息馬、愷悌歸於華夏、卷旌戢戈、儛詠停於都邑。』

“飛鳥清原大宮(あすかのきよはらのおほみや)に、
大八洲(おおやしまくに)御(しら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世(みよ)に曁(いた)りて、濳(くく)れる龍(たつ)元(いきほひ)に体(かな)ひ、洊(しき)る雷(いかづち)期(とき)に応じき。”

( ・`ω・´)💡

飛鳥清原大宮(飛鳥浄御原宮【あすかのきよはらのみや】)は、
天武天皇元年(673)から天武、持統天皇の二代に渡って都とされ、
この地で日本最初の律令である『飛鳥浄御原令』が編纂されました。

672年、壬申の乱に勝利した大海人皇子が、天智・弘文天皇二代の都であった近江大津宮から飛鳥に都を戻すべく御造営され、翌年この宮で即位しています。

唐の高宗(天皇大聖大弘孝皇帝、即位649~683)に倣い、初めて“天皇”と号したのは天武天皇である(天武が天皇号を採用し、『飛鳥浄御原令』で明文化された)と考えられています。

【参照】
武則(=すなわち)天『武照=天照』天武朝が封印した倭人の物語
https://ameblo.jp/starless43/entry-12553045865.html

( ・`ω・´)💡

壬申革命は、倭国に大変革をもたらしました。

倭の大王(おほきみ)を中心に諸豪族が連なる緩やかな部族連合国家群『倭国』から、

天武天皇を中心に皇親(皇族)を主体とする中央集権の専制国家『日本国』にモデルチェンジしていくのです。

【参照】
https://ameblo.jp/starless43/entry-12529338312.html

(o´・∀・)o
天武天皇は、秦の始皇帝みたいだね❗

( ・`ω・´)💡
まさに、その通り。
秦の始皇帝も、それまでの君主の称号であった“王”が(戦国時代に)乱立したため、“諸王の王”たる『皇帝』を初めて号しました。

そして、中央集権の法治国家として、それまでの連合国家群であった中国を一つの国にしています。

(o´・∀・)o
それまでの倭国は、中国の夏・殷・周王朝のように、王が諸国を束ねるかたちの政治体制だったと考えると、わかりやすいね❗

( ・`ω・´)💡
夏・殷・周と、それぞれの諸国は、皆、黄帝の子孫という系譜を持っていました。

秦の始皇帝(本名は嬴政または趙政=姓が嬴【えい】、氏が趙【ちょう】、諱が政【せい】)も、
黄帝の孫である顓頊の末裔、女脩の孫、大費(帝舜と夏后禹に仕えた伯益と同一人物とされる)が贏姓趙氏の祖先で、春秋戦国時代の秦、戦国時代の趙はこの子孫であり、(始皇帝も)黄帝の子孫ということになっています。

(o´・∀・)o
中国の黄帝にあたるのが、イザナギ、イザナミの二神で、天武天皇も、全ての豪族も、その子孫である❗と宣言したのが、つまり『古事記』というわけだね‼️

( ・`ω・´)💡
そ~うなんです川崎さん‼️

(。・´д`・。)フルイダロ…
A地点からB地点に行く間に倭国から日本国に変わってしまったんかい❓

( ・`ω・´)💡
日本、という国号も、天武天皇が初めて採用したと云われています。

(o´・∀・)o
つまり、日本国初代皇帝陛下(すめらみこと)は、天武天皇だってことだね⁉️

( ・`ω・´)シーッ
それは、この国では最大のタブーです❗

!Σ( ̄□ ̄;)
そのタブーを、万世一系に塗り替えるために、縄文時代の古い神である二神を引っ張り出してきたのか⁉️

( ・∇・)
オイオイシンネンソウソウカラ過激な発言が…

( ・`ω・´)💡
あくまで、仮説です。

(o´・∀・)o
然し、古事記は、そのように読める仕掛けが随所にあるね❗

( ・`ω・´)💡
本当のことが言えないときでも、暗に仄めかすようなことを書くのが、史家のお約束。

史書は、基本的に本当のことはストレートに書けないから、神話にしてボカしてしまうのが常套手段だね。

わかる人だけにわかるように…本当のことをさりげなく挿入するのがプロの史家❗

(o´・∀・)o
やすまろが伝えたかったことが、何となくわかってきたぞ‼️

( ・`ω・´)💡
『皇帝』という称号は、中国の神話上の『三皇五帝』から採っているんだけど…

漢民族の祖である黄帝が、五帝の一人目であるのに対し、

倭人の祖であるイザナギ、イザナミは、中国でいえば五帝より以前の三皇に相当します。

(o´・∀・)o
中国では三皇は「神」
五帝は「聖人」だね‼️

( ・`ω・´)💡
三皇は神‼️
五帝は人‼️
ここが、古事記の主張したい大きなポイントなのです‼️

中国の史書を熟知していたであろう『古事記』作者の太朝臣安萬呂は、中国の歴史が人から始まるのに対し、日本の始まりを神代に置きました。

そして、太朝臣安萬呂の手許には、稗田阿禮から聞き取った縄文時代からの口承を含む膨大な資料が存在したのでしょう。

( ・`ω・´)💡

三皇は、
伏羲、女媧、神農、
または
天皇・地皇・人皇

イザナギ、イザナミは
人類創成の神とされる伏羲・女媧に相当します。

そして、天皇という称号は、三皇五帝の大本(おおもと)なのです。

( ・`ω・´)💡
そして、

三世紀頃の中国には、伏羲・女媧を遡る、天地が分かれる前の神が登場していました。

三国呉の時代に成立した徐整『三五歴紀』では、天地ができる以前の混沌とした状態から盤古が出現したと記されています。

盤古は天地創造の神となっていきますが、
『三五歴紀』以前の神話には登場せず、後世に創作された神と考えられています。

古事記本文で太朝臣安萬呂は、天地が初めて発【ひら】く時から書き出していきます。
天地が分かれる前の描写は、本文にはなく序文にしかありません❗

太朝臣安萬呂が、冒頭の序文で一番最初に伝えたかったのは、

近年の中国神話の誤りを正す。

という明確な意思表示です。

混沌としたカオスな状態から、やがて天地が分かれ、陰陽があらわれるという描写の流れは、

『淮南子』(BC140頃成立)天文訓の

“天墜未形、馮馮翼翼、洞洞濁濁、故曰太昭。道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生氣。氣有涯垠、
『清陽者薄靡而為天、重濁者凝滯而為地。清妙之合專易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定。』
天地之襲精為陰陽、陰陽之專精為四時、四時之散精為萬物。”

に準拠しています。

『日本書紀』は冒頭、

“古天地未剖、陰陽不分…”で始まりますが、
これがまず、『淮南子』俶真訓の“天地未剖、陰陽未判”からの借用であり、

その後の天地が定まる説明に、上記天文訓『清陽者…』の部分を引用しています。

『日本書紀』が中国の書物から着想を得た、と考えられても致し方ないところではありますが、

これに対し、

『古事記上卷 幷序』には、

“気象【いきかたち】効れず、名も無く為も無く、誰か其の形を知らむ”

という、オリジナルの説明が入り、

天地が分かれる前は、誰も見ていないのだ❗
神も未だいなかったのだ❗
と、高らかに主張します。

天地創造の神などいない、中国で云う盤古は後世の創作で、

我々は(神代=縄文時代からの確かな伝承があり)
因本【おおもと】の教えを而して識【し】っており、
寔【まこと】を知っているのだ‼️

と、いうところを、太朝臣安萬呂は、最初にピシャリと断言しているのです。

これは、
気象が現れ、
天地が定まって初めて、

万物に神が宿るのだ、

という縄文思想を明確にしているのです( ・`ω・´)💡💡💡

(o´・∀・)o
中国では、涿鹿の戦いで
蚩尤(炎帝神農氏の一族)に
勝った軒轅氏が黄帝として漢民族の祖となり、敗れた炎帝神農氏の子孫が日本の天皇になった、としているね❗

( ・`ω・´)💡
中国の学者がそう言うのだから、間違いないでしょう‼️

【参照】
https://ameblo.jp/starless43/entry-12530781620.html?frm=theme

中国の史書や、近年の考古学の成果を照らし合わせれば、縄文時代に日本列島から中国へ、神農氏が渡ったと考えることは、荒唐無稽な話ではありません。

神農氏は、中国に農耕、医療、商業、知識を伝えた神であり、
都を陳(ちん)に置き、八人の帝が530年間、中国を治めたとされています。

蚩尤(しゆう)は姜姓で炎帝神農氏の子孫であるとされ、

獣身で銅の頭に鉄の額を持つ(製鉄神?)。
また四目六臂で人の身体に牛の頭(牛頭大王?)と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれます。

(o´・∀・)o
蚩尤とスサノオが同一人物のようだね…

( ・`ω・´)💡
『国語』(楚語 下・注)
「九黎,蚩尤之徒也」

蚩尤は九黎という民族の頭目であったとされています。

その九黎の一族から分かれて生き残ったのが三苗(いわゆる長江の倭人と関連するとされる。長江稲作民であったミャオ族は三苗の末裔を自称する)で、彼らは蚩尤が敗れたのち西へ向かったという…

ミャオ族はすべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、
樹、岩、山、川、泉などを崇拝し、
祖霊や祖先への祭祀を大切にするなど、
縄文的な世界観・宇宙観を持った民族。
祖霊を、東方にある“究極の故郷”に送り返す祭りを行うという。

またミャオ族には東夷諸族と共通する卵生神話があり、
大洪水が起き、瓢箪に乗って生き延びた兄と妹が結婚して民族の祖になったという兄妹始祖神話があります。

( ・`ω・´)💡
そして、

三皇である
伏羲や女媧、神農は、
九黎から出たと考える説が中国にあるようです。

なお、伏羲と女媧が大洪水のとき瓢箪に乗って生き残り、その後、人類の祖になったとする神話もあります。

(o´・∀・)o
九黎と縄文人の関係が見えてきたよ。

( ・`ω・´)💡
三皇は九黎、
伏羲と女媧はイザナギとイザナミ
炎帝神農氏は日本の天皇の祖(=ヒコホホデミ=炎尊か?)

五帝のうち、
帝舜は

『孟子』(離婁章句 下)
“孟子曰、舜生於諸馮、遷於負夏、卒於鳴條、東夷之人也”

孟子曰く、
舜は諸憑に生れ、負夏に遷り、
鳴條に卒(をは)る。
東夷の人なり。

(帝舜は)孟子によれば東夷とされます。

また、夏王朝の祖である禹の父、鯀は東夷の祖であるとされています。

( ・`ω・´)💡
東夷の一部は、上古の代には九夷とも呼ばれています。

『夷』の字は、弓、大人をあらわし、ほんらい悪い意味ではありません。

縄文人が(中国に産出しない)黒曜石(硬度は鉄より上)の強力な矢を持っていたことが東夷が勇猛で好戦的なイメージを持たれたのだと思いますが、

『後漢書』東夷伝には、『礼記』王制篇からの引用で、
「東方のことを夷という。夷とは根本の意味である」

夷の意味は「恵み育て生命を尊重することで、万物は土地に根ざしてできるものである」

(o´・∀・)o
まさに、縄文的な思想の人々‼️
そして夷は、中国(華夏)にとって根本なんだね❗

( ・`ω・´)💡

東夷には、君子の国や不死の国があると考えられていました。

北狄、西戎、南蛮といった(漢民族から見て)野蛮とされた部族と異なり、東夷は歴代の中国王朝から一目置かれた存在でした。

(o´・∀・)o
本来、美称であった呼び名が、年月を経て差別的な意味合いに変化してしまうのは、よくあることだね❗
古来、華夏族は夷人を見下してはいなかった‼️

( ・`ω・´)💡

帝堯(五帝の四番目)の御代に、夷人を嵎夷【ぐうい】に住まわせ、そこを暘谷【ようこく】=日の出る処と呼んでいます。

五帝の時代から秦の統一まで、江蘇省、山東省付近の沿海部には東夷の諸族が住み、

そのうち、畎夷、于夷、方夷、黄夷、白夷、赤夷、玄夷,風夷、陽夷の九族を九夷と呼んでいます。

このほか、嵎夷、藍夷、徐夷、淮夷、泗夷などが
安徽省付近にいたようです。

( ・`ω・´)💡
三皇時代の九黎と、五帝時代の九夷は、同一の民族でしょうか?

彼らは、海を渡って大陸に進出してきた“縄文人”ではなかったでしょうか?

そう、考えていくと、色々辻褄が合ってきます。

神農氏は陳(現代の河南省周口市淮陽区)に都を置き、
また、炎帝は魯(山東省曲阜市)
に遷都したとも云います。

黄帝は(中国の研究によれば)BC2510~BC2448頃の即位とされており、それは日本列島で急激に人口が減り出したと思われる縄文時代後期初頭にあたります。

古代から黄帝の陵は、陝西省延安市黄陵県にあるとされていますが、炎帝神農氏の根拠地である魯、陳からは随分と西に位置しています。

炎帝は姜姓、氏は神農
黄帝は姫姓、氏は軒轅

のちの、

斉(山東省淄博市臨淄区)は姜姓、氏は呂

周(陝西省西安市)は姫姓

斉の始祖、太公望呂尚は東海(東シナ海)の畔に生まれたとしますが、出自が今一つはっきりしません。

姜姓のうち、呂氏は呂県(河南省南陽市)に住んだ一族だったようですが、

神農氏の血を引く姜姓であれば九黎の末裔、東海にいたならば九夷の出身、東方起源と考えられるでしょう。

一方、黄帝→周の姫姓は、漢民族のもう一方のルーツが西方起源に由来すると考えても良いでしょう。

註】何れにしても、現代漢民族の大多数には、東夷(縄文系種族)の遺伝子も大量に流入しています。

( ・`ω・´)💡

黄帝の子で、五帝に数えられることもある
少昊(しょうこう)は、姓は己。
氏は金天氏(鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏とも)。
名は摯(し、鷙、質)、または玄囂。

少昊とは太昊(伏羲)の徳行を継承したことによる号とされていますが、

黄帝と異なる姓氏の小昊は、太昊(つまり九黎)の子孫である方がしっくりします。
註】伏羲と女媧の姓は共に風。

小昊は、窮桑(きゅうそう、山東省曲阜市)で生まれ、東海の青陽に国をたて、のちに都を曲阜に置きました。

金官加羅国(狗邪韓国=韓半島にあり倭国に属していた)の初代王である
首露王は、小昊の子孫とされています。

鳳凰氏とも称する小昊は、鳥トーテム。

小昊も東夷と関係が深いようです。

( ・`ω・´)💡

さて、東夷の中に徐夷という部族がいました。

秦、趙の王族である贏姓趙氏の祖、伯益(大費)は、鳥獣の言葉を理解したと云います。

『史記』秦本紀では、帝顓頊の苗裔の女脩が“玄鳥”の卵を飲んで身ごもって大業を生みました。

大業の子が大費であり、贏姓趙氏は鳥トーテム、卵生神話を持っています。

大費の子で、やはり鳥トーテムの若木の子孫が徐夷(贏姓徐氏)になります。

贏姓趙氏も、もとは東夷の一族であったのでしょう。

徐夷族の末裔である徐福も、秦の始皇帝も、共に贏姓であり、
彼らには共通の、
東海の彼方にある神仙が住む不死の国、蓬莱の国という“祖先伝承”を持っていたのはないでしょうか( ・`ω・´)💡

!Σ( ̄□ ̄;)まさか、始皇帝と徐福が縄文人の子孫だったとは⁉️⁉️⁉️

(o´・∀・)o
始皇帝(実父は呂不韋との説もありますが)
は、秦の王家に伝わる、東方の不死の国という伝承だけを知っていて仙薬を求めたけれど、
(倭地に近い斉の人である)徐福は当時の倭国の状況を知っていて、最初から帰るつもりはなかったんだね❗

( ・`ω・´)💡
さて、周の時代、
かつて神農氏が都した陳に、東夷とされる帝舜(姓は媯)の末裔が封じられます。

その子孫の潁川陳氏には、現代でも帝舜からの系譜が残っているそうです。
4000年以上確実に続いている家門ということになります。

祖先の系譜を守り、家門を守っていくのは日本と中国の伝統であり、
子々孫々まで祭祀を絶やさず、公にはしないものの数千年前からの口承を伝えている家系が、日本と中国にはあります。

漢民族は、黄帝から始まり、
東夷族は、イザナギ・イザナミから始まっているのです。

『古事記』には、その事実を明らかにしようという明確な意図が感じられます。

( ・`ω・´)💡

媯姓陳氏からは、のちに斉の王統を呂氏から奪った田氏、
仲皇帝袁術、中華皇帝袁世凱(共に極短命王朝である)を排出した袁氏が分かれています。

(o´・∀・)o
斉の最後の王、田建は戦わずして始皇帝に降伏し、許されて共(河南省新郷市)に幽閉されたのだけど、
これが出雲の国譲りの元ネタという説もあるね❗

( ・`ω・´)💡
斉の王は、スサの王と読むという説もあります。

田氏にも蓬莱の伝承が伝えられていて、幽閉された大国主(田建)の子孫が日本へ渡ってタケミナカタと呼ばれたなんてストーリーを考えてみるのも面白いでしょう…

斉に太公望(呂尚)が赴任したとき、來族(子姓=殷と同姓)という部族がいて、のち呂氏に滅ぼされますが、
呂氏から斉を奪った田氏は、最後の呂氏君主康公に來の故地を封邑として与えました。

その來から東へ海を越えていくと、蓬莱に行きつくと思われていたようです。

また、徐福は田氏の斉に仕えていたと考えられています。

( ・`ω・´)💡

秦の始皇帝の時代になると、淮夷、泗夷などの東夷諸族は、秦の民戸として中央集権の国家体制に組み込まれ漢民族に同化していきます。

山東省、江蘇省の東夷は、次第に消えていきますが、倭人や越人は頻繁に交易に訪れていたようです。

彼ら(山東、江蘇の東夷)は、『諸夏』とも呼ばれ、夏王朝の遺民と認識されていました。

越王は、夏后の末裔と称し、春秋時代末期に江蘇省を中心に勢力を増し、越王勾践はBC473に呉を滅ぼして覇者となりますが、その後、越は衰退しBC306、楚に滅ぼされました。

呉の遺民の一部は、九州に渡り弥生文化の一翼を担ったのではないかと考えられています。

越人は、越南(ベトナム)などに拠点を移し南シナ海の海洋交易に活路を見出していきます。
一部は、日本の北陸地方、越(こし)にも渡って来たようです。

( ・`ω・´)💡
諸夏は、もともと大陸へ進出していた縄文人で、長江文明~夏王朝の流れを汲み、原日本語に近い言葉を話し、族長クラスはある程度漢字が使えて、祖先が日本列島から渡って来たという口承も残っていたと仮定すると、

秦の部民となり東夷諸族の伝統文化や風俗を失うことを善しとしない一部の人々は、日本列島から交易にやって来る倭人とコンタクトを取り、日本列島への帰還を望んだと思われます。

弥生時代から古墳時代にかけて、中国からそれなりに多数の移民が渡って来たのは間違いないのですが、
弥生人が中国語を話し日常的に漢字を用い、漢民族の文化が大々的に伝わった形跡はありません。

縄文人は弥生人を温かく受け入れ、文化は穏やかに融合していきます。

縄文と弥生…それは、全く異なる文化の衝突ではなく、
根底には同じ血の流れた、わりと遠くない文化の融合に見えるのです。

江蘇省、山東省の漁民でもない難民が、朝鮮半島南部まで逃げて行って、そこで立派な船を造って日本列島に渡り縄文人を蹴散らす…そんな教科書的なストーリーこそ荒唐無稽に見えてきます。

彼ら(帰還する諸夏)は、倭人の交易船に乗せられて倭国へ渡って来たのでしょう。

やがて移民事業は、倭人の重要な経済活動となり、縄文の緩やかなムラとムラのネットワークから、クニとクニが合従連衡し、覇権を争うようになっていったと思われます。

その中でも、女王を推戴するヤマト国連合が、西日本と韓半島に勢力を伸ばしていきます…

( ・`ω・´)💡
卑弥呼が女王となっていた中国の三国時代、

東シナ海沿岸部から東夷が消えていく代わりに、

中国東北部、朝鮮半島、日本列島に、同じく“東夷”と認識される民族と中国の交流が盛んになってきました。

三國志東夷伝には、

夫餘国,高句麗,東沃沮,北沃沮,粛慎氏(挹婁),濊,韓(三韓),倭人

が、東夷として列挙され、山東省、江蘇省に居住していた東夷は中国の視界から去っていました。

この、中国東北部の東夷諸族は、『契丹古伝』を持ち出すまでもなく、遼河文明~殷王朝の流れを汲む、長江系とは異なる東夷のグループ。

言語系統的には(諸説あるものの)、粛慎(ツングース、満州系)を除き夫余語族に含まれるという仮説があります。

アルタイ祖語が夫余語族(日本語系ともいえる)と、テュルク・モンゴル・ツングース系に分かれ、

夫余語族から最初に韓語が分かれ、のちに夫余・高句麗・日本語日本分かれたとするもの。

(o´・∀・)o
アルタイ祖語を話すグループは、倭鮮満蒙突…つまり日本海を取り囲む地域で、一つの文化圏を形成していた時代がありそうだね❗

( ・`ω・´)💡
後期旧石器時代から縄文時代草創期にかけて、
バイカル湖周辺と北海道の文化圏と、
日本海を挟み沿海州と本州島の文化圏が、
それぞれ交流しながら存在していたのは、石器の伝播や交易ネットワークの存在から、間違いなさそうだよ❗

(o´・∀・)o
トルコ人やキルギス人(共に突厥【テュルク】系)が、日本人と同祖だと云うのも、縄文時代の繋がりなんだね‼️

( ・`ω・´)💡
さて、太朝臣安萬呂公は、縄文人が華夏(中華)文明を作った(日本文明が華夏文明に先行していた)と確信して、古事記を書いたのだけれど、

ことの経緯はいっさい明らかにしなかったのです。

この為、後世になって、縄文時代の歴史を掘り起こした『ホツマツタヱ』や『上記』が編まれるのですが、

太朝臣安萬呂が収集していたけど書かなかった(書けなかった)資料の内容には、彼に天地始まる前の様子を確信を持って書かせた決め手となる情報が多数あったのだと思います❗

( ・`ω・´)💡
それでは、
古事記に託された意図が見えてきたところで、今回の本題である、
天武天皇の輝かしい偉業を絶賛する文章の解説に入ります❗

(。・´д`・。)
今から本題かよ⁉️
次回にしろよ❗

( ・∇・)つづく

⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️(o´・∀・)o
天竜茶、春野の茶を育む産地、天竜川とその水脈に連なる山々…悠久の歴史❗

縄文の…、というより、天竜川~八ヶ岳~富士が、いかに自然環境豊かで農耕にも適し、過去から未来まで永続的に人が暮らせる場所として適しているか?

そして、歴史の真実を知ることが目的ではなく、老子が理想とした上古代の文明国家の在り方

=ムラとムラが広範囲にネットワークを形成し、必要以上に追い求めず、高い精神文化を伴って、争うことなく繰らした縄文時代中期の社会❗

それを、一人でも多くの人に知って頂きたい、そしてもう一度、未来に豊かに暮らせるネットワークを残していきたい❗と思っています‼️

https://ameblo.jp/starless43/entry-12561589486.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12562251384.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12561817866.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12534911239.html?frm=theme

https://ameblo.jp/starless43/entry-12548504378.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12560512243.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12560113151.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12554490138.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12559143321.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12557249208.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12556264485.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12555636961.html

https://ameblo.jp/starless43/entry-12546401943.html

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陰謀論の正体。②テュルクの黙示録https://ameblo.jp/starless43/entry-12537567163.html

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