原家族(その人が生まれ育った家族)で生きているのは、
もう、兄しかいないのに。
私は母が嬉しそうに、
私に残そうとしてくれている貯金で、
兄とトラブルになる未来しか、
想像することが出来なかったのです。
父が亡くなった時に、
兄は私に何の確認もせず、
「俺の家族と一緒に住んでもいいし、
じゅんと一緒に住んでもいい」
と勝手に母に言っていました。
けれど私は、
母は誰とも一緒に住まないだろう、
と思っていたし、
実際に母も自分が今住んでいる場所を、
離れることを拒否していました。
1人になったら心配だから、
兄か私、どちらかと一緒に住めばいい、
という兄の提案は、
私から見たら、
とても乱暴で母の気持ちを考えない、
一方的なものだったけれど、
きっと兄は母を思いやった提案だと、
信じて疑わないでしょう。
年老いた人間が、住み慣れた土地を離れて、
新しい環境に入っていくことに、
どれほどの抵抗があるのか考えもせずに。
母が新しい暮らしに飛び込むのに、
どれだけのフォローが出来るのか、
伝えもせずに。
ただ「選べ」と迫る兄の姿に、
私は時折父の姿を重ねて見てしまいます。
そこにあるのは、独善的な思いやり。
相手のことを考えない優しさ。
私たち家族は、
皆んな父に振り回されて、
自分のことに一生懸命で、
相手を思いやる、
気持ちの余裕を持てないまま、
成長してしまったような気がします。
だから、家族という枠組みはあるものの、
私達家族の繋がりは、
分断されてしまっています。
そのために、
休日に母のことを思い出して、
「しばらく母に電話をしていないから、
母の様子を確認してみようかな」
と思っても、
気軽に電話することが出来ません。
まず電話するための理由や話題を、
探してしまいます。
今日の夜に娘と孫に会えるから、
その時の様子を伝えるために、
明日、母に電話をしてみようかな。
…こんな風に、
話題がないと母に電話も出来ないのです。
それでも、
家族の元から失踪までしていた私が、
過去の自分をコツコツと癒してきて、
辿りついた、
母との穏やかな現在の関係です。
その関係を壊さないためにも、
私は母に対して、
自分のことを理解して欲しいとは、
もう望まないと思っていたけれど。
母が私へ残す貯金通帳を、
嬉しそうに見せる顔を思い出していたら、
私への愛情を示そうとしている母に対して、
そうやって私が諦めた気持ちでいたら、
かえって母を悲しませるのではないか、
と思うようになりました。
老い先短い母に、
悲しい思いをさせるようなことは、
やはり言おうとは思わないけれど。
母が生きて話が出来る間に。
母と私の間にある、
過去の出来事から、
生まれてしまった心の溝は、
出来るだけ解消していきたい、
と思うようになりました。