やってきた、R418の水没予定区間。まずは湯谷橋を堪能したあと、
いよいよ、本来は真っ先に訪ねるはずだった憧れの物件へと向かう。そして、ここに宣言しておく。
今回の物件は、相当にガッツリとお送りするつもり。史上もっとも執拗にこのブツをこねくりまわした記事にする気マンマンでございます(爆)。
さあ、湯谷橋から、R418を八百津方面に辿りはじめる。
いや、しかし、見事な「道」だね~。
この道って、丸山ダムの完成に合わせて昭和20年代末ごろに拓かれたもののはずだが、この見事な石積みを見ると、もっと古くから存在したかのように見えるな~。
走ること3分。
このように苔むした欄干めいた構造物が登場。
思わずストップ…と同時に、その先にある「アレ」に気づき、心拍数が上がる。ここから見ただけで、その先にあるはずの巨大なものが想像できた。
はやる気持ちを抑え、まずは目前のブツをチェック。
かつては桟橋だったと思われるが、今ではコンクリートで埋められていた。
さすがにコレを取り上げた先人はおらんだろう…。なぜなら、この場でこんなもんに気を取られているわけにはいかんのだから(笑)。
そう、先ほどチラ見えしていたのは、
紛れもないメインケーブル。意外と小ぶりなアンカーレイジに騙されてはならない。
あー、遂にキタよ…。
ここを目指して夜を徹して走り続け、辿りついた。時刻は6時38分。
さあ、ご紹介しよう。
これこそが、ワールドフェイマスな「旅足(たびそこ)橋」なるぞ!
ただの吊り橋?ノンノン!
これでも、ただの吊り橋だと言うのかえ?
こんな橋見たことない?無論そうだ。
世界中を見渡してもわずか5例しかないという、
「鋼下路単純補剛トラス式吊り橋」
米国の構造エンジニアであるデイヴィッド・バーナード・スタインマン(1886-1960)によって考案されたこの型式、
当然ながら我が国では唯一、この旅足橋だけなのだから。
詳しくは改めて述べるとして、とりあえず今は、ゴタクはいらんかな、と。今回残りはコメント最小限、写真メインでお送りします。
遠く望む、丸山ダム。
一蓮托生、ともに役目を終えることになるのは、いつなのか…。
トラスに付いていた銘板。
「昭和29年(1954)岐阜縣建造」。そして製作は「株式會社横河橋梁製作所」。
この珍しい橋を架けた同社は、「株式会社横河ブリッジ」として現在も盛業中である。
さて…
まだまだ続くよ(笑)。
【2】に続く。