臨床心理学を学んでいるため、
発達障害に関しての話題も出ます。
そして、その講義の中で先生が、
「被虐待児は発達障害になる可能性がある」
と発言されたので、私は頭の中に??がいっぱいになってしまいました(@_@)
なぜなら先生は、その発言の前に、
「発達障害は脳機能の障害」
だと言われていたし、
私も自分で色んな本などを読んで勉強して、
生まれつきのものだと理解していたからです。
意味が分からず、先生に質問しようと思ったところ、
やはり同じ疑問を抱いた他の生徒が質問してくださり、
私は先生の発言の意図を知ることが出来ました。
「虐待により脳の萎縮が起こることが分かっているし、
幼児期のネグレクトによる栄養不足などで、
脳が健全に発達しないかもしれない。
虐待により物理的に脳に怪我をすることだってあるかもしれないから、
健全に生まれた被虐待児が、発達障害になる可能性はある」
それは環境による、後天的な発達の遅れ。
なるほど、それは確かにあり得る話だ、と私は思いました。
そして、私はこの話を聞いた時に、
自分の子供の頃のことを思い出していました。
私は幼い頃から40年間、
父親のついた嘘に苦しまされて育ってきました。
その嘘のおかげで私は、
大好きだったお母さんに甘えることが出来なくなり、
ずっと罪悪感を抱えながら生きてきました。
母親や親戚のおばさんの話によると、
赤ちゃんの頃の私は、
1歳上のカンの強い兄よりも、よほど人懐こく、
育てやすい子供だったそうです。
それがいつからでしょうか?
「性格がよく出来た兄に、気難しい妹」
と、周囲から言われるようになったのは。
言葉の意味が理解出来るようになり、
父の嘘から自分を責めて生きるようになった私の年齢と、
気難しい妹と言われるようになった時期は、
重なってはいないだろうか?
暴言を受けて育った子供は、聴覚を司る脳領域に、
家庭内暴力を見て育った子供は、視覚を司る脳領域に、
異常が現れるのだそうです。
聴きたくないもの、見たくないものを、
知覚しなくて済むように、
脳が発達を拒むのかもしれません。
そして私は、そのどちらも、
物心つく頃から、毎日のように体験してきました。
私の脳が幼少期に発達障害脳になる理由は、
十分存在していたのです。
「たとえ心理検査で発達障害に該当する結果が出たとしても、
本人や周囲の人達が困っていなければ、
それは障害ではありません」
今回のスクーリングで聞いた、
とても心に響いた先生の言葉。
私はいつから生きることに困難を抱えて、
自分に"障害"があると感じるようになったのだろう?
自分の部下の中にいる、
明らかに発達障害傾向がある、
でも家族から愛されていて、
何の不自由さも感じていないあの子と、
生き辛さと40年以上も格闘してきた私との、
違いはいったい、どこにあるのだろう?
被虐待児と発達障害の関係。
自分の過去を遡ってみることで、
見えてくるかもしれません。