今日は、唐津線と筑肥線のもうひとつの分岐駅、山本駅です。
構内は2面3線、同じ唐津市内でも福岡空港とを結ぶ区間と違って、黄色い単行DCが行き交うローカル線区間です。
列車が去った後は、静けさが漂います。
奥が唐津方面。
かつての筑肥線は構内奥を左にカーブして東唐津に向かっていました。
手前側は現在でも分岐があるのですが、その分岐は唐津線の次駅、本牟田部駅よりまだ先まで単線並列となっていて、その先で別れるため、山本駅構内だけを見ると単に複線区間の中間駅に見えます。
グーグルマップを見てみると・・・
渡河する手前で築堤跡は途切れ,鉄橋は撤去,その先は農地に戻ってしまっています。
地図にはありませんが,さらにその先は完全に道路化されていて唐津市東部を南北に結ぶ幹線道路となっています。
では駅内を見てみましょう。
木造駅舎が残っていますが無人駅となっています。
窓口上部には駅の歴史を書いた掲示板や手作りの構内案内図があります。
待合スペースです。
地元の子供たちが描いた山本駅の未来図がありますが,なぜか木造駅舎は残っているのがうれしいです。
窓枠は古い木製のままです。
財産票です。
駅が開業したのは明治31年ですから,開業して20年も経たないうちに改築したってことでしょうか?
大正元年に改築したのは,なにか意味があるのかもしれませんよ。
駅前に出てみます。
駅前は,唐津市と佐賀市を結ぶ国道がへいそうしていて賑やかです。
山本の中心地は,駅前から奥になります。
では駅舎です。
雨樋がゆがんで屋根自体も変形して見えちゃう廃屋のような駅舎が残っています。
かつては,唐津線と筑肥線の唯一の接続駅としてにぎわったのかもしれませんが,現在では,ここで乗換をするお客さんの姿は見ることはできませんでした。
さて,構内に戻って唐津線久保田方面・筑肥線伊万里方面を見ると・・・
奥が単線並列なのは,ともかく,貨物設備の跡なのか,もう一つのホームを見ることができます。
駅で取り扱う貨物の施設にしては,少なくとも2線分は確保されていて,とても広く感じます。
ここで,山本駅の1970年代の写真を見ていただきましょう。
スマホで,絵を描いたのでフリーハンドなのは許してくださいね。
廃線となった筑肥線の鉄橋もしっかり写っています。
もちろん,この時点では,まだ現役で,山本駅が,両線の唯一の接続駅でした。
よく写真を見ると,廃線跡のような線形の道路が見えます。
お~,地図を見るとこの発見が楽しいんですよねえ。
これ,唐津線の岸嶽支線の跡だと思われます。
もう少し古い写真で1960年代を見てみましょう。
たしかに鉄道路線があります。
山本駅の貨物施設のあった場所も,予想どおりたくさんの留置線があります。
ただ,この写真,オウチでパソコンで確認したら,メチャ解像度が低くて分かりにくいです。
そこでさらに国土地理院の地図を使い,それもさらに遡って1940年代の廃線跡部分を拡大してみます。
パソコンで編集したので,ちょっと描画がきれいになったでしょ?
岸嶽支線の線路がくっきり写っています。
それも,山本駅から分岐部分まで,単独路線で敷かれていたことが分かります。
つまり,山本駅周辺は現在の単線並列どころか,単線3線並列の区間だったと思われます。
今の山本駅からは想像できないほど,駅は賑わっていたのでしょう。
もしかしたら,貨物施設部分の切り欠きホームの一部は岸岳支線の0番ホームだったかもしれませんね。
なんだか想像するだけで楽しくなります。
この岸嶽支線,開業・そして旅客営業開始が明治45年~大正2年です。
そうすると・・・そっか!山本駅の駅舎が大正元年の建築なのは,この岸嶽支線の開業が絡んでいるのではないでしょうか?
唐津線には,現在では想像できませんが,他の北部九州の鉄道と同じで石炭搬出のためにたくさんの支線がありました。
岸嶽支線もそのうちの一つで,かつ,北波多村(現在は唐津市)と唐津市を結ぶ旅客営業もしていたのですから,利用率が高かった路線だったのでしょう。
その路線の開業に合わせて,駅舎を広く改築したのではないかと想像します。
そんな岸嶽支線の痕跡も探してみたくなりました。
まず,上の航空写真に撮影方向と記入した部分の写真です。
残念ながら,このときの探索はここで断念です。
筑肥線の東唐津からの片乗り入れが1本あったようです,唐津線の支線でありながら,唐津線本線とは乗り入れがなかたようです。
北波多村からの通勤路線としても利用されていたことも分かります。
ちょっと駅紹介から離れてしまいましたね,山本駅に申し訳なかったです。
最後に,平成15年に撮影した山本駅を紹介しておきましょうね。
駅舎です,あまり再訪問のときと変わらないのはうれしいです。
駅看板。
駅名標は,文字が消された跡が・・・方向からすると,この部分には,「くり」の文字があったのだと思います。
廃止された筑肥線の部分ですね。
そして,その筑肥線の築堤跡。
建物を回り込むようにカーブしているのがお分かりいただけるでしょうか?
奥が旧東唐津方面です。
では、次の駅でお逢いしましょう
(平成15年3月訪問)
(平成29年5月訪問)
佐賀の駅をぐるり
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