今回参加した大学のスクーリングで、
被虐待児と発達障害の関係を学んだ私。
そんな私も子供の頃、虐待を受けていた当事者です。
ただ、大人になった今、
もちろん絶対に許せないことをしたけれど、
酷いだけではなかった父がいたことも、
一生懸命私を育てようとしてくれた、
母の思いも分かるから、
親の全てが悪かったように感じてしまう、
"虐待"という言葉はあえて使わずに、
「マルトリートメント」
という言葉を使わせていただきたいと思います。
意味は、不適切なかかわり。
特に、大人の子供に対する不適切な養育や関わり方をいい、
身体的・性的・心理的虐待とネグレクトを包括的に指す。
[補説]厚生労働省が示す児童虐待の定義に相当する。
[補説]厚生労働省が示す児童虐待の定義に相当する。
大人になって生き辛さの原因を探し、
自分がASD(自閉症スペクトラム障害)、
アスペルガー症候群に該当する人間だという答えに辿り着いた私ですが、
子供の頃のマルトリートメントの体験が、
自分の脳や心の発達に、
どのように関係しているのか、
解き明かしてみたいと思い、
これから折を見て少しずつ、
自分の過去を振り返ってみようと思います。
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それは、とても飛び抜けて古いものが、
1個だけあります。
多分、その時の私は、
自分で立つことも、
言葉を話すことも出来ないくらいの、
小さな、おそらくは赤ちゃんで。
私は立っているお母さんに、
抱っこされていて、
でも、私は下に降りたくて、
お母さんの腕から外に出ようとしたら、
「あら、あら♡」
みたいな感じでお母さんが、
私が落っこちないように、
余計にギュッと腕に力を入れて、
私を抱っこし直して。
私がお母さんの腕から出たくて、
もがけばもがくほど、
自分の思い通りにならない、
そんなジレンマを抱えた記憶。
そのもがいた時の、
自分の思い通りにならない感情だけを、
やたらとハッキリ覚えていて。
あまりに小さい時の出来事だから、
夢かなぁ、って思うこともあったんだけど、
アルバムに、海水浴の写真があって、
私の記憶にある母の服装と、
私が降り立ってみたかった地面の感じ(濡れた砂浜)が同じで、
母にその時のことを聞いたら、
私の記憶と一致していて、
「あの記憶は、やっぱり本当の事だったんだなぁ」
って分かりました。
その時の私は、
子供らしい全能感を持った、
全く赤ちゃんらしい赤ちゃんで、
嫌なこと(ここでは地面に降りられなかったこと)があったら、
言葉が話せない分、ちゃんと泣いて、
「嫌だぁ〜」って素直に表現出来る子供でした。
そして、この時のお母さんは、
私がお母さんの抱っこの腕から落っこちて、
ケガなんかしないように、
暴れる私を一生懸命になだめてあやして、
声がけして可愛がってくれるお母さんでした。
私の一番古いこの記憶は、
思い出すたびにお母さんの愛情を感じられて、
涙が出てくるほどに幸せな記憶。
この時の私は多分、
とても幸せな赤ちゃんだったと思います。
マルトリートメントと私2.2〜3歳頃の記憶に続きます。