小学校時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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「たった1人でいいから誰かに愛されたい」
という渇望を抱えていた私でしたが、
本当は自分のいう"誰か"が、
誰でも良い訳ではないことに、
気付いていました。
私は自分が小学校に上がる前の、
本当に自分を可愛がってくれて、
もう一度、
愛してもらいたかったのでした。
けれど、
と言う母に、
もうそのような期待を持つことは、
出来ませんでした。
私は自分の求めるお母さんは、
どのような存在だろうと考えました。
自分のことを否定せず、
受け入れてくれる安心出来る存在。
それが、私が求める理想のお母さん像でした。
そのような存在がどこにいるだろうかと、
一生懸命に考えてみました。
けれど、ASD(自閉症スペクトラム障害)の特性から、
小学校から問題児として扱われ、
担任の先生から無視される子供だった私に、
そんな存在は思い当たりませんでした。
それでも、きっと、
私の心は限界に達していたのだと思います。
幼い頃、誰も話す相手がいなくて、
に話しかけていたように、
私は人ではなくモノにまで、
母親の代わりになるものを求めました。
私は何と一緒にいたら、
安心していられるだろうか?
何かあったらすぐ家を出ていけるように、
愛着を持つようなモノを、
持たないようにしていた私にとって、
一緒にいたら安心出来る、
ライナスの毛布のようなものはありませんでした。
けれど、ただ単純に。
私は1人で、
自分の部屋で眠る時だけは、
ホッとして安心することが出来ました。
布団の中にいる時だけが、
私が生活している中で、
唯一心が休まる時でした。
そのため、私は自分のお母さんを、
"布団"に設定することに決めました。
布団の中の暖かさを、
お母さんが抱きしめてくれた手の、
温もりの中の暖かさだと、
頭の中でイメージしながら、
私は布団の中に潜りこんで、
「お母さん、あのね、、、」
と、
その日あった色んなことを、
布団の中で話すようになりました。
お母さんに見立てた布団は優しくて、
私はいっぱいお喋りしました。
その時の私の心は、
まるでマッチ売りの少女が、
幻影のおばあちゃんに会えた時のように、
幸せな気持ちに包まれていました。
でも、この幸せな気持ちは、
長くは続きませんでした。
布団の中で、
どんなに優しいお母さんをイメージしても、
現実の私の目の前には、
「お前はいずれ出て行く人間」
というお母さんがいて、
私はお母さんのこの言葉から刷り込まれた、
自分はこの家族に間借りしている人間だという気持ちを、
消すことは出来ませんでした。
私は自分が誰とも繋がっていない、
根無し草のような存在であることに、
とても心細さを感じていました。
この心細さは、
布団をお母さんに見立てて、
自分の心を慰めているだけでは、
解消することは出来ませんでした。
早く出ていく場所を見つけるしかないんだ。
お母さんから"出ていく人間"と言われることが、
悲しいと感じるのなら、
言われないように早くこの家を出て行こう。
元々、出て行こうと思っていた家なのだから。
私は優しく幸せな想像の世界を出て、
現実の居場所を探すことにしたのでした。
マルトリートメントと私45.生きていた私に続きます。