【二股隧道3】より続く。
やる気スイッチ、再びON!
隧道東にある、この
岩門のごとき掘割を抜け、第三のターゲットである「アレ」を目指す。
こっから道路状況は、さらに
ワンランク悪化。ノートさんでの進軍に不安が募る。
「アレ」はまだまだ先なんやけどなぁ…。
そして、進むこと数分…
なんだか素敵な橋、出た~。
コレは好みだわ~。さっそくにノートさんを停め、
正対。
うぅむ、間違いない。
好きだ。橋も、そのロケーションも。
向かって右の親柱で、お名前判明。
「宮ヶ谷橋」。
そして、左の親柱。
「昭和二十八年三月三十一日竣功」。
二股隧道の手前にあった米澤橋と、全く同じ内容だった。ということは…この2橋の間にある二股隧道に昭和三十一年という銘板があったのが、やはり解せない。やはりデータにある昭和29年ってのが正解なのか…。
それにしてもこの橋の
このロケーションときたら。
これ、もしかしたら昭和中頃には全国で見られた、「国道/縣道の橋」の光景そのものなのかも。この橋もあまり取り上げられているのを見たことないが、個人的にはトータルポイント非常に高し。
ところで、上の写真でわたくしが立っていた場所を
橋上から見ると、こう。
あれに見える石積みは、まぎれもない旧橋の橋台。
谷にまっすぐ突っ込んで、渡った先で右ターン、という線形だったようだ。それにしても、なんと立派な橋台。どんな橋が架かっていたのか気になる…。
対して現道は(…いや、現道じゃないか…)
右ターンして渡河、渡ってからの右カーブはゆるい。
まあ、どうでもいいけど、
こっちもまた最高ですなあ、しかし!
立派な橋と、岩盤むき出しの側壁が荒々しい「往古の道」の様相。コレらが一緒に味わえるところは、なかなか少ないと思う。
渡って、正対。
まさに、個人的どストライク。
右の親柱には「宮ヶ谷澤」、左のそれには「みやがたにはし」の銘板があった。
親柱の欠損もなく、完璧。
満点だ。わたくしの好み的に、非の打ちどころがない。
堪能した。
あー…さて…
「アレ」はまだまだ先だが、
この先果たして…
道路状況は如何に?
【次回】に続く。