マルトリートメントと私2.2〜3歳頃の記憶 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

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前回のマルトリートメントと私の記事の記憶からは、
かなり間が空くのですが、
もう一つ、多分2〜3歳の頃の記憶が、
私にはあります。

父が家にいたから、
多分、それは日曜日の午前中のこと。

母が洗濯物を縁側で干していて、
その縁側の隣の和室で、
1つ上の兄は遊んでいて、
その同じ和室に、
胡座をかいて座っていた父の膝の上に、
私は乗せられていました。

そして父が、
私の指の爪を切ると言い出して、
洗濯物を干すので忙しかった母が、

「指を切らないように気をつけてね」

などと注意を促してくれたのですが、
細かい気遣いの出来ない大雑把な父は、
母の心配通り、
爪と一緒に、
幼児だった私の、
小さな指の肉まで切ってしまい、
私が痛さで大泣きしたら、

「泣き出した、うるさい!!」

などと言って父が怒りだし、
私は父の膝の上から邪険に降ろされ、
私の泣き声に驚いた母が、

「どうしたの!?」

と父に理由を尋ねたら、

「俺が爪と間違って、
指の肉を切ったから泣き出したんだよ!!」

と怒鳴り返し、

「あ〜あ〜どうせ俺が悪いんだよ!!」

と母に対して大声を出して、
痛さで泣き続ける私の声と、
父に対して怒る、
母の言葉を聞きたくないとばかりに、
不機嫌な気持ちを全身で表しながら、
大きな音を立てて、
その部屋を出て行きました。

父から肉を切られたまま放置された、
私の指の手当ては、
母がしてくれました。

今の大人の私の視点から見れば、
父はきっと母に、
私の指の爪を切ることで、
育児を手伝ったと褒めてもらいたくて、
行った行為だったのだと思います。
(父は母のことが子供より大好きだと、
昔から子供達に公言していました)

それが、自分の望みと正反対の、
母から怒られるという結果になったため、
もう何も(私の手当て等)
やりたくなくなったのでしょう。

父は、自分の思い通りにならないと、
全てを投げてしまい、
その後始末を家族に
丸投げするところがありました。

自分のやりたいことしかしない、
思った結果にならなかったら途中で辞める、
そんな父の性格など、
2〜3歳の幼児期の私には、
理解することは出来ませんでした。

ただ、
自分が父からされたことで、
声をあげて大泣きしたら、
あんなに穏やかに過ごしていた父と母が、
大ゲンカすることになってしまった、
その記憶だけが、
幼かった私の心に刻まれたのでした。