マルトリートメントと私20.貯まらないお金 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、
 
幼少期のまでの記事はこちら。
 
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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父から
 
 
と言われた私は、
母が頼んでくれない限り、
父と兄が遊びに行く時に、
連れていってもらえませんでしたが、
父が積極的に私を、
一緒に連れ出すことがありました。
 
それは父と母が喧嘩になり、
怒った父が家の中で暴れまわって、
お茶碗やコップやポットなどを、
壊して回った翌日、でした。
 
大抵、父と母の喧嘩は夜に行われたので、
次の日の朝も、母は怒っていました。
 
なぜなら喧嘩の原因はいつも、
父の自分勝手な言動が理由で、
母が反省するところなど、
一つも無かったにもかかわらず、
毎回、怒った父に、
 
「ここは俺の家だ!出で行け!!」
 
と、
母と私と兄は家から追い出され、
街灯もない真っ暗な闇の中、
近所の納屋に続く階段に座って、
父の怒りが収まるまでじっと待ち、
怒りが収まった父に、
家に入る許可を与えられる時も、
父はいつも、
自分は悪くないといった態度で、
母に謝ることがなかったからでした。
 
父の母への愛は一方的なものでしたが、
それでも母を愛していた父は、
次の日に母のご機嫌をとるために、
壊したものを買い直す、
という行動をとっていました。
 
手土産を持っていくことで、
母の機嫌を和らげ、
母に許してもらおう、という作戦です。
 
その作戦を実行するために、
私は欠かせない存在でした。
 
なぜなら父は、
私がお金を貯めていたことを、
知っていたからでした。
 
それは、
この家に要らないと言われた私が、
コツコツと貯めていたお金でした。
 
父は私と兄にも、
自分が壊したものを買い直すお金を、
出させていました。
 
「じゅん、お前はいくら持ってる?」
 
父は私にそう聞いてきました。
 
兄はもらったお小遣いをすぐ使う人間だったので、
大したお金は持っていませんでしたが、
コツコツと貯めていた私は、
千円単位のお金を持っていたこともあったため、
父は私のお金を当てにしている節がありました。
 
父の性格ならば、
黙って持って行くこともあり得たでしょうが、
私が子供だったために、
自分のお金がとられることを想定せず、
皆んなが知っている場所に貯金箱を置き、
お小遣い帳まで作っていたために、
勝手に使って私が泣きだすと、
また母との喧嘩になることが分かっていた父は、
 
「じゅんが自分からお金を出した」
 
という状況を、
作りたかったようでした。
 
父が怖くて、
父の前では上手く声が出せなかった私に、
父のお金の無心を断る選択肢など、
ありませんでした。
 
兄から責められていたことも、
私に負い目を感じさせ、
誰にもこの状況を、
訴えられなくさせていました。
 
けれど母は、
父が子供達からお金を出させて、
壊したものを買い直しているのを、
知っていたようでした。
 
でも、父のその行為を、
文句を言いながらも、
母が辞めさせることはありませんでした。
 
以前、父が暴れた時に、
私のお金で買い直した、
白地に緑のラインが入ったポットを、
父が喧嘩の際に怒りに任せて蹴り飛ばし、
凹ませてしまった時には、
私はとても、
切ない気持ちを味わいました。
 
そのポットは当時、
私が持っていた最高金額である、
二千円を全部つぎ込んで買ったものでした。
 
私は父からご飯を取り上げられ、
泣く私が気に入らないといった理由で、
父が暴れてものを壊すたびに、
この家から出て行くための、
私の貯金が無くなってしまうという、
負の無限ループに陥っていたのでした、、、