受けている講義は
「Clinical psychology=臨床心理学」
主として心理・行動面の障害の治療・援助、
およびこれらの障害の予防、さらに人々の心理・行動面の、
より健全な向上を図ることを目指す心理学の1専門分野。
【心理学辞典(有斐閣)より抜粋】
自分と同じように機能不全家族の中で育って、
発達障害のグレーゾーンで生きている人達のために、
役に立ちたいと思っている私にとって、
とても役に立つ講義がいっぱいありました。
そして、そんな講義の中で、
私が今日、一番に心に残った先生の言葉がありました。
「たとえ心理検査で発達障害に該当する結果が出たとしても、
本人や周囲の人達が困っていなければ、
それは障害ではありません」
とても、とても心に響きました。
そう、私が自分を発達障害ではないかと疑ったのは、
生き辛さを抱えていたから。
それが無かったら、
私は自分に障害があるかもしれないなどと、
疑ったりはしなかったでしょう。
障害があるというのは、
生きるのに困難があるということ。
逆に言えば、
これからの私や私の周囲の人達が、
私が生きるのに困難を感じなければ、
私の発達に凸凹があったとしても、
"障害"では無いということ。
(周囲の人達も含まれるのが、とても大切なポイント。
いくら本人が生きることに困難を感じていなかったとしても、
周囲の人達がその人の言動で迷惑を被ってしまうなら、
やっぱり"障害"という言葉は外れないと思うから)
そして、私は、
自分から発達"障害"という言葉が外れて、
個性的なじゅんさんという人間として魂のままに生きている自分と、
私の周囲の、発達障害と呼ばれていた人達からも、
"障害"という言葉が外れて、
定型発達とか発達障害とか関係なく、
ただ自分らしく生きている人達が増えている世界を想像したら、
とてもワクワクしてたまりませんでした(//∇//)
それは愛着障害といった障害を抱えていたとしても、
きっと同じことが言えるはずで。
(私は愛着障害も抱えているし、
不安感が強く、神経症状も出やすい人間です)
愛着障害が原因で、人と上手く交流が出来なかったとしても、
自分がそれを理解していて困難と捉えず、
「気の合う人とだけ仲良く出来ればいい」
と考えて、周囲の人間ともトラブルなく付き合えるのなら、
それは本人も周囲の人達も困っていないから、
やっぱり障害とはならないと思うから。
私"発達障害グレーゾーンのじゅんさん"ではなくて、
"個性的なじゅんさん"になれるんじゃないかな。
なんて、今日の講義を聞いていて思ってしまいました。
いったいどこから、
困難なく生きられる自分になれるという確信が湧き上がってきたのか、
確信の出どころは全く分からないんだけど(^◇^;)
精神分析で有名なフロイト先生だって、
自分の神経症を自分で解決しようと、
自己分析に取り組んでいらっしゃったそうだし。
臨床心理学を学んでいったら、
さらに自分を生きやすく出来る方法に、
出会っていけるかもしれないし。
せっかくワクワクする未来を思い描けたのだから。
そんな未来に向けて、
進んでいこうと思います╰(*´︶`*)╯♡