マルトリートメントと私1.私の一番古い記憶 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

今回参加した大学のスクーリングで、

そんな私も子供の頃、虐待を受けていた当事者です。

ただ、大人になった今、
もちろん絶対に許せないことをしたけれど、
酷いだけではなかった父がいたことも、
一生懸命私を育てようとしてくれた、
母の思いも分かるから、
親の全てが悪かったように感じてしまう、
"虐待"という言葉はあえて使わずに、

「マルトリートメント」

という言葉を使わせていただきたいと思います。

意味は、不適切なかかわり。
特に、大人の子供に対する不適切な養育や関わり方をいい、
身体的・性的・心理的虐待とネグレクトを包括的に指す。
[補説]厚生労働省が示す児童虐待の定義に相当する。


大人になって生き辛さの原因を探し、
自分がASD(自閉症スペクトラム障害)、
アスペルガー症候群に該当する人間だという答えに辿り着いた私ですが、
子供の頃のマルトリートメントの体験が、
自分の脳や心の発達に、
どのように関係しているのか、
解き明かしてみたいと思い、
これから折を見て少しずつ、
自分の過去を振り返ってみようと思います。

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私の1番古い記憶。

それは、とても飛び抜けて古いものが、
1個だけあります。

多分、その時の私は、
自分で立つことも、
言葉を話すことも出来ないくらいの、
小さな、おそらくは赤ちゃんで。

私は立っているお母さんに、
抱っこされていて、
でも、私は下に降りたくて、
お母さんの腕から外に出ようとしたら、

「あら、あら♡」

みたいな感じでお母さんが、
私が落っこちないように、
余計にギュッと腕に力を入れて、
私を抱っこし直して。

私がお母さんの腕から出たくて、
もがけばもがくほど、
自分の思い通りにならない、
そんなジレンマを抱えた記憶。

そのもがいた時の、
自分の思い通りにならない感情だけを、
やたらとハッキリ覚えていて。

あまりに小さい時の出来事だから、
夢かなぁ、って思うこともあったんだけど、
アルバムに、海水浴の写真があって、
私の記憶にある母の服装と、
私が降り立ってみたかった地面の感じ(濡れた砂浜)が同じで、
母にその時のことを聞いたら、
私の記憶と一致していて、

「あの記憶は、やっぱり本当の事だったんだなぁ」

って分かりました。

その時の私は、
子供らしい全能感を持った、
全く赤ちゃんらしい赤ちゃんで、
嫌なこと(ここでは地面に降りられなかったこと)があったら、
言葉が話せない分、ちゃんと泣いて、
「嫌だぁ〜」って素直に表現出来る子供でした。

そして、この時のお母さんは、
私がお母さんの抱っこの腕から落っこちて、
ケガなんかしないように、
暴れる私を一生懸命になだめてあやして、
声がけして可愛がってくれるお母さんでした。

私の一番古いこの記憶は、
思い出すたびにお母さんの愛情を感じられて、
涙が出てくるほどに幸せな記憶。

この時の私は多分、
とても幸せな赤ちゃんだったと思います。