もう、何年も前から、
私は父と母の誕生日には必ず電話して、
「誕生日おめでとう」
と伝えていました。
私がこの習慣を始めたのは、
自分の人生を幸せにするためには、
両親との関係を改善しなければいけないと、
そう思ったからでした。
だから、私は父と母の誕生日を、
スマホの予定表に登録して、
忘れないようにしていました。
今日は夕方、
母に誕生日おめでとうと伝えたのですが、
本当は昼間、
孫と娘と一緒にいる時に、
母におめでとうと伝えるつもりでした。
でないと、
母に対しておめでとうという言葉以外、
特に話すことが無かったからです。
ASD(自閉症スペクトラム障害)の中の、
アスペルガー症候群に該当する私は、
母には理解不能な子供だったらしく、
小学校低学年の頃に母から、
「お前のことは理解出来ないから、
お前にはもう、構わないことにする」
と言われて、
普通の子と同じように出来ない自分を、
嘆く母の姿を見ているのが辛かった私は、
そんな母の言葉にホッとして、
「ありがとう」
と返事して、
さらに母の怒りを買うくらい、
私と母の意思疎通は出来ていませんでした。
父とは意思疎通どころか、
会話をすること自体が、
私にとっては大きなミッションでした。
だから、両親との関係改善を図るために、
父や母の誕生日に電話をする時には、
私はいつも両親が望むであろう、
良い娘を演じて電話をかけていました。
私は両親に愛してもらうことや、
自分を理解してもらうことを諦めて、
ただ表面だけでもいいから、
幸せな家族になることを望んだからです。
そのため、父や母に電話をする時には、
私は話題に困らないよう、
いつも事前に何らかの話題を用意していました。
楽しく両親が話せるような話題を。
何の用意もなく両親に電話をかけるなど、
私には出来ないことでした。
だから今日は、
娘と孫と会うことになっていたため、
電話で孫の声を聞かせてあげたら、
それが一番、母が喜ぶ話題だと思って、
私は昼間に母に電話をかけたのです。
けれど、
昼間に電話が繋がらなかったため、
私は夕方、家に1人でいる時に、
母と電話で話をすることになりました。
私の電話をとった母は、
「お前だろうと思ってた」
と言いました。
私が母に誕生日祝いの言葉を伝えると、
「覚えていてくれてありがとう」
と言いました。
その言葉に、
母は私の誕生日を覚えていなかったことを思い出して、
私の胸は少しだけ、ツキンと痛みましたが、
その後も、私は楽しげな声で、
明るく最後まで、
話しをすることが出来ました。
昨年父が亡くなって、
1人ぼっちになった母が電話の中で、
「もう死んでもいい」
といった、弱気な発言をした時も、
本当は、私の心は痛んでいました。
それは決して、
母の弱気な発言を心配して、
といった優しい理由ではなく。
私にとっては酷い虐待をした父親でも、
母にとっては、
人生を生きる張りになる、
大切な人だったのだという事実が、
私をとても孤独な気持ちにしました。
老い先短いであろう母に、
今さら自分が父から受けた虐待を、
話すつもりは、もちろん無かったけれど。
父と母の強い結びつきを改めて知らされて、
やっぱり、この家族の中には、
私が安心していられる場所は、
無かったのだなぁと思い知ることは、
46歳を過ぎた今でも、
やはり少し、辛いものでした。
でも、私と過ごす時間よりも、
父と過ごす時間の方が長かったのだから、
母にとっては、
当然の気持ちなのかもしれません。
表面だけでもいいから、
幸せな家族になりたいと、
望んだのは私だったのだから。
恐らく発達障害であろう父に、
苦労させられた母が、
過去の出来事を幸せに変換出来たなら、
わざわざ私が壊す必要は無いから。
父から私が受けた虐待は、
自分1人で抱えて墓場まで持って行くから。
子供の頃に大好きだった母が、
自分の人生は幸せだったと思ってくれるのが、
今の私の母に対する願い。
だから、私はこれからもずっと、
自分の心の中で色んな反応が起こったとしても、
母の前で良い娘を演じ続けていこう、と思いました。