マルトリートメントと私21.父親を迎えにいく小学生 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

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25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

マルトリートメントと私1.私の1番古い記憶

をご覧ください。

 

幼少期のまでの記事はこちら。

マルトリートメントと私.幼少期編

小学校時代の記事はこちら。

マルトリートメントと私15.小学校の入学用意

マルトリートメントと私16.小学校入学

マルトリートメントと私17.裏切られた期待

マルトリートメントと私18.伝わらない辛さ

マルトリートメントと私19..給食で受けた注意

マルトリートメントと私20.貯まらないお金

 

※自分の記憶に基づいて書いているため、

事実と違っている可能性があります。

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田舎の建築会社で働いていた父の、

収入は決して多いものではありませんでした。

 

けれど、

幼い娘の食事を取り上げることが出来る程度には、

自分の欲望に忠実だった父は、

お金が家にあまり無いからと言って、

何かを我慢する人ではありませんでした。

 

父は食べることと呑むことが大好きだったため、

生活費が足りないと母から言われていて、

子供達のご飯まで、

切り詰めなければならない状態だったとしても、

手元にお金が無かったらお店にツケて、

自分一人だけ外食して、酒を呑むような人でした。

 

そして、父がそのような行動をとった時には、

大抵騒いだり、酔いつぶれたりしていたため、

父の行動に迷惑したお店から、

 

「迎えに来てほしい」

 

と、電話がかかってくることも度々ありました。

 

そのような電話がかかってくる時間帯は、

多分夕方6時から7時位だったかと思うのですが、

いつも母が忙しい時間帯だったため、

兄と私が父を迎えに行っていました。

 

田舎とはいいながらも、

私が住んでいた場所は駅の近くだったため、

さびれてはいるけれども、

子供の足でも5分程度の場所に食堂があり、

父はよくそこで飲食していたため、

子供でも迎えにいくことが出来たのでした。

 

そこの食堂は私達家族と同じ自治会に入っていて、

私と兄のことを知っていた為、

私達が食堂の入口を入っていくと、

 

「子供達が迎えにきたよ」

 

と、酔っぱらって何かを大声で喋っている父に対して、

声をかけてくれました。

 

私と兄はとても恥ずかしい思いをしながら、

食堂を経営しているご夫婦に

 

「すみません」

 

と言って頭を下げると、

 

「お父さん、帰ろう」

 

と、ベロベロに酔っぱらっている父を促し、

兄がその手を引き、

私が横に付き添って支えながら、

まさに千鳥足の父を家に連れて帰りました。

 

その時の私は、

その年代にしてはかなり大柄な父の、

腰位の身長しかありませんでした。

 

苦労して家に父を連れ帰っても、

当然のことながら母の機嫌はとても悪く、

飲んだくれた父がそのまま寝なかった場合、

文句を言った母に父が怒り出し、

両親の諍いが始まるのが常でした。

 

そんな時、

私は居間の隅で息を潜めてじっと様子を伺い、

兄は関わらない方がよいとばかりに、

寝る部屋にいってしまっていました。

 

それでもまだ、

父が家にすんなり帰ってくれる時はマシでした。

 

一回は酔っぱらった父が、

 

「道路の真ん中に大の字になって寝ている」

 

と電話で近所の方から家に連絡があり、

慌てて兄と2人で迎えにいきましたが、

酔っぱらった大柄な筋肉質の大人の男の人を、

小学校低学年の男女2人で抱え上げることも出来ず、

ただひたすら父に声をかけて、

自分で起き上がってもらうしかありませんでした。

 

田舎で、それも夜の出来事だったため、

その出来事の間、

車が通ったのは1台だけだったのですが、

見通しのよい直線の道路で父が寝ていたことと、

私と兄が周囲をちょろちょろと動いていたために、

その車は父が道路で寝ているのに気付いてくれて、

対向車のいなかった反対の車線を、

通り過ぎていってくれました。

 

この出来事も十分大変だったのですが、

更に大変だったのは、

酔っぱらった父が機嫌が悪く暴れた時でした。

 

もう閉店だという食堂から、

なんとか父を連れ出したものの、

父は家に帰ろうとはしてくれませんでした。

 

その時は夜もかなり遅く、

駅の周囲にポツポツとあったお店は、

全て閉店していました。

 

田舎の無人駅の電車など、

夜の7時前には終電になっており、

人通りが全くなく、お店の明かりも街灯もない、

父と私と兄の3人しかいない、

暗い夜の駅前で、

父は仕事で何か嫌な出来事でもあったのか、

色んなものに大声で悪態をついていました。

 

私はその声があまりにも大きいので、

周囲の寝静まっているお家の人達が、

起き出してきて苦情を言われるのではないかと、

冷や冷やしていたのですが、

父はそんなことは意に介さず、

さらに迷惑なものをポケットから取り出しました。

 

それは、、、爆竹、でした。

 

父は歯をむき出しにした、

性悪な笑いを浮かべて爆竹に火を点けると、

その場に放って音を響かせました。

 

「パン、パパン!」

 

と、田舎の物音ひとつしなかった夜の闇の中に、

盛大な破裂音が響きわたりました。

 

その音を聞いて、

父はとても楽しそうに笑いましたが、

私は近所の人達に怒られるんじゃないかと怖くて、

泣きそうな気持ちになっていました。

 

父はただ爆竹を鳴らすのに飽きると、

側溝のふたの間にある溝に、

爆竹を投げ込みました。

 

「ボン!!」

 

とくぐもった音がして、父はまた笑いました。

 

私は爆竹で側溝のふたが壊れるんじゃないかと思い、

そして、そんなことになったら、

お巡りさんに捕まるんじゃないかと思って、

とても怖かったり、

人に迷惑をかける行為を楽しんでいる父の姿を、

みているのがとても嫌だったのですが、

でも父の行動を止めることが出来ずに、

ただひたすら、

父が止めてくれるのを祈るしかありませんでした。

 

幸いにして、

近所の方は誰も起き出してはこず、

側溝のふたも壊れることは無かったのですが、

今にして思えば、

食堂のご夫婦はあの爆音を聞いていた上で、

様子を見に出てくることを、

しなかったのかもしれません。

 

そう思うのは、

あの近所に住んでいる人達の中で、

そんな迷惑な行為を行うのは、

私の父くらいであり、

私の家は決して、

ご近所の方が関わりたい家ではなかったから、でした。

 

 マルトリートメントと私22.問題児認定に続きます。