【月見橋】より続く。忘れずに書いたぜ、月イチ連載まずは2回目(笑)。
月見橋から南へ、ほんの数十m。
鳴尾新川筋の次なる橋はこちら。
北側(上の写真向かって左)の親柱にはお誕生日。
「昭和八年架設」。
実はこれ、月見橋とまったく同じ。かつ、銘板そのものの字体なども含め、同一の型から制作されたものと思われる。
何を隠そう、これ以降も紹介していく鳴尾新川筋に連なる橋たち、おしなべてこの「昭和八年架設」銘板を備えていたのだった。これはこの橋たちが、一括で整備されたことの状況証拠…じゃないかと。その数実に…いや今は書かずにおこう。
この橋たちを一気に紹介せずに月イチ連載(予定)としたのはこのため…だけでもない。デザイン的にもほぼ同一のもの多数で、続けるとすっかり飽き飽き(書く方も読む方も)すること間違いなしだったのでね。
そんな中でこの橋(とあといくつか)は、高欄のデザインがちょっと違っていたという意味で、特筆すべき存在だった。
月見橋の高欄が
こうだったのに対し、ここのはこの感じ。
親柱と束柱はほぼ同一だが、欄干の金属部分の意匠が明らかに違う。
もちろん、ここはデザインが違うな、とかいうのはすべて廻って後に写真を見返して気づいたことなんだけども。
そしてこの橋のお名前は、
「ゆうらんはし」。
すぐに脳内では「遊覧橋」という漢字変換をはじき出したが、
それはアタリだった。
一見して、特に変哲のない橋。
しかしこの名称は、この近辺にかつてなにかあったんじゃないか?と感じた。
とても、単なる市街地の橋につけられる名称ではないし、
ある規格に則ったこの高欄デザインがこの後も続いたことを考え合わせると、何らかの施設と一体での市街地整備が行われた可能性が高いな、と。
…てな感じで、帰って調べてみたら、かつてこの橋の東側~武庫川までのあたりに、「鳴尾百花園」なる施設?公園?が存在していたことを知った。前回の「月見」、そして今回の「遊覧」と、風雅な名称の由来はこの鳴尾百花園にあったものと思われる…
みたいな感じで〆ようと思っていたら。
ちょうど地元のゲバゲバさんが、先日まさにその鳴尾百花園を掘り下げた記事を書かれた。あまりにドンピシャなので、わたくしこれ以上書くことを放棄し(笑)、全力で乗っからせていただこうと、転載の許可もいただいたので、ここにリンクを貼らせていただく。これらをぜひご覧ください。
前篇
中編
後編
加えて、実際の連載は以下の二編から始まっているので、ぜひこちらも!
鳴尾百花園は昭和六年に阪神電鉄に買収されて武庫川遊園に変わっていた、なんて話も全く知らなかった。つまり、橋たちが整備された昭和八年には、すでに鳴尾百花園ではなく武庫川遊園に変わっていたわけで、もしかしたら橋を含めた街路整備も阪神電鉄主導で行われたのかも…なんて。
改めてゲバゲバさん、ありがとうございました。予告通り思いっきり乗っからせていただきました。
「月見」「遊覧」ときて、この先の橋たちもどこか風雅な名前の橋が登場する。果たしてこの連載がいくつまで続くか。では、また来月に続きを(笑)。