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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2012年4月29日、富山遠征第一日目。この日のネタで記事にしているのは、新蔵原トンネル医王トンネル麻生谷橋新山の神トンネルその旧道と山の神隧道楢尾トンネル栃折隧道

 

今回と次回二回に分けてご紹介するのは、その道中のどこかで紛れ込んだところで、結果非常にグレーな物件…というかエリアであったわけだが、その時にはそんな意識は毛頭なく…いや、毛頭とまでは言えないか(笑)。

 

 

とりあえず、そこは2022年夏現在もグレーな、つうかアウトな場所であり続けており、当面はその状態が続きそうなので、地図なし、具体名なし、ハッシュタグなし、コメント少なめで記事にする。まあ正直、その気になればすぐにわかると思うけど、10年前の記録として残しておこう。

 

 

 

まずはこれ。

皆様はこの状況をどう解釈されるだろうか。わたくしは自分に都合の良いように解釈し、その結果が今記事なわけだ(笑)。

 

 

 

 

 

 

ここへは、普通に県別マップルに掲載されているある隧道を目指して入り込んだのだったが、災害か何かで地形が変わったのか、どうも道がわからず、

 

 

 

 

 

代わりに

別の穴、発見。

 

 

 

 

 

これ見たら、やっぱり…ねえ。

登れるかな?

 

 

 

 

登れちゃった。

 

 

 

 

 

ちゃんと銘板も設置済みで、

 

完工してたような。

 

背後の穴がもちろん気になったが、まずはこの橋を渡ってみた。

 

 

 

 

 

橋上からの見下ろしで

自分がけっこうヤバイところに来てしまっているのは感じた(笑)。

 

けど、入口はあのとおりフルオープンだったし、ここに至るまでに人っ子一人、工事車両一台、そしていかなるゲートも見かけなかったし。

これは間違いなくゴールデンウィークの休工日、そして入って問題ないからフルオープンだったんでしょ?というのがわたくしの解釈、今はこの機会を楽しんじゃいなよキミぃ~(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、それでは…

あちらに~。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

今回は、少々禁断なネタ?なのかな~と。

 

 

よって地図なし。期待もなしでお願いします(笑)。

 

 

 

 

【前篇】に続く。

 

 

2017年3月5日、発作的に敢行した「丸山ダムとともに去りぬ」ツーヤオ(八百津・笑)弾丸ツアー。

このツアーは、一部を残してほぼ記事にしている。前説湯谷橋旅足橋湯谷橋から東進米澤橋二股隧道宮ヶ谷橋宮ヶ谷橋から東進五月橋柏木橋柏木隧道リベンジ篇再びの旅足橋、帰路での吐月橋今宵ご紹介するのはこれまた帰路での寄り道物件。

 

 

 

まずはこれ。

岐阜県道63号美濃加茂和良線の、こんなトンネル。

 

 

 

 

 

お名前は、

宝泉坊トンネル。

 

まあ、実にどうってことない現代的トンネルなのだが、今宵のお題はこれではなくって。

 

 

 

 

 

引いて見ますとね、

こんなんなっているのだ。

 

 

 

 

 

打ち棄てられた旧道!

現道との「絶妙な断絶感」が実にいい。こういう感じ、ありそうで案外ない。

 

 

 

 

 

これを辿って進んでいく。

左へ左へとカーブし…

 

 

 

 

 

その奥に…

いらっしゃいました。

 

 

 

 

 

旧隧道。

ピッシャーンと閉じられているけれど。現在地こちら

 

 

 

 

 

もちろん、「ある」ことはわかって来たのだが。

お名前はやはり同じ…だが「宝」が旧字で表記された「寶泉坊隧道」。

 

簡素なコンクリートポータル…に見えたが、このピッシャーンな閉じられ方、観察の意欲さえも殺がれた(笑)。

 

 

「平成16年度道路施設現況調査/国土交通省」によると、昭和43年建造、延長111m、幅員6.2m、有効高3.8mとのこと。

 

 

 

 

 

坑口前からの振り返り。

こんだけピッシャーンと(言いたいだけ)閉じられていたら、できることはなにもない。さっさと撤収~。

 

 

 

 

 

つうわけでここは、

この旧道のたたずまいを愛でるのが正解、な物件だった。

 

 

 

 

 

この感じとか、

地味にいい~。

 

 

 

 

この隧道、2004年秋にその役目を終えたようだ。その現役末期~廃化直後の姿を記録されているのが、「うさ★ネコサンド」さん。ここにリンクを貼らせていただく。

 

 

今となっては非常に貴重な記録であり、ぜひご覧いただきたい。こういうのはこの趣味をやってる意義・醍醐味(のひとつ)ですなあ。

 

 

 

余談ながら、付近には「法仙坊ゴルフ倶楽部」なるゴルフ場があり、漢字が違う。どっちが間違いとかでなく、どっちもあるパターンか?

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

今回は、「ザ・京都」的な街並みの一画で生き永らえている、「ザ・京都」的な住所の看板をご紹介。

 

 

 

どうでしょう。

これぞ多くの人がイメージする京都的な要素を含んでいると思うのだが…そうでもない?

 

そして今回も簡単。もう見つけましたよね。

 

 

 

 

 

はい、これ。

「みやがわすじどおりえびすずしさがるみやがわすじよんちょうめ」。うーむ、まさに「ザ・京都」(笑)。

 

最下部に書かれていたはずのスポンサーはもはや薄れすぎて判読完全不可。だいぶ古いものだと思うが、最上部には東山区と書かれているので、最古で昭和4年モノということに(何度か書いてるが、下京区から分区して東山区が誕生したのがこの年)なるが、そこまでは遡らないかな。でも戦前モノの可能性は高そうだ。

 

 

 

 

 

 

以上~。

 

 

 

 

2019年9月16日訪問物件群の月イチ連載記事。…って書いとかないと忘れ去られてると思うので(笑)。月見橋遊覧橋笠屋橋神日橋より続く。

 

 

次なる橋…。

しかし判で押したように、同じ橋が続く。当日の現場ではテンションを維持していたが、記事にしてみるとダレてきたなあ(笑)。

 

いやいや、やりかけたものは最後までやるぞ。たとえ「いいね!」が少なくても(爆)。

 

 

 

 

 

つうわけで場所はこちら

この感じも、どれも同じね(笑)。

 

 

 

 

 

今度のお名前は

「しんほうはし」。どんな字を書くんだ?

 

 

 

 

 

上流方向。

木こそ邪魔だが、依然としてここまでの四橋すべてが視認できる距離しかない。

 

 

 

 

 

鳴尾新川筋が開削され、

そこに意匠の統一された橋たちが一斉に架けられた。そのこと自体は興味深い事象のように思う。

 

 

 

 

 

すべては、

「昭和八年架設」。

 

 

 

 

 

そしてお名前の漢字は

「進寶橋」。

 

 

改めて記事タイトルを見直していただきたい。「鳴尾新川筋の風雅な橋たち」。

 

「風雅」という言葉は、なにもこの統一された洒脱な意匠のことだけではなく、橋たちの名づけそのものに色濃く感じてつけたもの。「笠屋」はともかく「月見」「遊覧」「神日」ときて「進寶」とは、これどういうメッセージが込められてるんだろうか。

 

以前「遊覧橋」の記事で書いた…というかパクらせていただいた鳴尾百花園~武庫川遊園との絡みが想像されるが、このあたり、今でいう高級分譲地みたいな位置づけだったんだろうか?

 

 

 

 

 

そんなことを考えながら(むろん現場ではまだ鳴尾百花園のことは知らなかったが)、

続々現れる橋たちを愛でていった。

 

 

 

 

もちろんまだ続くよ(笑)。